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2 里山の成り立ちと自然

ページID:0005797 掲載日:2008年3月13日更新 印刷ページ表示

2-1 里山の成り立ち

 里山とは都市や集落に近い山すそで、農業や果樹園芸、あるいは林業など多様な土地利用が行われている地域一帯を指します。その里山に立地する森林が「里山林」で、人々が古くから利用してきた結果形成された雑木林や竹林、人工林などが多くを占めています。

  なかでも雑木林は、林業で重要視されるスギやヒノキなどの「有用材」を除いた種々様々な樹種により構成され、萌芽更新(伐採して芽吹きさせる方法)によって循環してきた森林で、昨今、急速に人の利用が遠のいた場所といえます。

 人々が薪をとったり、炭焼をしたり、農業用の資材(稲かけ、囲い柵、作業小屋材など)を採取したり、所によっては木を利用した小物の工芸品(小箱、そろばん玉、蛇の目傘の材料、器、玉のれんなど)加工に向けたり、土木用資材(杭、土地改良用に地中に埋めるそだなど)を確保する場であったり、実に様々な森林資源の利用が里山の雑木林で行われてきました。

 さらに里山の森林を「場所」として利用することも盛んに行われてきました。しいたけを生産するために菌を植え込んだ原木の伏せ込み(しいたけ菌の発育養生をすること)の場として、雑木林は最適です。また時期を違えて様々に咲く花を利用した養蜂(蜂を飼って蜜をとる)の場にもなります。

 森林がきれいな水を絶え間なく供給してくれることを活用した苺苗の育成や、わさびの栽培の場にもなっています。森の中の渓流を利用した渓流魚の養殖もまた、雑木林の活用のひとつになるでしょう。また、湧き出す水はため池に貯えられ、里の田畑をうるおしていました。さらにいえば、林床に積もる小枝や落ち葉はまた田畑を肥やしてもくれました。

 このように里山の雑木林は、無限といってよいほどの生産的な価値や恵みを人間社会に与え続けてきたのです。それらに加えて現在では自然教育の場としての利用や、健康づくりスポーツの場としても利用されています。

 里山の雑木林は、まさしく「多様な人と森との営みの世界」であるといってよいでしょう。

 このような「雑木林の世界」に包まれて、里山地域の土地利用もまた多様な姿をとってきたのです。竹林や果樹園、菜園、桑畑、水田、集落地等の多種の土地利用が複合して、変化に富んだ景観を形成してきたのが里山の特徴です。

 

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2-2 里山のダイナミズム

 話は木だけのことにとどまりません。里山(雑木林)のなかは多様な植物や動物の共存・共生の場となっていますが、それは定期的に伐採(更新)され、また毎年の下草刈りや落ち葉かきによって林床が豊かに保たれていることにより、はじめて成立する関係にあります。しかし、長年放置されていたためにその環境がすっかり崩れてしまったのが今日の里山の姿です。

 かつて雑木林は適当な大きさになると伐採されていました。木の成長は場所によって違うので、その結果、成長の度合いに応じて伐採の期間が異なるため、一つの山のなかに、伐採されたところとされていないところ、成長途中のところなど、異なる植生がパッチワーク状に展開していました。昔の雑木林、あるいは里山は、いま見られるように一面ほぼ単一の大きさの木が生えているような場所ではなかったのです。

 さらに、伐採の場所は順に移り循環させていました。雑木林は安定した植物群からなっていて、それが多様な姿を見せているというわけではなく、林床の植物は15年から、20年に一度伐採されることによって力を盛り返し、木が成長するにつれて衰弱し、再び木が伐られるのを待つというように、更新のローテーションによる非常にダイナミックな動きが多様な植物群を育んでいたのです。

 伐採されたばかりのところには日当たりのよいススキ草原で見られるミツバツチグリ、キジムシロ、ホタルブクロ、シラヤマギク、ヤマハギ、アマドコロ、クサボケ、リンドウ、カワラナデシコ、一部のキキョウ、オミナエシなどの草原植物が生え、伐採されていない部分との境界付近には、キツネノカミソリ、ヤマユリなどの林縁植物がありました。森のなかに入れば、林内植物があったのです。 

 これらの植物の趨勢は、木々の成長に伴って変化しました。

 たとえば、木が伐られた部分では、それまで木々の下のほうで耐えていたヤマユリがいっせいに元気を取り戻す。数年後、萌芽した木が3mくらいに成長すると、そろそろ地表は陰り始めるが、このころヤマユリの球根は一番大きくなるので、花をたくさん咲かせ、種子を四方に飛び散らせます。

 その後は徐々に花が咲かなくなり、また次の伐採までじっと待つことになります。一方、雑木林にすんでいる動物は、植物のように次の伐採を待つのではなく、更新のローテーションに従って移動していきます。

 昔の山は遠くから眺めると、木のあるところとないところがパッチワークのように混在していて、いまの山のように一様な感じではなかったが、夏になると青々とした葉が茂っている部分もあれば、ところどころにヤマユリが一面咲いている部分があったりしました。どちらをきれいと感じるかは人によって違うかもしれませんが、多様な自然が存在したのは昔の山のほうだったといえるでしょう。

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 里山の雑木林が多様な生物群で構成されているのは、人との関わりに負うところが大きいと言うことは流々述べましたが、そうした雑木林を守る植物群としてソデ群落、マント群落の存在が重要になっています。林縁や踏み分け道から、ちょうど雑木林の表皮、いわば着物にあたる欠かせない役割を果たす植物群落がそれであります。

 これは里山の植物還移の様子にも相当しており、裸地から1~10年くらいの土地に出現する一年草、多年草のグループがほぼソデ群落にあたり、さらに10~15年経ったあたりに占めてくる草本、低木類のグループ、これがほぼマント群落とみなされます。雑木林のソデ、マント群落が観光道路、住宅地造成などによって削り取られ、林内へ風や雨、雪、霜、太陽光線が急激に進入したり、車の排ガスなどの影響を強く受けると、雑木林の林床にあるヤブランやキンランなどの植物を荒廃させてしまいます。

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2-3 人との多様な関わり

 生活と里山(雑木林)とのかかわりが絶たれてから40年近くが過ぎ、人々の自然に対する認識とか森林観といったものは、かなり変化してきているように思われます。最近、自然を守るために森や林には人が手をつけないほうがよいという意見もありますが、この考え方は雑木林を守ることとまったく相反しています。森を遠くから眺めるのはよいのですが、なかに入って行くのはいけないというのだから、いわば景観としてだけの森林であって、もはや生活の一部としては見なされていないことになります。

 自然のままがよいという人たちには、里山(雑木林)はある意味ではきゃしゃなものだから、「人が手を入れることによって雑木林として維持していくことができる」という話はなかなか納得してもらえません。放置されたままだと全体的には木が大きくなっていきますが、どれかが老化した段階でその木を伐り、空間ができても、その老木はもはや萌芽して若い世代を生み出す力はありません。萌芽更新させるには、20~30年の樹齢の木を伐採してやり、多くの株を立たせて、その中から成長力の強いものを数本残し、育てていく方法がとられます。いつも成長過程にある異なった樹齢の木を確保し、森を健全に育てるために、人が手を入れることは有効な方法となるのです。

 また、手入れされずに上層が閉鎖され、光が入らない林床では、野生植物の種子は芽を出すことができません。また、芽を出しても十分成長することができず、ついには裸地化してしまうことさえあるのです。植物の種類の豊富さを確保するためには、林床の適当な光環境を整えてやる必要があるのです。それが雑木林の手入れであり、木を伐ることに意義があるのです。

 しかし、人の手によって林内の光環境を調整し、多様な植生を形成するには、かなりの時間がかかります。どうにか効果が出てきたと思えるようになるまで、少なくとも三年はかかるでしょう。森に元からあったものを全部再生させようとしても、「まかぬ種は生えない」のが道理で、すでに完全に失われてしまった植物が生えるわけではありません。

 そこにはもともとどういう植物が生えていたのか、それらがどのように成長し、また種類の交替や種数の増減があったのかを分析し、多様な生態系を復元するには、数十年、否百年を越える年月が必要とされるでしょう。

 里山の荒廃が決定的に進まないうちに、適正な人為的管理を持続することが、その地域独特の里山生態系を保全するために重要となるのです。今ならまだ間に合います。

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2-4 変わりゆく里山

 わが国の多くの都市は、海と山のはざまに立地しています。広大無辺の海につながる海岸線と森閑と広がる森につながる里山地帯(「里山線」といえましょう)に囲まれ、私たちは生活をしています。

 私たちの生活環境を形成する上で、身近で重要な自然環境が海岸線と里山線です。しかし、過去、都市の発達が海岸線を人工海岸に変えて自然を侵すと同時に、里山線をも開発によって失ってきました。

 世界の国々のなかでも、卓越する長い海岸線をもつのが、わが日本列島であります。しかし今、その海岸線のどれだけが自然海岸の状態をとどめているのでしょうか。自然海岸の喪失は、清らかな海の水の、陸地からの後退をともなっています。私たちは海の碧を、足元から失ってしまったのです。

 そして里山に目を転じてみましょう。都市の膨張は、里山の緑線を後退させていきました。里山は、ゴルフ場開発など、都市のもつべき本質的な機能充実とは無関係な開発によって、かつての豊かで身近な緑の場としての意義を、喪失していったのであります。また、松くい虫による被害がさらに追い打ちをかけ、人の入らなくなった松林は枯れるにまかせられ、人々の生活意識の中からも無用化されていきました。

 言いかえれば都市は、里山の緑、里山線にも背を向け、環境保全よりも経済効率を求める道をひた走ったのです。そしていわゆるバブル経済のはじけた後、私たちの前には、海の碧と里山の緑という、かけがえのない財産とそこに関わる日常の知恵とを失ってしまったような気がします。この事実は、単に場所としての自然海岸や里山の林が失われてきたことのみを示すのではなく、そこにかかわってきた人々の営みや心そのものが、失なわれたことをも示しているのです。

 消失した環境は、技術的な対応や法制度の整備によって取り戻せるかもしれません。しかし、一度失われた人々の営みや心は、いかに取り戻せましょうか。多くの地域で私たちは、この重い問いに直面し、考えなければならない時期を迎えています。

 わが国において、人と森の関係はおそらく数千年の歴史をつみかさねて保たれてきたでしょう。僅か半世紀にも満たない間にその多くを失ってしまったのが私たちの世紀末とすれば。やがて21世紀、私たちは人と森との関係を取り戻す「新しい千年」の出発点に立たねばならないと考えます。

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