愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

トップページへ戻る

トヨテック本社社屋・倉庫(旧豊川電話中継所本屋・倉庫)(トヨテックほんしゃしゃぉく・そうこ(きゅうとよかわでんわちゅうけいしょほんや・そうこ))

分類 国登録
種別 建造物
所在地 豊川市西豊町2-35
所有者等 株式会社トヨテック
指定(登録)年 平成19年(2007)
時代 昭和初期

※ 別ウインドウで開きます

社屋全景(旧豊川電話中継所本屋)

社屋全景(旧豊川電話中継所本屋)

■登録理由

社屋

豊川稲荷近くの本社敷地内に建つ。建築面積346㎡、鉄筋コンクリート造2階建。外壁に2階分の柱型を連続させて表し、各間に縦長窓を配する。上部のパラペットも特徴的な意匠とする。昭和初期における、逓信省による標準的な中継所建築として、数少ない遺構。

登録の基準 造形の規範となっているもの
倉庫

敷地の東隅、本社社屋の北東に建つ。建築面積38㎡、鉄筋コンクリート造平屋建で、南面に出入口、東と北面に窓を開ける。外壁は社屋と同様のモルタル塗仕上げで統一感をもたせるが、隅や上端部を丸めて面を取り、窓も方形に近いなど社屋と対照的な外観とする。

登録の基準 国土の歴史的景観の寄与しているもの

■詳細解説

倉庫全景(旧豊川電話中継所倉庫)

倉庫全景(旧豊川電話中継所倉庫)

社屋

我が国における最初の一般公衆の通話の取り扱いは明治22年(1889)からである。この頃は架空に設置された裸線が用いられたことから通話距離に限界があった。これを解決し長距離通話を可能にしたのが装荷ケーブルと真空管中継器であった。昭和3年(1928)、東京―神戸間に初の装荷長距離ケーブルを使用した市外通話が開通した。この時、真空管中継器を用いて音声を増幅する施設として電話中継所が9ヵ所建設された。本施設はそのうちの1つである。また、音声電流の減衰を食い止める装置となる装荷線輪(ローディングコイル)が不可欠な設備として電話中継所間に等間隔に多数設置され、そのため鉄筋コンクリート製の櫓が建設された。 愛知県内には、この電話中継所の一つである豊川電話中継所の建物と装荷線輪用櫓が豊川市に1基、豊橋市に2基、合計3基が遺っている。
豊川電話中継所は昭和2年(1927)7月に開所、中継所としては亀山、足柄に次いで3番目に早いものである。豊川電話中継所の場所は、豊川稲荷から北東600mの所で、現在は株式会社トヨテック本社社屋として使われている。この中継所は昭和27年(1952)4月に廃止後、昭和38年(1963)11月に豊川商工会議所が日本電信電話公社から購入し、翌年6月に豊川市が寄付を受けている。その後、昭和60年(1985)に株式会社トヨテックが豊川市から購入、現在に至る。
本社社屋は、鉄筋コンクリート造2階建、北側2階の増築部分以外は建設当時の外観を留めている。中継所時代の延床面積は612.45㎡である。中継所時代、1階は電力室、電池室や宿直室等が、2階には中継器が設置された機械室等が配されていた。このため、柱を密に並べるとともに、階高は4mを越えるほどに高い。さらに、内部は装飾のない仕上げとなっている。現在は事務室等に改装されている。
外観は、屋上の水平の庇、縦長の窓、繰型をつけた柱と間柱で特徴づけれらる。特に、外側に出された柱と間柱は屋根庇の手前で止められ、両者の間に隙間を造っている。また、柱の端部を階段状にするなど、当時の逓信省の意匠が見られる。
建物の規模、各室の配置や建築意匠については、最初に建設された亀山中継所などと類似しており、電話中継所建設にあたり標準仕様があったと考えられている。

倉庫

本社社屋の北東に建つ倉庫は、本社社屋と同時期の建築で、建物は鉄筋コンクリート造平屋建。現在は西半分が切断されており、東側のみが遣る。建物の隅部、上端部、さらに窓周り総てについて、角を丸めて面を取り、全体的に岩塊に近い扱いとなっており、本社社屋と対照的な意匠となっている。
しかし、窓回りの階段状の刻みや建物を岩塊のように扱うなど、表現主義的意匠という点では、共通しており、両者を対比的に配置するところにも意匠的な独自性が見られる。

前へ戻る