窯場今昔100選  仲野泰裕

(5) 砥部焼

松山市内から国道33号を約12km。砥部川沿いに発展した愛媛県伊予郡砥部町で焼かれた陶磁器。

文献史料などによると、大南村や北川毛村において、元文年間(1734-41)頃には陶器が焼かれていたとされる。その後、大洲藩主の命により、杉野丈助が五本松上原(ごほんまつかんばら)において磁器の開発に着手した。試行錯誤の後、安永6年(1777)に白磁の焼成に成功した。

さらに文政元年(1818)には、川登(かわのぼり)において良質の陶石が発見されたことにより素地の改良が進み、販路を拡げることができた。上原窯跡や大下田(おおげた)1号窯跡が発掘調査されており、窯跡からは、広東碗、丸碗、皿、鉢、花瓶、徳利、急須などが出土している(現在、一部関連史料を当館第6展示室の全国古窯コーナーにて展示)。

また上原窯跡からは「安永九」年銘の磁器片が出土しており、磁器創始年代をほぼ裏付けている。

近代には、型紙絵付による量産品や、砥部ボールと呼ばれる中国・東南アジア向けの輸出品などが焼かれている。一方で、五松斎窯の豪華な錦手や、精巧な細工で飛魚を刻んだ愛山窯の製品などが注目を集めている。

現在、砥部焼には、90軒ほどの窯元が知られている。やや肉厚であるが、手に馴染み、僅かに濁りのある暖かみのある白磁が、砥部焼の特徴となっている。歴史的な資料は、砥部焼伝統産業会館において、江戸時代から現代に至る砥部焼について展示されており、全体的な概要の理解を深めることができる。さらに梅野精陶所のなかにも梅山古陶資料館があるほか、製作工程や巨大な登窯の見学もできる。また、遊歩道・陶板の道をのぼりつめた丘は陶祖ヶ丘とよばれ、杉野丈助の碑や、各時代の陶磁片を埋め込んだ陶壁がある。さらに砥部川に沿って山道を登ったところに陶石粉砕用の水車が1基残されている。



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