
外観
■登録理由
東海道宮宿と中山道垂井を結ぶ美濃路七宿の一つ起宿の脇本陣。濃尾地震で被災した旧施設に代わって建設された現存建物は、座敷回り等に近代的な構成がみられるが、外観や細部は伝統的な大型町家の形式を踏襲し、旧宿の景観を構成する主要な要素となっている。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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■詳細解説

内部
旧林家住宅は東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ美濃路七宿の一つ起(おこし)宿の旧脇本陣跡に建ち、町家形式の主屋、離座敷、付属屋からなる。林家は享保5年(1720)以降、明治3年(1870)の脇本陣廃止まで、起宿の船年寄職と脇本陣職とを代々継承した家柄である。脇本陣当時の建物の間取図は多く伝わるが、明治24年(1891)の濃尾地震により倒壊し、現建物は大正初期に完成、昭和初期に増築を受けたとされる。棟札類は発見されていないが、棟梁は宇佐美嘉一と伝わる。
主屋は間口8間弱の規模を有するが、平屋となる北側2間弱は建築年代の異なる増築部分と考えられる。基本的に2列6間取りの江戸以来の伝統的町家形式で、土間境の大黒柱や根太天井の造りなどを見せる。仏間との続きで、床の間や天袋、地袋、琵琶棚を備えた座敷を設ける。床柱は面皮柱で、琵琶棚の天井部分を網代にするなど、数寄屋風の意匠を加味する。
街道沿い正面は内部土間列位置に潜戸付の大戸を備え、畳敷2列部分には連子格子がはまる。2階はたちの低いツシ2階で、通り側に天井の低い畳の部屋を4室備える。小屋組は、濃尾震災後の反省からであろうか、通常の和小屋に斜めの梁を加えてボルトで締めるなど、耐震を意識した近代的配慮を見せる。
離座敷は8畳間2つで周囲に縁を廻すが、縁の外周は隅部まで引き違いのガラス戸が嵌められていた痕跡がある。数寄屋風意匠はあまり用いていない。
このように外観や細部は伝統的な大型町家の形式を踏襲し、旧宿場の景観を構成する主要な要素となっている。(野々垣篤)