
■登録理由
旧美濃路の角地に建ち、桁行13m梁間12m、木造つし2階建、切妻造桟瓦葺で、正背面の半間を下屋につくる。正面構えは、下屋に出格子をたて、上屋は格子窓を開け、側面けらばを漆喰で塗り込める。旧街道沿いの商家の繁栄を伝える大型町家である。
登録の基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
---|
■詳細解説

旧湊屋登録申請書_写真07
旧湊屋は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿を結んだ美濃路の宿場町であった起宿の街道沿いに位置する。江戸時代末期の屋敷構成を踏襲し、濃尾地震(明治24(1891))にも耐えた数少ない建物であり、万延元年(1860)の宿割絵図より、在郷商人であった湊屋文右衛門邸と考えられる。湊屋文右衛門は、船庄屋のもと船方肝煎(きもいり)役を分掌し、北陸地方など遠隔地と取引を行う有力商人であった。
店舗兼主屋は、木造つし2階建、切妻造、平入、桟瓦葺で、桁行13.1m、梁間12.4mである。敷地の南西角に街路に面して建ち、正面の概観は、1階に出格子を付け、2階正面を低くし、軒を深く構え、上下に長押を取り付け、格子をはめごろしとする。西側妻面は、下見板張りとする。1階は、東側の土間部と六間取りの居室部からなる。土間部は表の大戸から裏に通じる通土間 が当初の間取りである。平面の計画寸法は長辺6尺、短辺3尺の畳を基準とする中京間 となる。2階は、中央一列を畳敷の部屋とし、かつての通土間の上部は背面二間四方を除いて、八畳間、廊下及び物入に改造されている。当初は居室化されていなかったと考えられる。建築年代については、屋敷図が描かれた江戸末期の屋敷構成を踏襲し、明治前期に建てられたものと考えられる。