分類 | 国・登録文化財 |
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種別 | 建造物 |
所在地 | 名古屋市東区 |
所有者等 | 長母寺 |
指定(登録)年 | 平成11年(1999) |
時代 | 庫裡:文政11年(1828) 山門:18世紀後半頃 |

庫裏
■登録理由
庫裡
本堂の東側に建ち、本堂とは廊下および客間と接続し、北西隅に茶室が繋がっている。切妻造・妻入・桟瓦葺で、桁行9間梁間5間の雄大な規模をもち、内部の梁組も重厚である。棟札より大工棟梁は川合半七で、建築年代が明確な庫裡として貴重な存在である。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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山門
3間1戸の薬医門で、切妻造・本瓦葺、桁行約4.8mと規模も大きい。主柱は五平(ごひら)とし、棟木を板蟇股(いたかえるまた)と蓑束(みのづか)で受け、細部絵様から18世紀後半と推定される。低い基壇上に建ち、両側に鍵形の築地塀を備えた姿は、地域の景観に欠かせないものとなっている。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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■詳細解説

山門
当寺は、霊鷲山と号し、臨済宗東福寺派に属する。治承3年(1179)山田次郎源重忠が母である長母院のために創立した寺であり、古くは天台宗の寺院であった。その後、衰退した寺を山田道円坊夫妻が七堂伽藍と塔頭を建立し、無住を開山として禅寺とし、康永2年(1343)には足利尊氏の祈願所となった。その後、慶安3年(1650)昭山是鑑が再興し、庫裡は文政11年(1828)、山門は18世紀後半、客殿は大正3年(1914)の建立である。
庫裡は、桁行9間、梁間6間、切妻造、桟瓦葺、妻入の中型の庫裡である。間取りは南妻より3間を土間、その奥2間を板間、その奥4間に座敷を6室構えている。土間は、西より間口2間を玄関土間、その東の間口4間を勝手土間とし、両土間の境に柱列を造り、西列と東列の部屋割の柱筋とし、土間と板間境には大黒柱が立っている。板間部分では、玄関土間と板間境には差鴨居が残され、板戸を納め、勝手土間と板間境には大梁を渡して開放していた。座敷部分は、大黒柱筋で左右に2分され、本堂側の3室を表向きの室とし、北隅の8畳には西向きに床の間を構えている。
山門は、三間一戸の薬医門、本瓦葺であるが、正面前方に出される雄梁(おばり)の先端に控柱を立てる点に特徴がある。(杉野 丞)