愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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妙興寺鐘楼(みょうこうじしょうろう)

分類 県指定
種別 建造物
所在地 一宮市大和町妙興寺2438
所有者等 妙興寺
指定(登録)年 昭和45年(1970)
時代 文明2年(1470)

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外観

外観

■指定理由

妙興寺鐘楼は、寺伝によると、勅使門(重要文化財)と同じく文明2年(1470)の再建とされている。かつては重層、袴腰付の鐘楼であったと推定されるが後世の改変を受けている。
なお、上層部分はよく旧態をとどめ、円窓、華頭窓などの意匠も優れており、室町期における禅宗様と和様の折衷様建築の貴重な遺構となっている。

■詳細解説

内部

内部

妙興寺は、尾張地方の屈指の大禅寺である。創立は貞和4年(1348)に円光大照禅師によって開かれ、足利将軍家の祈願所、後光厳天皇の勅願所ともなった。明治23年(1890)の火災により主要建築を失ったが、その後再建された。南北軸の前方より総門、勅使門、放生池、山門、仏殿を配し、その西脇後方に住房の一画を配し、庫裏、方丈、鐘楼、書院、禅堂、開山堂などを設けている。鐘楼は、桁行1間、梁間1間、楼造とする。柱は、面取角柱とし、4本の柱を基壇の礎石上に立て、内転び(うちころび)として上層まで伸ばしている。下層は、柱間に地固め貫、内法貫を通し、白漆喰壁を入れ、東妻に小窓、西妻に格子窓を開けている。上層では、周囲に擬宝珠高欄付の切目縁を廻らし、四面を白漆喰壁とし、妻側に丸窓、桁側に花頭窓を開け、柱上では飛貫を通し、波形欄間を入れている。内部では、桁行の中央に大梁を渡し、大梁の中央に梵鐘を吊っている。この建物の建立年代は、両妻の木鼻状の様式から判断して、室町時代後半のものと考えられている。(杉野 丞)

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