
外観
■指定理由
長誓寺本堂は、名古屋城三の丸にあった尾張藩の重臣渡辺半蔵家の書院を、長誓寺が譲り受け、明治7年(1874)に現在地に移築したものである。
単層入母屋造で、上段の間には、書院窓、武者隠しの遺構を残しており、江戸初期の武家屋敷建築の特徴をよく伝えている。
■詳細解説

広縁
長誓寺は、浄土真宗に属し、蓮如上人が滞在したと伝える名刹である。現在の本堂は、名古屋城三の丸にあった渡辺家本邸の大書院を移したものと伝え、この建物は明治初年の廃藩置県に際して渡辺家より譲り受け、明治5年(1872)より取り壊しが始められ、堀川を船で海に下り、木曽川を遡って河田渡しに着船し、そこから陸路で運搬されたという。本堂は、桁行6間(実長12間)、梁間3間半(実長8間)、しころ屋根、桟瓦葺、南面建ちとし、現在は浄土真宗本堂の形式に改められている。しかし、間取りは正側3面に幅1間半の広縁、背面に幅1間の廊下を巡らし、その内部に前後2列横3列の6室を構えており、室部分では1間毎に柱を立て、柱間に敷居、鴨居、内法長押を巡らし、室境に引違い戸を立て、広縁では柱間2間毎に繋虹梁を渡し、上部に疎垂木・木舞打を見せ、柱上には舟肘木を載せるなど、江戸時代初期の旧家老邸の書院の姿をよく残している。(杉野 丞)