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窯場今昔100選  仲野泰裕

(9) 豊楽焼

 豊楽焼は、愛知県名古屋市中区大須(旧・前津)の万松寺南の隠郷(香久連里)で焼かれた軟質陶器で、江戸時代後期から大正年間にかけて、130年以上にわたって焼きつがれてきたが、現在は途絶えている。
 「ほうらくやき」とも訓み、尾張藩御焼物師加藤利慶(1708-96)を初代とする。二代豊八(?-1801)まで続いており、三代豊介(豊助・1779-1864)以降は大喜(だいき)姓を名乗っている。『煎茶早指南』(1801)には、「急焼(きびしょ)」をのぞけば「京師に、もとむるに及ばず」と、煎茶器の名手として三代豊介(豊助)が紹介されている。
 このほか、豊楽焼は『金府繁栄風流選』(1837)、『尾張名所図会』(1844)などの、江戸時代後期の文献に紹介されるとともに、高く評価されている。
 製品には、草花木石を主題として絵付けを施し、緑釉を数箇所流し掛けた意匠が多く、土風炉、涼炉、水指、蓋物、棗、茶碗、茗碗、花器、盆、重箱などが知られている。
 また四代豊助(1813-58)は、器の一部に漆を塗り、蒔絵を施した木具写しを考案したことで知られる。大変な好評を得ており、五代豊助以降も制作している。
 「利慶」「豊八」「豊助」「豊楽」などの印銘のほか、箆彫りの銘も知られるが、三代以降、豊助を名乗るため作品ごとに何代の作かを判定するのは非常に難しい点が多い。
(平成18年 『釉人』第71号掲載)
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