分類 | 県指定 |
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種別 | 考古資料 |
所在地 | 一宮市大和町(一宮市博物館) |
所有者等 | 中島文化財委員会 |
指定(登録)年 | 昭和34年(1959年) |
時代 | 鎌倉 |

中島出土骨壷
昭和15年4月、市内萩原町の東木戸北切において土取りの際、四耳壺を中央にして、6個の常滑窯産の三筋壺が、円形に配置された状態で出土し、いずれの壺にも灰と骨が遺存していたという。このうち三筋壺1個はその後行方不明となったが、他の6個は地元有志の組織する中島文化財委員会によって保存されてきた。これらの大きさは、四耳壺が25.5cm、常滑三筋壺5個が28.2cm~23.4cmで、三筋壺にはいずれも自然釉がよく掛かっている。四耳壺は瀬戸系とされていたが現在では、美濃須衛窯産とされるもので、三筋壺を含めいずれも製作時期が12世紀末葉から13世紀前葉に位置付けられる優品揃いである。
出土地周辺は中世墓地群と考えられ、隣接地でも土地改良工事が行われた際に、13世紀初頭の常滑窯産の三筋壺1個と12世紀末葉の猿投系ないし瀬戸系の四耳壺の破片が出土している。このうちの常滑三筋壺は、高さ25cmの大きさで先の5個とよく類似しており、隣接地の出土であることから一括の考古資料として先の6個に加えて指定された。
これらは鎌倉時代初期から前期にかけての火葬蔵骨壺の一括資料として貴重な資料である。