愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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伊藤家住宅(いとうけじゅうたく)

分類 県指定
種別 建造物
所在地 名古屋市西区那古野1-36-12
所有者等 個人
指定(登録)年 昭和62年(1987)
時代 江戸

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外観(手前から南座敷、本家、高塀)

外観(手前から南座敷、本家、高塀)

■指定理由

伊藤家は、清洲越の商家である「川伊藤家」の分家にあたり、江戸時代には、尾張藩の御用商人を務めた。
住宅は、本家、新座敷、南座敷からなる主屋と、蔵、新土蔵、西蔵、細工蔵等からなり、堀川の水運を利用して家業を営んだ商家の屋敷の典型例として貴重な遺構となっている。

■詳細解説

手前から高塀、背後に新座敷、奥が本家

手前から高塀、背後に新座敷、奥が本家

玄関(本家)

玄関(本家)

勝手土間上部

勝手土間上部

かまど回り

かまど回り

庭と新座敷(手前庭は松尾流二代目の作)

庭と新座敷(手前庭は松尾流二代目の作)

土蔵

土蔵

伊藤家の先祖は、慶長19年(1614)に大船町に移住した清洲越商人で、茶屋町の伊藤家(松坂屋)と区別して、川伊藤と呼ばれた。現在の伊藤家は、その分家で、享保7年(1722)に現在地に居を構えた。大船町筋西側に、南から南座敷、本家、新座敷と建物を並べるとともに、向かいの堀川に面した側には表倉がある。堀川の水運を利用して家業を営んだ堀川筋商家の典型例とされる。
伊藤家の本家は、桟瓦葺、切妻造、木造中2階建、平入で、下屋庇が付く。1階の腰部は下見板張、上部は漆喰壁で窓は連子格子をつける。中2階は柱と長押を外に見せる真壁造で、両端を土壁とする。その他は柱の間に格子を入れる連子窓(れんじまど)。
本家北側に隣接する新座敷は、表通から引き下がり、前庭と道路の境に塀をたてる。本家の下屋庇は、北側にそのまま塀に延長され、町並が連続するように整えられている。
南座敷は、桟瓦葺、切妻造、木造平家建、平入で、本家同様に下屋庇を持つ。南座敷は、道路側に対して、下見板の腰壁、その上部を漆喰壁もしくは連子格子とする。本家と異なり、南座敷は平屋建のため垂れ壁を設け飾り格子窓と壁を交互に繰り返す構成とし外観を統一している。
以上のように、大船町筋に面する伊藤家屋敷は、間口が30m近くもある上に、統一された景観を持っている。
このようになったのは、文政2年(1819)、もとは板茸であった大屋根を瓦葺に葺きなおし、表の連子・格子・戸障子を整備し、さらに、前面の土庇を室内に取り込んで縁側とし、その外側に連子をまわした時とされている。

本家(ほんや)

本家部分は、享保7年(1722)の分家に際して入手した部分とされ、間口7間半、奥行7間、前面に半間の庇がつく。南側の2間半を通り土間とし、居室部分は、間口と奥行をそれぞれ3分している。台所に面する土間には、「くど」が築かれていて、その上部を吹き抜けとし、小屋組の複雑さと優美さを見せる。
後世の改造もあり、やや不規則になったところもあるが旧状をよく保っている。享保9年に大火があったことから、本家の建築は、その後とされる。

新座敷(しんざしき)

新座敷は、延享3年(1746)に親類から購入した後、建築されたとされる。道路側に屋根付きの高塀を設け、潜戸(くぐりど)を入ると、前庭(露地庭)があり、新座敷のツギノマ(10畳)に面している。ツギノマの南隣に、格天井を持つ仏間がある。格天井の組子内や紙を貼った壁に草花の絵が描かれ静謐(せいひつ)な空間が演出されている。新座敷のザシキは12畳半で、幅1間半の床の間、付け書院、床脇がある。ここからの庭の眺めがよい。

南座敷(みなみざしき)

南座敷の部分は、天明2年(1782)に隣地を購入したものである。内部は改造されているが、南東端に2畳台目の茶室が付く。南座敷の縁を降り、露地庭の飛石を通って、ニジリ口前の踏石に至る。

伊藤家には4棟の土蔵があるが、そのうちの西倉、新土蔵、細工倉は、敷地西側の通り、つまり、四間道(しけみち)に面している。多くの蔵が並ぶ四間道は、名古屋城下町の防火帯を形成していたといわれるが、こうした屋敷の蔵で構成されている。
名古屋市都心部は、戦災を受けて、多くの伝統的住宅が失われており、城下町時代の面影をとどめていない。今に残る伊藤家住宅は、その意味できわめて貴重である。しかも、名古屋城下町の形成にかかわる堀川との深い関連を示すものであるとともに、質のよい上級商家建築として貴重な建物である。(非公開)(瀬口哲夫)

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