愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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常満寺(じょうまんじ)本堂・観音堂・大師堂・鐘楼・庫裏・玄関・山門

分類 国登録
種別 建造物
所在地 犬山市
所有者等 常満寺
指定(登録)年 平成19年(2007)
時代 本堂:江戸初期
観音堂:江戸初期/江戸中期改修
大師堂:明治
鐘楼:寛政8年(1796)
庫裏:江戸中期
玄関:明治中期
山門:江戸末期/明治10年(1877)移築
本堂全景

本堂全景

■登録理由

本堂(ほんどう)

東面する境内の西奥に南面して建つ。寄棟造桟瓦葺の5間堂。広縁及び外陣、内陣、脇間からなる浄土宗本堂の特徴的平面になる。内陣に来迎壁を設け、その前に禅宗様須弥壇を置く。17世紀前期の細部絵様になり、近世初期に遡る数少ない浄土宗本堂である。

登録の基準 造形の規範となっているもの
観音堂(かんのんどう)

本堂の西南に東面して建つ方2間規模の仏堂。宝形造桟瓦葺で、1間向拝を付け、擬宝珠高欄付切目縁を廻す。大斗肘木で、二軒吹寄垂木。正面半間を吹き放し、内部は背面に接して間口一杯の仏壇を設け、格天井には彩画を描く。建立が古く、装飾豊かな仏堂である。

登録の基準 再現することが容易でないもの
大師堂(たいしどう)

観音堂の北側に接して東面して建つ仏堂。切妻造平入桟瓦葺で、桁行3間梁間2間とする。正面の中央間を腰高に開口を設け、やや奥に引分戸を建て、両脇は竪板壁とする。角柱で、中央1間は柱上を虹梁形の頭貫で固め、木鼻を飾り、大斗肘木組とする。

登録の基準 国土の歴史的景観の寄与しているもの
鐘楼(しょうろう)

本堂の南方に東西棟で建つ。四周に縁を廻す方1間吹放ちの袴腰付鐘楼で、入母屋造桟瓦葺とする。方柱を頭貫と台輪で固め、三斗組とし、中備に蟇股を置く。軒は一軒疎垂木で、妻は木連格子とする。伸びやかな屋根勾配をもつ鐘楼で、境内景観を彩る。

登録の基準 国土の歴史的景観の寄与しているもの
庫裏(くり)

本堂の東に南面して建つ。桁行18m梁間9.4m規模で、切妻造妻入桟瓦葺とし、正面西寄りに唐破風屋根を設け、玄関とする。内部は東西に2分し、本堂側の西半部を接客用に、東半部を内向の居室とする。正面妻の意匠など寺院庫裏らしい外観をみせる。

登録の基準 国土の歴史的景観の寄与しているもの
玄関(げんかん)

本堂と庫裏の間に建ち、西切妻造、東両下造の東西棟とする。南側に入母屋造妻入の式台を突き出す。内部は南半部を板敷の廊下とし、北側にはトコと棚を付ける主室と次の間を設ける。本堂と庫裏、玄関が東西に並び、異なる形式の屋根が変化に富む景観を構成する。

登録の基準 国土の歴史的景観の寄与しているもの
山門(さんもん)

通りから西に入った位置に東面して建つ。犬山城松の丸裏門を移築した、切妻造桟瓦葺の1間薬医門。太い木柄で、組物はなく、軒は一軒疎垂木とする。装飾のない簡明な意匠ながら、豪放な気風を有しており、城門としての風格を備える。

登録の基準 国土の歴史的景観の寄与しているもの

■詳細解説

本堂・大師堂・観音堂外観(右から)

本堂・大師堂・観音堂外観(右から)

観音堂全景

観音堂全景

大師堂外観

大師堂外観

鐘楼全景

鐘楼全景

庫裏外観

庫裏外観

玄関全景

玄関全景

山門全景

山門全景

常満寺は浄土宗の寺院で、寺伝によると正応4年(1291)に創建されたと伝えられる。寺内には永徳4年(1384)銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)や永享11年(1439)銘の宝篋印塔がある。

本堂

本堂は寺伝によると、近世初頭に当地の富豪神戸長蔵が寄進して建てたといわれ、規模は桁行5間、梁間6間で、背面に半間の下屋がつく。正面に奥行1間の広縁をとり、外陣は正面3間、奥行1間、内陣は正面1間、奥行3間半、脇間は間口2間、奥行2間としている。脇間後部には奥行1間の位牌の間がある。内陣背面の下屋両脇には脇仏壇を置き、中央に後門を開く。来迎柱は脇仏壇前柱筋より半間前方に立ち、その前に禅宗様須弥壇を置く。来迎柱には彩色が施されている。また、来迎柱以外の柱は全て面取角柱である。なお、享保14年(1729)に屋根葺替、文化13年(1816)に修理をしているが、屋根には柿板(こけらいた)の軒付が残っており、当初は柿葺であったと考えられる。江戸初期までの形式を残す住宅風な姿を保っており、全国においても数少ない近世初頭に遡る貴重な浄土宗本堂の遺構である。

観音堂

観音堂は寺伝によると、犬山城下の魚屋町にあったものを寛永年間に名栗町に移築し、元禄3年(1690)に現在地に移ったという。2間四方規模の仏堂で、正面1間、縁が廻る。正面半間を吹き放し、内部は背面に張り出した仏壇を置き、両側に脇仏壇を置く。天井は内外共に格縁を黒漆塗りとした格天井、天井板には彩色を施している。なお、取り外された鬼瓦などに犬山の御瓦師高山一郎兵衛、享保弐拾年の銘が残る。

大師堂

大師堂が所在する地には、天保年間の様子がわかる『尾張名所図絵』によると渡廊が所在する。明治期に本堂の広縁西側に接し、観音堂北面と接して建てられたと思われる。

鐘楼

鐘楼は、鬼瓦の瓦銘から寛政8年(1796)の建築である。『尾張名所図絵』によると鐘楼には袴腰が描かれていない。

庫裏

庫裏は本堂の東に位置し、縦に2分し、本堂側を表向きの間、その反対側を内向きの間としている。本堂側は、内玄関、板敷の取り次ぎ、8畳間3室が並ぶ。内向き側は、旧来は土間であった部分が板敷の台所、続いて6畳間、8畳間、6畳間が並ぶ。座敷周囲の西、北及び東側には半間の廊下が廻る。外観は正面に唐破風屋根が残り、全体として保存状態は良い。

玄関

玄関は、本堂と庫裏の間に位置し、式台を上がると内部は本堂・庫裏に接続する板敷の廊下とその北側にトコと違棚の付く主室、さらにと次の間に続く。

山門

山門は、棟札によると明治10年(1877)に犬山城松の丸裏門を移築したものである。
簡素な造りであるが、木太い柱、扉の金物等に城門としての風格が感じられる。『松之丸裏門十分之一図』(天保13年頃)にある城門と形式がほぼ一致する。天保13年(1842)の火災後に建築されたと思われる。

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