窯場今昔100選  仲野泰裕

(4) 相馬焼

福島県の浜通りに位置する相馬駒焼、あるいは大堀相馬焼、またこれらを含む相馬郡、双葉郡を中心とした地域で焼かれた陶器を大堀焼と総称している。

相馬駒焼(福島県相馬市中村字田町)は、相馬藩の御留窯(おとめがま)で幕府や大名などへの贈答や藩主が使う茶陶を主に制作した。初代田代源吾右衛門は仁清のもとで7年にわたる修行を重ねて、仁清より一字を貰い清治右衛門と改めて当地に開窯したとされている。初代は仁青風の作品を焼いたと伝えられるが、二代以降は、ざっくりとした砂の混ざる土に浅黄色の釉が流し掛けられ、鉄絵で右駒と呼ばれる左向きの馬の描かれた作品が多く焼かれている。

素地の特徴から砂焼、文様から駒焼とも呼ばれたが、江戸時代には駒絵を田代窯以外で描くことは禁じられていた。また幕末頃より器の肩から青罅釉(あおひびゆう)を流し掛ける作品も新しい意匠として加わっており、現在は十五代がその伝統を守っている。江戸初期の築窯と伝えられる砂床の丸窯は、相馬市の市街地の中に現在も残っており、県の重要有形民俗文化財の指定を受けている。

大堀相馬焼(双葉郡浪江町大堀)は、半谷(はんがい)休閑の下僕左馬が相馬中村において製陶法を取得し、元禄三年(1690)頃大堀村に開窯した。駒の絵を描いた茶碗が評判となり、村をあげて徳利や土瓶などの日用雑器を生産したとされる。緻密な胎土で薄手に仕上げられた碗や小鉢などは、大消費地である江戸においても京焼や信楽焼などと競うほどであった。

文化元年(1804)には藩が瀬戸役所を設置、江戸と箱館に販売所を開き販路拡大に努めており東海地方最大の窯業地となった。維新後やや衰退したが、鮫焼土瓶(さめやきどびん)が開発され、アメリカへ大量に輸出されることにより盛況となった。

現在は伝統工芸品の指定を受け駒絵や青罅釉などを特徴とするやきものの産地として知られている。また東北地方の近世諸窯の資料を主に展示している東北陶磁文化館(宮城県加美町)において観覧が可能である。



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