食器よもやま話  著:神崎かず子

(1) 土師器(はじき)と須恵器(すえき)

現在の私たちにとって、日々の生活の中にある身近な陶磁器の筆頭は「食器」であろうと思います。当館では2007 年に「うつわ百花繚乱?尾張の食器文化」展を開催しましたが、この企画のねらいどころは、江戸時代の尾張の食器を紹介しつつ、そのスタイルは食習慣と料理によって決まり洗練されていく、という視点でした。

そこでこの連載でも、陶磁器の食器はどのように受け入れられて現在に至るのか、またその特性はどのように活かされているのか、といった点を考えてみたいと思います。

日本の食文化の源流をたどると、縄文時代以降煮炊きなどの調理は土器( のちに土師器)を用いており、この流れは現在の土鍋まで途絶えることなく継続しています。また食器に関しては、はじめ植物の葉や木器な どが多用され、土器も次第に併用されるようになり、やがて漆器や陶磁器など多種多様な食器が登場していったと考えられています。

文献資料が伝わる奈良時代以降は、食に関する様々な記録とともに料理内容も伝えられています。たとえば新嘗祭(にいなめさい)などの宮廷祭祀、平安時代から開催されるようになった宮中または大臣家の大饗(だいきょう)では、生もの・干物・燻製などの他、煮物・蒸し物・塩漬け・なれ鮨といった料理が供されています。これらの料理は献立の中で各々が対等の関係であり、メインとなる品目はないことが注目されます。し たがって、食器にも同様の傾向が見受けられ、同じ種類の器が用いられ記録にも残されています。

具体的には、新嘗祭に近い例として春日若宮おん祭や春日大社の春日祭の神饌(しんせん)が伝えられており、大饗については近衛家(陽明文庫)に伝世する「大臣大饗図」にそのときの様子が詳細に描かれています。ここで食器に注目すると、使用されているのは皿類のようであり、形状・大きさともほぼ同種のものが並べられ、そこに料理が盛り付けられています。神々を迎える饗宴と公的な宴を比較すると、その献立内容や饗膳にも大きな差異は認められないことが分かります。

神饌に用いられる器はその時のみ使用されるもので、「土器(かわらけ)」と称される土師器であることは周知の通りです。大饗の記録では「飯」の隣の碗皿類4 枚が調味料(塩・酢・酒・醤)入れに使われ、その他も含め全ての食器が須恵器であろうと考えられています。このように同種の器を大量生産でき、酢などの調味料にも影響を受けないやきものは、食器に適した素材として受け入れられたと思われます。



※ コラム内容は、すべて掲載当時の状況に基づいています。
※ 本ページの文章・データ(画像を含む)の複製および転載を禁じます。