
外観
■指定理由
知立神社は、三河国二宮で、嘉祥3年(850)に、境内に神宮寺が創建され、二重の塔が建立されたと伝えられている。
現存する多宝塔は、三間四方で、内部には後方に2本の円柱を立て、来迎柱とし、屋根はこけら葺とする。
神宮寺の建築遺構として、全国的にも貴重な存在である。
■詳細解説

上層
知立神社は延喜式神名帳にも記された三河国二宮で、嘉祥3年(850)に僧円仁が神宮寺を創立して、境内に二層の塔を建てたという。現存する多宝塔は社蔵文書に永正6年(1509)再建とあり、神宮寺の遺構と考えられる。明治元年(1868)の廃仏毀釈の折には、本尊と仏壇を撤去し、神社の文庫に改めることによって破却の難を逃れた。
下層は三間四方で四周に縁を廻らし、角柱を立てて柱上に出組を置く。正面の中央柱間に桟唐戸(さんからど)を吊り、両脇間には連子窓(れんじまど)を設ける。側面と背面の柱間は全て板壁とする。内部には後方に二本の円柱を立てて来迎柱とする。上層は縦板張りの円形土壇状の亀腹(かめばら)に腰組と高欄を廻らし、円周上に円柱12本を立てる。柱間は全て板壁で、上層には戸口を設けない。柱上には手先が四つ前へ出て桁を支える四手先斗・尾垂木付きを載せる。屋根はこけら葺で、軒は上・下層とも平行垂木とする。
全国的にも遺構の乏しい神宮寺の建築として極めて貴重である。(岩田敏也)