分類 | 国・登録文化財 |
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種別 | 建造物 |
所在地 | 一宮市真清田1-2-1 |
所有者等 | 真清田神社 |
指定(登録)年 | 平成19年(2007) |
時代 | 祭文殿 昭和31年(1956) 北門及び透塀 昭和30年(1955) |
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祭文殿
■登録理由
祭文殿
本殿の正面、渡殿を介して繋がる。桁行12m、梁間8.9m、切妻造銅板葺の建物で、身舎は天井が高く、広い一室で、四周に1間幅の下屋を廻す。正面に拝殿、背面に渡殿、両側面に翼廊が付き、複雑な外観を形成するが、細部は簡潔明瞭な意匠でまとめる。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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北門及び透塀
北門は本殿の真北に位置し、北門から透塀が東西方向に繋がる。北門は間口2.7m、切妻造の薬医門。透塀は東側に10間、西側に11間、さらに南へ13間延び、南から3間は屋根を一段下げ、中央に引違戸をたてる。優れた境内景観を構成している。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
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■詳細解説

祭文殿内部
当社は、尾張の一宮にあり、祭神は天火明命とされる。近世には、慶長5年(1600)に尾張の松平忠吉が家康の意を受けて200石を寄進し、寛永8年(1631)には尾張藩主徳川義直が社殿を造営したが、昭和20年(1945)の空襲により殿舎が焼失した。昭和26年に第一期復興計画がたてられ、設計は森恒保、指導は角南隆氏、棟梁は大竹利左エ門があたり、昭和28年に本殿釿始、昭和32年に本殿遷座祭が行われ、本殿、祭文殿、渡殿、拝殿、翼廊(廻廊)透塀、神饌所、社務所他が完成した。祭文殿は、渡殿前に置かれ、渡殿と拝殿とをつないでいる。桁行3間、梁間3間、切妻造り、銅板葺、平入の建物である。尾張式の古い社殿配置では、祭文殿は左右に廻廊をもつ四脚門形式とされたが、近世から近代には行事の変化とともに広い空間が求められたようで、ここでは拝殿に匹敵する大規模な空間が造られている点が注目される。柱は総丸柱、主屋では正面の中央間15尺6寸、両脇間11尺5寸、側面の中央間13尺、両脇間6尺5寸として、正側面の中央柱間を広めることで建物の求心性を高めている。祭文殿の両脇には翼廊が延び、東に祭具所、西に神饌所が設けられ、この後方には南北に13間、東西に23間程の透塀を廻らし、背面(東西)透塀のほぼ中央には北門を開いている。透塀は柱間を6尺程にとり、腰上に連子窓を入れ、柱上に腕木を渡して切妻屋根を支え、北門は薬医門形式とされる。(杉野 丞)