愛知県の国・県指定文化財と国の登録文化財

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魚町能狂言の面と装束(うおまちのうきょうげんのめんとしょうぞく)

分類 県指定
種別 工芸
所在地 豊橋市魚町
所有者等 魚町能楽保存会
指定(登録)年 平成8年(1996)
時代 鎌倉~室町
魚町能狂言の面と装束(装束)

魚町能狂言の面と装束(装束)

魚町能狂言の面と装束(面)

魚町能狂言の面と装束(面)

面67面(旧重要美術品6面含む) 装束126領 帯56点 計249点
【面】
豊橋市魚町能楽保存会所蔵の能・狂言面は総数93面であるが、そのうちの67面が明治維新の際に、吉田藩・松平(大河内)家より有償にて移置されたもので、今回はまずこれらを一括して提案するものである。
67面はすべて能面であり、現在甲類6箱、乙類6箱、各4乃至6面ずつが一箱に収められており、概して甲類の諸箱に収められたものに優品が多い。昭和17年に文部省によって重要美術品の認定をうけた6面もこのなかに含まれているが(1~6番)、特にこれらが選ばれた理由は、作品の上からは考えがたく、何か他に事情があってのことと思われる。総体的にみて、近世諸大名の多くが収集したいわゆる大名面のなかで、数量こそ多くはないが、質的にはかなり見られるものであるといえよう。
まず、近世初期の著名作家の作品をあげる。
(1)井関河内 8三光尉 9大癋見 10般若 13小面
        14中将 26三光尉
(2)出目是閑 17平太 18猩々 19真角 20釣眼
        21増女 22痩男 28痩男
(3)出目友閑 24小(牛)尉 25邯鄲男 27長霊癋見
(4)兒玉近江 29小天神 32小面
(5)出目古元利 53怪士
これらは主にその焼印によって作者が同定できるわけで、時に必ずしもその印を信じがたい作柄のものをみることがあるが、本件に関してはその不安を感ぜしめぬほど出来が揃っている。特に河内の作品中9大癋見は印とは別に「行年七十三歳、源家重(花押)」の朱漆銘があり、この花押は13小面の花押と同形である。こちらは金泥書で、「寛永乙亥(1635)、金春本面、井関写、家重(花押)」とあり、その書体は後世の写しである可能性もあるが、この面の髪部の彩色下に墨書があったことが報告されており、その内容については信ずるに足るものと思われる。近年河内についての研究が進み、その没年は従来の正保2年(1645)から大幅に延長し、明暦3年(1657)77才説(滋賀県海津、青光院、井関家過去帳による)が出されているが、それによるとこの大癋見は承応2年(1653)の制作ということになろう。いずれにせよ近世能面史の上で貴重な一作といえる。なお、10般若は金春の名物面(現永青文庫蔵)の忠実な模作であって、むしろ河内の模作面の方が後世に及ぼした影響が大きかったかとも考えられるのである。
大野出目初代是閑、三代友閑の作品が多く、越前出目とその傍流である兒玉、弟子出目(元利家)系統の作品が少ないのも一つの特色といえよう。前者の系統は近世末期の八代長雲(42中将、43増女、44曲見、45小面)、九代洞雲(35黒鬚、36三光尉、37真角、38邯鄲男、39平太、41小尉)まで関係していることが付属の面袋等で知られ、大名面と面打との相関を考える上に興味深い。
能面の種類として、かなりよく揃っているが、たとえば女面の類でも若女や節木増、深井が含まれておらず、金春の面を写すと銘記するもの4面(13小面、41小尉、44曲見、56喝食)をはじめ、金春流の面の写しが多くみうけられるのも、この一群の特色であろう。それは大河内家の能が金春流であったことを示唆するものであろうか。
以上のように、この一群の能面はいわゆる大名面の中では比較的小規模で、中世にさかのぼる古作に恵まれていないが、近世初期を中心に能面らしい能面として粒が揃っている。県下には尾張徳川家の一大コレクションはあるものの、全国的に視野を拡げれば注目すべきであり、能装束とともに伝来していることも貴重である。これら一括して指定、保存の途を講ずべきであろう。
【装束】
能楽は、もと所謂雑芸能といわれる田楽や古申楽から出たものであるが、室末前期15世紀前半頃、観阿弥、世阿弥の出現によって形式内容共に、舞台芸能としての体裁を整えて行ったものと考えられる。
日本の芸能には、能楽の他に公家を母体とする舞楽、庶民のエネルギーから発達した歌舞伎があるが、能は発生の当初から高級武家階級の庇護と、能楽そのものの高度な芸術性によって、現在では世界に冠たる舞台芸術としての名声を確固たるものにしている。
かく能楽は江戸時代に度々行われた奢侈禁止令に左右されることなく特別な処遇を受けることになったわけで、しかも幕府の式楽になったので隆盛に拍車かかることになった。従って、大名家は競って能楽にいそしむことになり、面や装束や小道具等に贅を尽くす風潮がさかんになった。魚町能楽会の保存する能装束がもとは、豊橋の藩主大河内家の伝来品が大部を占めるのも納得できることである。
大河内家関係の能装束を見ると、思いのまま五番立てをするには不十分と判断し、その欠を補う為には、能楽関係者、特に能に深い理解を有する人々、例えば小久保氏、滝崎氏、佐藤氏等の努力によって現在の魚町所蔵の能装束が形をなすに到ったと思われる。
今回提示した物件は、大河内家伝来と伝えられるものだけに限定した。所蔵品の中には、地元鳥居家旧蔵のもののほか、明治以降に調えられたものが混在している。それには判然とした記録がなく、未調査の部分もあるので、今次の指定からは除外することとした。
ともあれ、魚町能楽会の所蔵の面・装束は、他のコレクションと比べても、まったく遜色のない規模のものということができる。特に注目に値するものは、唐織では、紅白段鱗地に桜折枝文様厚板唐織、紅白紫段籠目に撫子文様唐織、白紫段檜垣に藤文様唐織、縫箔は紅地花入り七宝つなぎ桜に貝縫箔、また、長絹・舞衣類では、萌黄地柳に燕文様長絹、紅地絽金枝垂桜鳥の丸文様舞衣をあげることができる。これらは技術と内容の最も調和のとれた作行をみせた江戸時代の享保ごろの特徴をよくみせており、とりわけ萌黄地柳に燕文様長絹の柳に飛び交う燕の軽やかな表現は、形式に堕し易い長絹の中で能の舞の場面をもりたてるにふさわしい華婉にして幽風あふれるものだろう。
この他、大河内家の伝来品のなかには56点の鬘帯、腰帯が含まれているが、これらも装束同様、優品が多く含まれている。
以上のことから、旧大名家に伝来した能装束が、このように大量に伝来していることは貴重であり、これらを一括して指定、保存の途を講ずるべきであろう。

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