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新たな故郷の花祭りのお話し(豊橋市西幸町「御幸神社」)

新たな故郷の花祭りのお話し(豊橋市西幸町「御幸神社」)

 花祭りは、奥三河において数百年の昔から続く神事芸能で、天竜川水系の深山幽谷を修行の場とした修験者などから大きな影響を受けたとされています。
 花祭りは、寒さ厳しい霜月(新暦の12月~1月)の時季に、天竜川水系の振草川とその支流である大入川流域の東栄町、豊根村、設楽町津具において、現在は15の集落で実施されていますが、本年度は、コロナ禍の影響によって中止となっています。
 話は飛んで、豊橋市の南部に広がる台地。
 この辺りは、終戦まで陸軍の演習地となっていましたが、戦後大規模な開拓事業が実施され、軍関係者など多くの人が入植しました。特に豊根村では、食糧不足、農耕地不足を解消するために、村を挙げた開拓事業を展開し、村内の様々な集落から、100世帯を超える人々がこの地に入植しました。
 このため、その後に入植者の手によって建立された御幸神社(豊橋市西幸町)には、豊根村からの入植者の出身集落それぞれの氏神様もお祀りされているとのことです。
 一方で、これらの開拓地は、もともと農業に不向きな土地であったことから、開拓には多くの苦労がともない、離脱する人も少なくありませんでした。
 そうしたなか、豊根村出身の入植者の間で、御幸神社を心の拠り所として、故郷の花祭りを再現しようとする動きが始まりました。
 時を同じくして、豊根村周辺では、戦後の電力需要、水需要に応えるための一大事業として佐久間ダム及び新豊根ダムの建設事業が進行しており、これによって豊根村内のいくつかの集落が水没することとなりました。
 これを受けて、豊根村出身の入植者は、ダム建設により水没する集落から花祭りに不可欠な鬼の面などを譲り受けて、豊橋の地で新たな花祭りを始めることとしました。
 その後、豊橋市南部の開拓地は、入植者のたゆまぬ努力と豊川用水の通水などによって、今では全国でも有数の農業地帯となりました。
 長年の開拓の苦労のなかで、ダム湖底に沈んだ故郷の面を着けて舞う「新たな故郷の花祭り」は、入植者の心の支えとなりましたが、一方で、佐久間ダムからの導水もまた、豊川用水を通じて開拓地を潤すことによって入植者を支えることとなりました。
御幸神社正面
 御幸神社の花祭りは毎年1月4日に行われますが、今年度はコロナ禍の影響によって中止となりました。
 来年はコロナ禍が治まり、また、豊橋の地で花祭りが行われることを祈念しております。

本日のこぼれ話し

 豊川用水の水瓶である宇連ダムは、流域面積が狭く十分な水の確保が難しいことから、天竜川水系から流域変更し、大入頭首工と振草頭首工によって、宇連ダムに導水を行っています。
 また、5月6日から9月20日までの期間内において、一定の条件の下、佐久間ダムから導水路を通じて、直接、宇連川支流の亀淵川に導水を行っています。
 このように、豊川用水は、天竜川水系の水の恵にも助けられています。