
住宅倉(中央)
■指定理由
服部幸平家は、服部孫兵衛家(井桁屋)の分家にあたり、住宅も服部孫兵衛家の東隣を占める。
倉は、服部孫兵衛家の屋敷の一部を構成していたものであるが、分家に際し、元の位置のまま、服部幸平家に譲られたものである。白漆喰の塗籠造、腰を海鼠壁とする外観は、東海道沿いの景観要素として貴重である。
■詳細解説
服部幸平家住宅は、服部孫兵衛家の東隣を占める。第6代孫兵衛の弟が明治時代に東隣に主屋を建造して分家した。この主屋の西側に建つ土蔵は、元は服部孫兵衛家の倉で、分家に際して幸平家に譲られたものである。服部孫兵衛家の屋敷構えを示す一部として、県指定の文化財となっている。二階建、切妻造、桟瓦葺で、建造は江戸末期とみられている。かつては服部孫兵衛家側となる西側に開いていた入口は、東側に付け替えられている。 妻を東海道側に向けて建ち、1階、2階の2カ所に窓を開ける。切石の土台の上に建ち、白漆喰(しっくい)の塗籠造(ぬりごめづくり)、腰を海鼠壁(なまこかべ)とする外観は、西隣の服部孫兵衛家の表倉と一連のものとして調和しており、東海道沿いの景観要素として貴重である。(溝口正人)