食器よもやま話  著:神崎かず子

(4) 応量器

先回は室町時代の「本膳(ほんぜん)」とよばれる供応料理、すなわち御成や寄合の会(連歌、生け花など)、飲茶勝負や淋汗(りんかん)茶の湯などで供された饗宴料理について紹介しました。これらは膳に乗せて客前に置かれ、献立が多くなると膳が増えるという形式でしたので、本膳の象徴的な器は「膳」と考え、また、『太平記』や『喫茶往来』などに描かれた豪奢な宴会では抹茶が振舞われていることから、こうした時に用いられたのは瀬戸天目と推察しました。

一方、この時代は「精進料理」が普及し、日本料理に取り入れられ定着していった時代でもありました。鎌倉時代に禅宗がもたらされ、13世紀末には日中間で禅僧の活発な交流があり、また、有力な武家たちの帰依によって、曹洞宗・臨済宗はともに成長をとげていきました。同時に、寺院内での生活規範は信徒の広がりとともに各地・各方面に伝えられ、中国的な精進料理も南北朝から室町時代にはひろく社会に浸透していったと考えられています。精進料理の料理人は「調菜(ちょうさい)」あるいは「調菜人」と呼ばれ、本膳料理の「庖丁人」とともに腕を振るう様子が、16世紀頃の絵巻物に描かれています。

精進料理の食器については、日々の食事と開山忌法要の斎(とき)(昼食)などに用いられるものは使い分けられています。寺院での毎日の食事は、僧侶各人の管理する黒漆塗りの応量器(大中小の入れ子になった三重の漆器椀)が用いられます。これらはその包み布などの上に広げられ、飯・汁・菜が給仕されます。食器は各人が使用し、洗い、保管するもので、漆器はそうした利用に適しているといえるのでしょう。また、菜については大鉢などに盛り付け、各人が必要分を器に取って次の人に手渡すという、取り回しが行われる場合もあり、こうした場合の鉢皿類には、桶や陶磁器などが用いられています。一方、開山忌などの特別な日には、臨済宗の場合、朱塗りの膳に揃いの椀が用いられます。

ちなみに、精進料理とは魚肉・肉食をしない禅宗寺院での料理ですが、「魚肉もどき」までも作る高度な調理法、あるいは豆腐・沢庵をはじめとする新しい食品の加工法など、日本料理への影響は計り知れないものがあります。一方で、本膳料理は魚鳥を用い、味付けはカツオ・コンブのだし・醤油・味噌・塩など、料理法は焼き物・煮物・汁物・あえ物などがあり、全体として手間をかけた料理で、配膳や飾り付けにも規範が伴う式正料理として完成されました。このように室町時代は、日本料理の代表的食材や調理法、伝統的な食事作法などがほぼ完成した時代でした。この後、日本料理の新たな展開が禅宗寺院と武家の食文化を融合させた場となったのは、必然的な流れでもありました。



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