分類 | 県指定 |
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種別 | 建造物 |
所在地 | 名古屋市昭和区汐見町4-1(昭和美術館内) |
所有者等 | 後藤報恩会 |
指定(登録)年 | 昭和56年(1981) |
時代 | 天保3年(1832) |
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茶室 内部
■指定理由
旧渡辺家書院及び茶室は、旧尾張藩家老渡辺規綱の別邸に建築されたものを、現在地に移築したものである。
建物は、2階建、桟瓦葺の書院と、書院に接続した平家建、桟瓦葺の茶室からなっており、尾張藩家老の別邸として、また、規綱(又日)や玄々斎好みの茶室の遺構としても貴重な存在である。
■詳細解説

書院 内部
建物は現在昭和美術館内にあり南山寿荘と呼ばれ、後藤幸三氏によって昭和10年(1935)に移築されている。移築前は西に堀川がゆったりカーブし、東に熱田神宮の一の鳥居のある高台で、堀川への傾斜地を利用した尾張藩家老の渡辺規綱の尾頭坂別邸である。規綱は又日(ゆうじつあん)と号し裏千家11代玄々斎(げんげんさい)の実兄にあたり、玄々斎も建築に関与する。
茶席は一階にあり捻駕籠席(ねじりかごのせき)といい、建物の平面に対して少し角度をふって配置され、三方に縁が回り、ちょうど駕籠を少し捻った恰好で席名の由来となる。榑縁(くれえん)が露地の一部となり、茶室の外観を造る。吹放しの中敷居窓から外を眺望できる。内部は四畳中板入り出炉(でろ)の席で、三畳の客畳と中板を入れ、点前座(てまえざ)を遣違(やりちが)いとして床前の貴人座に重心をおく間取である。
二階座敷は主室と次の間、そして四畳半の水屋からなり、南側に縁が付く。北側にも主室と次の間をつなぐ縁がある。主室は床脇の一畳を入れて九畳敷で、床と直交して一間の棚と一間の袋棚が並ぶ。次の間との境に玄々斎好みの扇面透しの欄間がある。また縁側の明かり障子は下まで格子状の桟となり、玄々斎好みとして他例に見られる。二階座敷からは、船が建物の中へ入ってくるように見え、「入舟の席」ともいった。(神谷昇司)