定例議会・臨時議会情報
委員会情報
委員会審査状況
健康福祉委員会
( 委 員 会 )
日 時 平成23年8月18日(木) 午後0時58分~
会 場 第1委員会室
出 席 者
浅井よしたか、須崎かん 正副委員長
筒井タカヤ、内田康宏、奥村悠二、鈴木孝昌、堀嵜純一、
松山 登、西川厚志、樹神義和、みやけ功、東 裕子、
犬飼明佳 各委員
石川 清 参考人(名古屋第二赤十字病院 院長)
健康福祉部長、同次長、健康担当局長、担当局次長、
技監、関係各課長等

委員会審査風景
<付託案件等>
災害時の医療関係者の業務について
<会議の概要>
1 開 会
2 委員長あいさつ
3 議題について参考人からの意見聴取
4 質 疑
5 閉 会
《参考人の意見陳述》
【石川参考人】
名古屋第二赤十字病院の石川です。日頃は病院運営に多大なサポートをしていただきましてありがとうございます。また、本日はこのような機会をいただきましてありがとうございます。東日本大震災が起きてから半年になりますけれども、今多くの医療関係については撤収をしています。そういう中で日本赤十字社はまだ救援活動を続けています。当院からもまだ数名が石巻で頑張っています。しかし、被災地の状況というのは決してまだまだサポートが必要なくなる状況ではなくて、特にこころのケアについては、半年やそこらで収まるという状況ではないと思います。1年とか2年は恐らくまだ大変な状況が続くと思います。石巻赤十字病院の患者さんの中には首をつって自殺を図り病院に運ばれたという人が何人かいるということで、被災者の皆さんはまだ大変な状況にあると思います。
当院は全病院挙げて支援を行うということで取り組んできましたけれども、派遣をする目的はまず第1に被災者のためにということですが、もう一つ、我々自身のためにということがあります。それは現地に行って、実際、救援にあたるということは、今後、この地域で起こったときにどのように対応するかということを身をもって感じ、非常に参考になるということです。そういう意味で今回うちの病院から230名近くのスタッフが行きましたけれども、皆そういう思いを持って帰ってきたので、恐らくこの地域で震災が起こったときにも頑張ってくれると思っています。
本日はそういったことを交えて話をしたいと思いますけれども、ほとんど写真ばかりなので、なるべくメモをしなくてもいいように字のところはお手元の資料に掲げてありますのでこちらのスライドを見ていただいて話を聞いていただければと思います。
今日の話の内容ですけれども、大災害から学んだ教訓ということで東日本大震災及び過去の大災害から学んだ教訓、それから、もう一つは来るべき東海地震に備えてということで話をしたいと思います。まず、今回の大震災及び過去の大災害から学んだ教訓ということで話をしたいと思いますが、地震発災直後の情報として、3月11日の14時46分三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生、このとき宮城県や福島県では広い範囲で震度6強など強い揺れを観測したという情報が流されました。実際、その後の映像は皆さんテレビ等で御覧になったと思います。非常に悲惨な状況でした。それで、今回の被害ですけれども、千年に一度、観測史上最大の巨大地震であり津波災害による甚大な被害があった。もう一つ、福島原発での爆発や炉心の融解ということで歴史的な原発事故、今日はこの話については別の話なので取り上げておりません。現在までに死者1万5,000人以上、行方不明者4,800人以上という数字が出されています。今回、いろいろなところで想定外の大災害という話が出ていますけれども、本当に想定外かということなんですね。スマトラ島沖地震津波、これは、2004年12月26日に起きたマグニチュード9.0の地震で、22万人の死者が出ました。このとき言われたのが、観測史上4番目の巨大地震で阪神・淡路大震災の1,600倍、史上最悪の津波災害であったということでした。このときはスマトラ島のムラボの近くの震源地でマグニチュード9.0の地震があって、その3か月後にほぼ同じ規模の地震がもう一度起こりました。二度目の時はそれほど大きな津波はありませんでしたけれども同じような規模の地震がありました。今回、また同じような地震が来るのではないかという懸念も現地では言われていました。東日本大震災の被災地はスマトラ島沖地震津波災害の被災地と全く同じ光景だったと思います。空から見ると津波が来たところは、全く破壊されていましたし、地上に降りて見てみても同じような状況の被害を受けていました。空から見ると津波が来たところと来ていないところがはっきり区別でき、実際、町の中に入ってみても津波の被災地とそうでないところの余りの違いに異様な現状がありました。津波にあっていないところは日常の生活がその直後からなされていましたし、そこから数キロも離れていないところでは廃虚となっていました。これと同じ状況を今回仙台で目にしました。5月、仙台駅近くでは全く津波にあっていないため普通の生活が行われていて、そこから数キロ離れた仙台港近くでは全く廃虚になっていました。今回、いろいろな被災地の人たちと話をするなかで津波の恐ろしさやすさまじさは想像を絶するということを聞きました。スマトラ島沖地震津波の際、現地のアンドレアという通訳として雇った人が言うには、地震が起きて数時間たって津波が海岸のほうに来るのが見えた。それで、自分は急いで子供2人をオートバイに乗せて山の方に逃げて助かった。しかし、他の周りの人たちは逃げなかったのでほとんどの人が津波にのまれた。何時間かたった後に水が引いてから村の方に降りて行ったらそこら中に遺体が浮いていたという話をしてくれました。また、自分の家のあったところに行ってみたら、家が跡形もなく、なくなっていたという話もしてくれました。すさまじい現状があったと思います。まさかの大津波ということで誰も対策を知らない。これは現地の状況ですけれども、被災地の子供たちは津波のことを知らないので地震が起こった直後も海岸で遊んでいる。向こうから津波が来るのを全く分かっていない。親もそれを知らない。結局、この子供たちは津波に飲み込まれてみんな亡くなってしまったという映像です。このように日本の国内でもいろいろなことが話題になりました。こういう状況が今回も恐らく幾つかのところではあったかと思います。スマトラ島沖地震のときには、シムルー島という震源地に近い島があるんですけれども、この北部でやはり同じように津波による被害がありました。このときの状況を空から見るとこのような状況だったんですけども、このときの被害は人口7万9,000人のうち被災者が1万9,000人、しかし、死者はたったの11人であった。その理由は島の震災の歴史の中で大津波を経験している。2002年にはマグニチュード6の大地震を経験していて、この島民は津波を知っていたので地震があった直後に皆山へ逃げたんだそうです。それで、この島民はほとんどの人が助かったという話がありました。
スマトラ島沖地震津波の後、東海・東南海地震の同時発生による津波被害予測というのが出されていて、このときに、もし津波が来れば死者は1万7,000人と想定されるということが新聞紙上でも出ていました。その中には想定以上の大きな津波が来襲する可能性があり、10メートルを超える津波が来襲するとした地域では津波が10分前後で到達して避難が間に合わず70から80パーセントの住民が死亡するというものがあった。同じようなことが今回起こっているということで今回の津波が想定外というのはひょっとして違うんじゃないかと思う。2005年の防災白書では住民の津波に対する危機意識は低いということが言われています。今回、現地の被害状況が非常に広範で甚大であったということが問題になっていますけれども、この被害の全容が明らかになるにはかなりの時間がかかりました。この地震発生からの日数と犠牲者の数ですけれども、阪神・淡路大震災のときには数日後には大体の犠牲者の数が分かっていた。しかし、今回は2週間たってもその数が分からない。要するに不明者の数が出ているということですね。それで被害の全容が分からなかった。最終的な犠牲者の数はいまだ不明ということで、まだ犠牲者のはっきりした数字が分からないというのが現状です。
今回、石巻地区、被害が一番大きいところに我々は救援に行きました。日本赤十字社は全国から支援に行っていますけれども、同じ所にたくさん行っても意味がないので、全国をブロックに分けてそのブロックごとに担当を決めて支援をするという方針がなされていましたので、我々第3ブロックは宮城県を担当するという方針で支援を行いました。特に、石巻地区では、よく話題に出てくる女川、東松島の一部の地域が一番被害が大きかったと思います。この石巻地区でマスコミによく取り上げられた話題として、大川小学校や日和幼稚園の送迎バスの悲劇、それから震災から9日ぶりに救助された祖母と孫の話があります。この話を少ししたいと思いますけども、大川小学校の悲劇というのは、全校児童108人中74人が亡くなり、教員13人中10人が死亡又は行方不明になった。地震が起こった直後、多くの人たちが校庭で何十分間か時間をロスして、40分くらい後に大きな津波が来るからやっぱり逃げないといけないということで高台に行くための道を川の方に向かったところで津波にあった。それで、ほとんどの人がその津波に巻き込まれて亡くなった。もっと早く裏山に逃げていればみんな助かったんじゃないかということで、父兄からいろいろな疑問が出されている。しかし、先生もたくさん亡くなっているのでどこに責任があるということは言えないんですけども、そういった悲劇が起きたのが大川小学校の悲劇ですね。それから、日和幼稚園の悲劇というのは、地震があった後に園児を自宅に返そうと12人を乗せた送迎バスが7人を高台の避難所で降ろした後に海に近いところに送って行くところで、津波警報に気付いて幼稚園に引き返そうとしたときに津波に飲み込まれた、それで園児5人が死亡したという話ですけれども、この幼稚園は高台にあるんですけども、子どもたちが寒がったり、あるいは怖がるのでその高台からわざわざ親元に届けようということで高台から下りていったところで津波に巻き込まれたということです。助かった園児と亡くなった園児とその親御さんたちの心境というのは非常に難しいものがあるんですけれども、当院の看護師がこの幼稚園の入園式と卒園式に呼ばれて何か話をしてほしいということで話をしたことがあります。それで、亡くなった子供さんの親、生きている子供さんの親、入り混じった中で対応するのは非常に難しい状況だったと思いますけども、当院の看護師がこころのケアを勉強している人だったのでしっかりその任務をこなしましたけども、帰ってきてから泣いていました。その悲しい状況を報告するたびに泣いていました。この大震災ではほとんどの被災者が非常に悲惨な体験をしており、早期からストレスに起因する身体的精神的訴えが多く、こころのケアが最も重要な医療支援の一つであったということが言えるかと思います。それから、もう一つあった別の話として、マスコミで話題となったものですが、石巻赤十字病院に搬送された患者さんで9日ぶりに救助された祖母と孫の話がありました。普通、9日間生きているのは奇跡と言ってもいい。災害のときには72時間がゴールデンタイムと言われており、生死の分け目としては3日たてばもう助からないというのが普通です。それが9日ぶりに助かったということで話題になりました。こういう状況の中にも奇跡というのはあると思います。
今回、被災地の病院はどうであったかという話をしたいと思いますけども、石巻地区には一番大きな病院として石巻赤十字病院、それから石巻市立病院があります。あとは個人病院や町立病院で女川町立病院とかそういう病院があります。石巻赤十字病院以外はほとんどが診療できなくなった。それで、診療機能を失わなかったこの病院の状況はどうであったかといいますと、この病院は免震構造であって病院周囲に広大なスペースがある。ヘリポートがすぐそばにあって利便性がある。広い正面入口、広い正面玄関内のスペース、地下には広い倉庫スペースがあり高速道路がすぐ脇を通っていてインターチェンジがすぐ近くにある。それから、5年前に海岸線より5キロ内陸の地に新築移転したということで津波も目の前の畑まで来たけれども被害にはあっていない。この地区の災害拠点病院としてほぼ完璧な病院であった。この病院の被災の状況は非常に軽微で書棚の書類が散乱した、あるいは、正面玄関の地面に亀裂が起こったり、バイクや自転車が転倒したという程度であった。もちろん停電にはなりましたけれども、自家発電装置が動いてすぐ機能している。この病院では日頃から災害訓練をしていましたので、発災7分後には災害対策本部を立ち上げて院内の状況を把握し、また、39分後にはトリアージエリアを設置して各職員を持ち場に就かせた。それで、病院の外にはテントを設営して患者の受入れを待った。しかし、普通、大災害があるとその直後からたくさんの重傷者が運ばれてくるんですけども全く運ばれて来なかった。職員が、手持ち無沙汰であったということを言っていたんですね。それはどういうことかというと、後から考えれば、今回の被害は津波で亡くなるか生きているかのどちらかで、地震で下敷きになった人が搬送されてくるというような状況ではなかったということです。ですから、そういった患者がいなくてほとんど亡くなっていたので、患者が来るまでにものすごく時間があった。この大災害では地震災害である阪神・淡路大震災のように外傷患者が早期に多数搬送されることはなかった。地震による外傷患者は少なくて津波による死亡か生きているかのどちらかであったというのが今回の災害かと思います。それで、7時間後には自衛隊も到着していろんな情報が徐々に分かるようになってきた。やはり情報の収集が非常に難しかったということが大きな問題だったと言っていました。翌日になって、今度は打って変わってたくさんの患者が運ばれてきた。その中にはよその病院から運ばれてきた患者ももちろんいます。それで、トリアージや治療を実施して病院の中が野戦病院のようになった。多数の負傷者が押し寄せたが石巻赤十字病院では非常に対応がうまくなされたということで、石巻赤十字病院の災害対応は来るべき東海地震に対して、地域の基幹病院が災害対応を考えるうえで非常に参考となるモデルケースと言えるかと思います。今回の対応を見れば、同じようなことをこの地区でもやればいいという、そういう参考になると思います。
一方、被災地内の拠点病院で全く機能しなくなった石巻市立病院はどうであったかというと、これは海岸沿いに近いところにある206床の病院ですけれども、2階まで浸水して診療ができなくなった。それで発災後5日間は孤立無援の状態になったということです。日和山公園という公園があってここから石巻の町の全体を見ることができる。この公園を訪れて献花する人が多く、犠牲者を悼む祈り場としてその場が使われていました。そこから見ると、これはかなりたってからですので瓦れきを片づけてありますけれども、石巻市立病院が建っているのが見える。外から見ると全く無傷ですけれども中は壊滅状態であった。ここの病院は日和山公園から見るとこちらの下の方に見えるわけです。先ほどの幼稚園はこの山に近いふもとのところにありましたから津波の被害を受けなかった。受けなかったけれどもわざわざ子供を送ろうとして海岸の方まで下りてきたところで津波にあって亡くなった子供がいた。そういう地形の図になっています。石巻市立病院に実際に行ってみると1階の自家発電装置は完全に破壊されていて、1階にもいろいろな重要な心臓部があったがそのほとんどが壊滅状態になって全く病院として機能しなかった。この状況についてここの病院のある部長先生が「孤立無援となった発災後の5日間」ということで報告をしていますけれども、その報告を見ると11日に地震が起こった当日、当然電気が消えて機能しなくなった。ライフラインが途絶えたということで、そのあとに病院の上から見ていて津波が来るのがわかった。それで、病院にいた職員、あるいは患者をどんどん上の階に運んだ。しかし、エレベータも使えないので患者を担架あるいは椅子で運ばなければならなかったということを言っていました。非常に大変だったけれども、とにかく患者あるいは見舞い客を全部上の階に上げた。それで、ほとんどの患者は助かったんですけども病院は孤立無援の状態になった。周りが冠水し瓦れきの中で、自衛隊に認識されているけれども支援がなかった。救助を求める手だてがなかったということです。それで、3日後に水が少し引いてきて職員が石巻赤十字病院に応援を求めに連絡に行った。初めてそこで孤立しているということが分かった。その後、重症の患者をヘリコプターで搬送しだした。その搬送に3日間かかり全部の職員あるいは患者が避難できるまでに5日間かかった。また、5日間の間に酸素ボンベの酸素がなくなって亡くなってしまった患者もいたということです。病院ではライフラインの途絶によって病院機能が完全に喪失した。通信手段がなくて応援を求めることもできなかった。このことで通信手段の確保がいかに重要かということを切実に訴えておられました。そういった患者が石巻赤十字病院に搬送されて来ています。
その頃には多くの全国から集まった救護班、これは日本赤十字社だけではなくて自衛隊も県からも国からもいろんな救護班が集まって来ていました。全部で多いときには72チームがいたという話を聞いています。そういう人たちのマネージメントをどうするかというのは非常に大変なことで、本部要員の重要な任務であった。今回、見習うべきなのはこのシステムです。宮城県では災害医療コーディネーターというのを選任して大規模災害時に適切な医療体制を構築するということで、県内を幾つかのブロックに分けてそのブロックごとに災害医療コーディネーターを置いている。その人は災害のときには現地災害対策本部で現地の調整役を行う。それで、たまたま大震災の1か月前に石井先生という先生がこの地区のコーディネーターとして県から委嘱をされ彼のもとに全ての医療班は統制されたということです。大学あるいは日本赤十字社の全ての救護班が彼のもとにコントロールされていた。その下にはもちろんサポートする人たちがたくさんいました。日本赤十字社の多くのスタッフも支援に行きましたけれども、いろんな救護班やいろんな救援物資を担当する役割をつくって石井先生のもとに本部が置かれた。当院のスタッフもこの支援に当たっておりました。今回、この支援に当たって感じたことは、スタッフに求められるのは、災害医療に精通していること、あるいはいろんな研修会や災害訓練、それからメーリングリスト等で普段からつながりがある、そういう顔ぶれ、また、災害救援のエキスパートといった人たちが支援に関わったんですけども、日頃からそういったつながりがあるということがいざというときには重要であるということを痛感しました。この地域でも災害医療コーディネーターを選任してそれをサポートするシステムを早く構築する必要がある。今この地域で大災害が起こったら誰が指示を出すのかというのは決まっておりません。それは問題かと思います。この合同チームによって毎日ミーティングが開催されて各救護班からの活動報告、あるいは被災地のニーズ、感染症の発生状況、支援物資の搬送状況、こころのケアチームの報告、行政や地元医師会との情報交換といったことがなされました。これは本来行政がやるべきことであったんですけれども、行政が被災して全く機能していなかったということで、この医療班がこういったことも担っていたというのが現状です。
津波災害の特徴ですけれども、過去の教訓から死者数は負傷者数を上回る、その通りですね。行方不明の遺体が揚がらないことが多い、これもその通り。死因はほとんどが溺死です。死者の多くに打撲がある、あるいは特殊な疾患として津波肺という肺炎を起こすこともある。それから、早い時期から心理的サポートが必要であるということが言われています。それともう一つ、今回は非常に寒い時期であったので低体温症患者がたくさんいた。そういう人たちは本来であれば無傷の患者です。水の中に漬かって体温が20度や25度になった人たちがたくさんいたのが今回の状況でした。そういう中で災害は女性、子供、老人、病人など災害弱者に最もひどく危害を及ぼすというのが現実です。災害時に優先的に医療を施すべき災害弱者が手厚くされるべきということです。
石巻赤十字病院の患者数ですが、普段は今の時期、救急患者数は少ないんですけれども、多くの他の施設が機能しなくなった、その上に多くの被災者がいたため患者数は異常に多い状況でした。そのため石巻赤十字病院の支援ということでいろんな職種の者が支援に行っています。当院からも救急外来の支援に何人か行っていますけれども、石巻赤十字病院の職員も被災者であって、職員の中には家族を亡くした人もいましたし、そういう中で非常に頑張っている職員もいました。病院支援は直接の被災者支援でした。また、病院支援をすることによって石巻地区に唯一残った診療機能を早く回復し間接的に被災者の支援をする、それが一つ大きな教訓であったかと思います。
それから救護班の活動ですけれども、被災地の避難所での救護、これは日常行われている救護ですけれども、一般的にこういう救護の中で災害医療というのは早期から災害によるストレスに起因する身体的精神的訴えがある、また、投薬切れによる慢性疾患の増悪というのも問題になる。それから避難所での集団生活に起因する感染症や伝染病、これも問題になる。長期的には治療よりも予防が重要であるという話があります。特にストレスに起因する身体的精神的訴えというのは非常に問題であって、今回、こころのケアチームというのがいろんな組織から派遣されてきました。発災後、本部が出来上がった当初からこころのケアチームが出来ていました。彼女たちは被災者のところへ行っていろんな話を聞いたりハンドマッサージをしたりしてこころのケアをしていました。また、被災者だけでなく支援している者にもこころのケアが必要でした。実際、救援に行った者が悲惨な状況を見てストレスでこころのケアが必要になる。救援者のためのストレス対策というのも重要な課題であるということで、この石巻赤十字病院には被災者である職員それから救援者に対しても支援をする、こころのケアをするための場所がありました。そこでこころのケアを救援者に対しても行っていました。次に、投薬による慢性疾患の増悪ですけれども、これも非常に今回大きな問題になりました。津波で自分の持っていた薬が全て流されてしまったということで、この病院には朝早くから投薬を求める被災者の長蛇の列が毎日出来上がっていまして、自分の薬が分かっていればいいんですけれども、自分の薬が分からないような人もたくさんいましたので、今回、薬のことというのが非常に大きな教訓になるかと思います。現地に行って被災者へ直接薬を配るということも行っていました。
実際、現地に入ってみると、自分も発災10日後に被災地に入りましたが、テレビで見る映像とは全く違っていた。生臭い臭いがしたりあるいは瓦れきの中に遺体が埋まっているかも分からないという中で被災者に直接関わるということは、非常に医療従事者としてやりがいを感じました。もう一つの派遣の意味というのはこういうところにあるのかと思います。救護班として被災地で直接被災者の人たちに関わることは医療従事者として本当にやりがいを感じることであります。当院は一人でも多くの職員を派遣したいということで出してきました。
被災者の中には新聞でも問題になっていた生活不活発病といわれる、避難している高齢者の中には避難所で動けない状態が続くことによって更に状態が悪化するという疾患が問題になっていましたし、そういうことからして今回行政と医療とのリンクというのは非常に重要であるということを痛感しています。救護班には地域医療のキーパーソンである保健師との密接な連携が不可欠で、保健師と一緒に活動しないといけない。それから要介護者への対応というのも非常に重要で、介護支援を必要とする被災者を収容するような避難所が必要であるとも思いました。それからトイレや水が使用できないことによる避難所の衛生状態の悪化というのも問題で、トイレが使えないので最終的には多くの人たちが新聞紙に自分の便をくるめてビニールに包みごみ箱に捨てて行ったという状況があった。非常に衛生状態が悪いということが医療にも影響してくる。過去の教訓から「伝染病は自然に流行することはなく死体が異常な病気の流行を起こすこともない。病気を予防することは衛生状態を高めて人々を教育することである」という話があります。スマトラ島沖地震津波のときも死体から感染症が拡大するという大きなうわさが流れました。当時スマトラ島沖地震津波発生後にWHOが緊急アピールを発表しました。このアピールというのは、発災10日後に津波被災者に対する水衛生面などの対策を十分行わなければ感染症の流行によって新たに15万人が死亡する危険性があるというもので、被災地、あるいは救援に行った人を震え上がらせました。しかし、実際は全くそのあと感染症は起こらなかった。というのはどうしてかというと、早い時期からいろいろな支援組織が水の供給とかをしっかり行っていた、それで感染症は全く起こらなかったというのが現実です。今回もやはり水の供給というのが非常に重要で、日本赤十字社も避難所への給水設備の設置ということを行いましたけれども、衛生状態を保つということは災害後の支援として非常に強調されなければならないということだと思います。行政との連携の重要性、医療と保健衛生をリンクさせた活動、避難所の劣悪な衛生環境あるいは水道、下水、し尿処理という大きな問題に対する簡易トイレや給水設備の設置、マスクや消毒薬に関する教育など他の感染対策が不可欠であると言えるかと思います。ただ医療をやっているだけでは不十分と言えるわけです。こういった衛生状態を改善するということも重要なことかと思います。大規模災害時の医療活動には災害発生早期から行政との密接な連携が不可欠であるというのが教訓かと思います。今回、石巻地区では医療だけが動いていて行政が一緒について来なかった、ついて来られなかったというのが問題であったということが言えるかと思います。
それでは救護班はどうか。今回多くの救護班が派遣されました。なかなかこういった実情は報告されていないんですけども、救護班の中には決して満足な救護班ばかりじゃなく、救護活動の基本的な知識が全くない救護班があったり、事前説明を受けておらず救護の目的とか心構え、注意点を理解していなくて被災者にかえって負担をかけるようなことを行った救護班もいました。自己完結型救護の意味がわかっていなくて、被災地に負担を負わせたりあるいは危機管理の基本的な知識がなかったり、あるいはコミュニケーションやチームワークがとれない、あるいは被災地や被災者の心情を理解しない、そういった救護班もいくらかありました。これは今回の善意の中では余り表に出てきませんけども、実際に本部を運営する中でこういったことを非常に多く感じました。国際救援では、よく教訓として言われることは、「災害が起こるたびに的外れの救援チームが国内外から派遣されている」。これは現実ですね。大きな災害だといろんな国からたくさん救援に来るんですけども、ただ、写真を撮って帰るだけのチームがあったり、ただ混乱させるだけで全く救援を行ってないチームがあったり、そんなチームがたくさんいる。国際救援では「救援チームによる第2の災害」が大問題だということが言われています。救援活動は適切に調整されれば被災者の有益になるけれども、そうでなければ大混乱を招くことになって第二の災害となる、これが教訓です。
災害救護では自己完結型救護が原則で、救護班は医薬品や医療資器材のみならず、連絡手段や情報収集手段、水や食糧、寝具全て自分で持参するのが当然で、被災地に依存することなく自分のことは自分で全て処理するのが原則です。今回、我々は当然食料とか全部持っていって、寝泊りは廊下でしましたけれども、今回の我々の被災地での環境は天国でした。暖房があり、水やトイレが使えるようなところで寝泊りでき救護をやるなんていうのはない。普通は水も使えなければ寝るところは外のテントの中の寒いところですので、今回、石巻赤十字病院の廊下を使わせてもらえたということは救護班としては天国のような環境で救護ができたということだったんです。そういう意識でやはり救護に行かないといけないということですね。私の提言は「善意だけでは災害救護はできない。熱い思いだけでは災害救護はできない。」ということかと思います。救護班の心構えとしていくら善意や熱意があっても十分訓練された技術や能力がなければ、災害現場では邪魔になるばかりで有意義な救護はできない、救護班は事前に説明を受けて救護活動の目的、心構えや注意点を十分理解すべきである、全ての医療従事者は心肺そ生法と同様に災害医療、災害救護について習得すべきであるというのが提言です。災害救護に求められる資質、心身共に健康で劣悪な環境の中での生活に耐えられる、それからやはり協調性、臨機応変に対応できるという柔軟性も非常に大切です。それから積極性があり災害医療をマスターしている、そういった知識も重要であるということです。
話が変わりますが、今回の当院の対応をちょっと話したいと思います。地震発生の情報があった直後に当院では災害対策本部を立ち上げました。情報収集、それから初動班との連絡、関係機関からの情報収集等を行い、24時間体制で約2週間この本部を立ち上げました。病院のイントラネット上では災害モードにして時系列で活動状況を掲載して全職員が情報を共有できるようにしました。また、全職員に対して院長メッセージとして全病院挙げて救援活動に協力をという提案もしました。地震発災3時間後に初動班やDMAT(災害派遣医療チーム)のチームを送り出しました。DMATチームは名古屋から救急車で出かけ、DMATは厚生労働省からの指示や指令がありますから、その指令に従って花巻空港に行って患者搬送を行いました。実際には人工呼吸患者の転院搬送を数件行ったのみです。このDMATについてはいろいろな話があります。この大震災では阪神・淡路大震災の教訓から誕生したDMATが活躍する機会は少なかった。というのは地震による外傷患者さんがほとんどいなかったので活躍の場がなかった。しかし、今回厚生労働省が中心になって情報を流して迅速かつ組織的にDMATを集結できたこのシステムは非常にすばらしいもので、今後の大災害の時にはDMATの活躍が期待されるかと思います。しかし、今回は残念ながら彼らの活躍する場は余り無かったというのが現実です。それから、初動班は同じ日に出動して1,000キロを51時間かけて最終的に石巻までたどり着きました。現地ではいろんな被災地に入る話もありましたけれども、結局は石巻が一番被害がひどいということで最終の目的地になりました。
当院から派遣したスタッフは二百数十名いますけれども、いろんな職種の人たちがいろんな活動をやってきました。初動班の活動に加えて、その後、継続的に職員を派遣しました。派遣要請に対しては可能な限り派遣するという方針で、発災当日から現在まで約230名の職員、派遣する職員は全員希望者で、希望者を優先して派遣しましたけれども、希望者の中にも行けないという人が何人もいました。派遣された人たちは皆行ってよかったという話をしていますし、また行きたいという人たちがほとんどでした。彼らに対してはブリーフィングやデブリーフィングを行いました。帰って来てから「被災者の人たちがかわいそうだ」と言って泣いている職員も何人かいましたので、そういった人たちのこころのケアも非常に大事なことでした。活動報告をして今後の支援のあり方、あるいはこの地区で起こったときにどうするかということをみんなで話し合いました。スマトラ島沖地震津波災害のときにアナン国連事務総長が全世界に向けて呼びかけました。「空前の災害には空前の支援を」と。今回、東日本大震災で私は「想定外の災害には想定外の支援を」と呼びかけています。この災害で頑張らなかったらこれ以上の災害はあり得ないと思っています。15年前に阪神・淡路大震災で6,000人の死者が出ました。今回15年ぶりに2万人の死者が出た。こんな災害にはもう一生自分が遭うことはないと思っています。だからこの災害で頑張らなかったらこれ以上の災害はあり得ないと思います。
話が変わって、来るべき東海地震に備えてということで、世界中でここ数年連続して大災害が発生しています。2003年イラン南東部地震、2004年スマトラ島沖地震津波、2005年パキスタン地震、2006年ジャワ島地震、2008年四川大地震、2010年ハイチ地震、そして今回、この次はひょっとすると東海・東南海地震かもしれないという順番です。それで寺田寅彦の名言「天災は忘れた頃にやってくる」というのはもはや死語で、今や「災害は忘れる前にやってくる」というのが正しいかもしれません。東海地震は今や、もし起きれば、ではなく、いつ起きるか、というレベルと捉えられています。それは過去の歴史からここ数年がちょうど空白域になっているということで、東海・東南海・南海地震が同時発生するんじゃないかという話も出ています。死者は最大で2万4,700人、そういった予測も立てられています。東海地震の記事が出ない日はないというぐらい今はこの地域では問題となっています。東海地震の発生は日一日と近づいているというのは現実で、大災害明日は我が身ということで、(椅子に座った女性のお尻の下のねずみの画像を示し)皆さんは今こういう状況にあるわけです。御婦人でありません。我が身というのはねずみです。いつ潰されるかわからないという状況にあるということです。皆さん笑い事じゃなくして本当にこんな状況にあるということです。「備えあれば憂いなし」ということでねずみでさえこんな準備をしているのに人間様ができないわけはないということです。ということで、当院では毎年定期的に東海地震を想定した災害訓練を行っています。今年も10月に予定をしています。その訓練では災害対策本部での情報収集の訓練、あるいは多数の傷病者が搬送されたという想定で災害時の3Tであるトリアージ、トリートメント、トランスポーテーションといった訓練を行います。トリアージ訓練、これは先ほどの石巻の実際の現場と同じです。やはり我々が訓練をやっているのと同じような現状が今回の石巻で実際見ることができました。重症患者搬送訓練、それから重症患者の被災地域外への広域搬送訓練、ヘリポートを利用した患者搬送、こういったことも訓練しなければならない。救命救急センターは災害時の最後のとりでということで、大規模災害に備えた万全の装備、災害時に病院として機能を維持できる耐震構造、ライフラインが途絶えたときにも3日間電気と水を供給できるシステム、3日間の食料品と医薬品の備蓄、これが最後のとりでとしての装備だと思います。また、大規模災害に備えた万全の装備ということで、非常用発電機、ヘリポート、エネルギーセンター、地下貯水槽が必要です。当院では70トンの地下貯水槽が2基装備されています。ということで、万全の装備をしておかなければならない。また、我々医療従事者だけが災害について訓練をしていても駄目で、地域住民の人たちもやはり災害医療とはどういうものかということを分かってもらわなければならない。トリアージの意味だとかそういったことを分かってもらわなければこの地域での災害時の対応はできないということです。災害訓練のときにはいつも併せて地域住民と一緒に災害医療を考える集いということで、講演とか炊き出し、あるいは災害時の対応の仕方の研修等を行っています。過去の災害から災害による被害は予測できないものではなくて共通性があるということが言えます。大災害が起こると医療救護活動タイムスケールということで、フェイズ0の段階、これは生存者相互による救助や応急処置、フェイズ1というのは救護所での医療や後方病院への搬送、避難所の巡回診療、保健防疫対策に強大な機動力と人力の投入が必要となる。それからフェイズ2の段階では各科専門医による医療、フェイズ3がリハビリ医療、こういったタイムスケールというのはどんな災害でも同じように起こる。今回の津波災害ではフェイズ0というのがなくて一気にフェイズ1という状況に移ったというのは一つの特徴かもしれません。フェイズ0ではほとんどの場合、災害直後の救命処置は地元の人たちによってなされているというのが現実です。災害発生直後には119番通報しても救急車は来ない。110番しても警察も来ない。ましてや外部の救護班は来ない。これが現実です。ですから、まず自分の身は自分で守るというのが災害医療の鉄則です。地震災害では被災して機能が低下した病院に傷病者が殺到する。しかし、この状況は1日でほぼ終了する。これが災害医療の現実です。今回、津波災害でちょっと状況が違いますけども阪神・淡路大震災のときの現実はこうです。重症患者が次から次へ2日も3日も運ばれてくるなんてことはあり得ない。だから1日でそういった状況は済んでしまう。亡くなる人は亡くなる、生きている人は全て運ばれるというのが現実です。先ほどの72時間を超えて生きているということは非常に珍しい奇跡的なことです。こういう状況が分かっていれば病院がどういうふうに対応すればいいかというのはおのずと分かるわけです。大規模災害の発生時はかかりつけ病院がもっとも頼りになる存在、間違いなく多数の傷病者が病院に押し寄せてくるというのは現実です。どんな病院でも近くにあれば間違いなくその病院に押し寄せるのが被災者の心理です。それぞれの病院はそういった覚悟で対応しなければならないということ、大規模災害発生時には地域住民の皆さんのために可能な限り医療を継続することを考える、これが現実です。阪神・淡路大震災のときにこういう話がありました。ある個人病院で、地震が起こって自分の病院が被災し医療機器が使えなくなった。診療はできないからということで門を閉じた病院がありました。門を閉じたことによってその周りの人たちはそこの病院に入れないわけです。結局、その人たちはよその病院に行ったんですけども、この病院は方針を間違ったわけです。どこの病院もみんな診療ができない状況になったのに病院を閉じてしまったら被災者は入れない。本来、受け入れないといけないんですけども院長はその判断を誤った。だから、どんな条件であっても可能な限り医療を継続することを考えないといけないということが教訓です。大規模災害発生時には災害発生後3日間の自衛手段を講じておけばその後は行政が対応を始めると考えられており、初動対策が重要です。これも、今回、いろんな状況で孤立して5日間大変だったという話もありますけども、基本的に3日間です。当地区のような場所で5日間も孤立するということはあり得ないので3日間の自衛手段を講じている。だから、我々は3日間頑張れば後は何とかなるというようなことで対応を考えています。「一つの社会がまさかの時のためにどこまで投資をするかはその社会の成熟度を評価する尺度である」という言葉をある人が言いました。これは、社会を病院に置き換えても同じことが言えると思います。「一つの病院がまさかのときのためどこまで投資をするかはその病院の成熟度を評価する尺度である」ということが言えるかと思います。ところが、現実はこの地域の基幹病院でも過重労働、勤務医不足、医療トラブル等で医療崩壊が起きている。本職の医療にさえ手が回らないのにまさかのときのための投資は難しいというのが現実です。今、災害拠点病院は県内では33件指定されていますけれども、全て成熟した病院かというと、果たしてどうかということが言えるかと思います。そういう意味で、我々は少なくとも大規模災害時に地域の人々に信頼される成熟した病院に、ということでその準備をしなければならないと思います。ということで話を終わりたいと思います。



(主な質疑)
【委員】
何かで読んだ話だが、災害が起きたときにその場に居合わせた人たち、大人も子供もみんな救急行為ができるといいということで、子ども救命士の育成を行っている町がある。実は子供だけでなく私たちも全く救急の手段を知らない。実際のところ何もやれないが消防署に行って少しは勉強したこともある。私たちがそういう場面に遭遇したら最低限何かやれることはあるのか教えてほしい。
【石川参考人】
地震災害時において、いろいろなけがをした人たちに対しての一般の人たちによる応急処置についてはある程度はできないといけないと思う。心肺そ生法として、例えばAEDの使い方も含めて教えている所もある。もちろん心肺そ生法というのが一番基本的なことであるが、そのほか、止血法やけが人をどのように運ぶかとか骨折のときにはどのように固定するかなどについて日本赤十字社では一般の人たちに向けて研修の場を設けている。そういった研修を受けておくのも一つだと思う。
【委員】
日本赤十字社のどこかに申し込めばそういった講座を受けられるということなのか。
【石川参考人】
日本赤十字社は応急処置の講習会を定期的に行っている。病院ではなく日本赤十字社の愛知県支部において応急処置の講習会をやっている。
【委員】
次に、現在、救急搬送される方の6割ぐらいが軽度で入院の必要がないような人たちであり、そのために当番の病院あるいは当番の勤務医の方の過重な負担になっているという話を聞く。先ほどもトリアージという話が出ていたが、今後、救急医療の問題を解決するには、現場の救急隊員がそういう判断をするのが望ましいのか、それとももっと広く患者たちに何か啓もうした方がいいのか、どのように考えるか。
【石川参考人】
啓もうがまずもって第一だと思う。患者さんにも患者意識というのがあり自分は重症だと思うと救急車を呼ぶし、自分が重症だと思うとただ熱が出ているだけでも救命センターに来るので、そういったところはやはり啓もうが第一であると考える。もう一つは救急隊員のトリアージというのが問題になっていて、救急隊員に重症度を判別させて最重症者はどこへ運ぶかとかを判断させている。これについての教育がなされつつあり、トリアージのことを救急隊員に教育して救急隊員が判断するということもある。結構難しいのは、例えば病院の現場でも問題になるが、救急隊員が、「あなたの症状はこんな軽いのに救急車を使ってはいけません」と言うとまずトラブルになる。我々医療従事者も、患者さんに「こんなことで救命センターに来てはいけません」と言ったら間違いなくトラブルになる。それは患者さんの認識から来るものである。そういう意味で、「これぐらいでは救急車を使ってはいけない」ということをいろいろなところで啓もうしないといけないと思う。
【委員】
私の友人がニューヨークにいるが、アパートで転んで救急搬送され、後で20万円の救急搬送代を請求された。日本でも有料化という考え方があるが参考人はどう考えるか。
【石川参考人】
いろいろと議論になっている課題だと思う。救急隊の中でも消防庁でも有料化したほうがいいのではないかという意見もある。しかし、有料化は難しいと思う。
【委員】
災害医療コーディネーターについてだが、私は災害ボランティアコーディネーターのことはよく聞くことがあるが、この医療コーディネーターという話は初めて聞いた。この制度というのは宮城県特有の制度なのか、それとも全国的にもそこそこあって愛知県にはないということなのか、分かれば教えてほしい。
【石川参考人】
宮城県では個人を指定してやっている。今回、震災を受けて国のレベルで災害医療を考える有識者会議ができた。その中で災害医療コーディネーター制度を作ろうという提案が出されている。ということは全国の都道府県全てにあるというわけではないということだと思う。少なくとも愛知県にはない。今回の石巻地区の動きは素晴らしく、災害時におけるモデルケースになると思う。このシステムを早くこの地域やその他のいろいろな地域で作るべきだと思う。誰かトップになる人がいてその下にそれを支援するグループがしっかりとでき、日頃から顔を合わせてやるような体制ができていればかなりしっかりしたものになると思う。災害拠点病院の中の何人かの人たちが集まってやればいいと思うが、残念ながらまだできていないので、大災害が起こったときのことを考えるとちょっと怖いと思う。実際に災害が起きてしまえばそういった人が出てくるのかもしれないが、やはりそういった人が全体を見て救護に来た人たちの采配を振るような形ができていないといけないと思う。
【委員】
宮城県のコーディネーターの医師は赤十字病院の医師ということか。
【石川参考人】
たまたまあの地域では赤十字病院の人であったが他の地域は違う。大学の先生など他の組織の人たちもたくさんいる。
【委員】
もし愛知県で医療コーディネーターの方を選任しようと思った場合、特に赤十字病院の医師にこだわらなくても、例えば災害拠点病院の医師などで組織を作るという理解でいいか。
【石川参考人】
災害医療におけるいろいろなことが分かっていて、しっかりまとめることができるという資質があれば私は誰でもいいと思う。
【委員】
次に、かかりつけ医に関してだが、災害に限らず医師不足の関係で個人もかかりつけ医を定めようということで、なるべく拠点病院に行かないようにというか、軽度な方はかかりつけ医で、高度な医療が必要な方は二次病院や三次病院にということが言われているわけである。しかしながら、拠点病院と違いかかりつけ医というか地域の病院は耐震などの対策ができていなくて、特に今は昔と違って医者がそこに住んでいるわけでなく、住まいと診療所は別々という中で、実際に災害が起きて身近な病院に行ったときに医師が来ているかどうかという問題もある。来ることができたとしても阪神・淡路大震災の話ではないが、実際に医療行為ができるのかということを疑問に思ったのでその部分をもう少し教えてほしい。
【石川参考人】
愛知県には拠点病院が33か所あるわけだが、被災者心理としてやはりそういう大きな病院に集まってくると思う。もし今災害が起きたらやはり皆さんはここから一番近い医療センターに行くと思う。そこにみんなが押しかけると思う。隣に個人病院があったとしてもそこには行かず拠点病院に集まるということだと思う。かかりつけの個人病院には行かないかもしれない。でも、もし隣の人がけがをしていたら個人病院も開けてあげないといけない。先ほどの話はもう少し中くらいの規模の個人病院だったわけだが、そこの病院は閉じてしまった。周りの人たちは、本当はそこに行きたかったわけである。開業医で医師が一人しかいないところなどでは無理だと思うが、ある程度の病院はそれをやらないといけないと思う。
【委員】
逆に開業医たちが被災した場合に拠点病院に来てもらい設備を貸すということで、拠点病院に医師が集まるという方がいいのではないかと思うがどうか。
【石川参考人】
そのような動きはある。我々が訓練をするときには開業医にも参加してもらっている。開業医たちは自分のところでは何もできないので、拠点病院に来て一緒に活動するという動き、あるいは休日診療所に開業医が集まってそこでやるという動きがある。訓練の中では拠点病院や診療所にみんなが集まってやるというシナリオになっている。
【委員】
医療コーディネーターが愛知県でも選任されたとして、愛知県で災害があった場合に、開業医たちが拠点病院に集まった場合であっても医療コーディネーターの方はいざというときには定められた管轄に入り指示をして有効的に救護できるという理解でいいか。
【石川参考人】
外部から来た人も全てその下に入る。そうでないと意味がない。救護班がばらばらに動いていては全く統制がとれないし無駄なことになるので全て傘下に入って活動するという意味でのコーディネートである。宮城県ではブロックに分けてそのブロックごとにコーディネーターを決めている。この地域では誰で、こちらの地域では誰ということだと思う。
【委員】
トリアージの順位であるが、赤、黄、緑、黒という色分けは万国共通なのか。
【石川参考人】
そのとおりである。
【委員】
万国共通なら今さら言ってもしょうがないと思うが、トリアージのことは今まで何度か話を聞いたことがある。その度に第4順位の黒色というのはいかがなものかなと思う。もっとも第4順位に位置づけられる人というのは意識がないから何色をつけられても関係ないと思うし、もし御家族が来て見たときでもそんなことは非常時に関係ないのかもしれないが、そんなことをふと思った。
【石川参考人】
阪神・淡路大震災のときにこういう話があった。ある病院で次から次へと被災者が押し寄せてきた。中には心肺停止の患者さんもいた。その中で重症な人から順番に治療をするということでトリアージをしていた。そこに御婦人を板に載せて運んできた御主人がいたが、その御婦人は既に心肺停止状態だった。医師がその人を見てこれはもう亡くなっているから駄目だ、あきらめてくださいと言ったが納得してくれない。何か処置をしてくださいと言う。それで遺体安置所に連れて行きやっぱり駄目ですと言って説明したが納得されない。どうしたかというと、御主人が心肺そ生のやり方を教えてほしいとのことだったので心肺そ生の方法を教えた。すると御主人は冷たくなった御婦人に対し2時間以上にわたって心肺そ生をやっていたという話がある。災害医療においては非常に残酷な場面がある。その人を治療するのに無駄な時間を費やしていたら結局助かる人も助からなくなってしまう。他にも重症な人がたくさん来るわけである。そちらを診ないといけないので、住民にもトリアージの過酷な状況というのを理解してもらわないといけない。そういう意味でも災害医療は医療従事者だけでやっても駄目で住民にも理解してもらわなければならないと思う。トリアージの過酷な状況や、それとは反対に少しけがをしたくらいで病院に来たら、重症な方がたくさん来るので包帯を渡して自分で手当して病院に入らないでほしいということもあり得るわけである。そういう現実があるということを被災者の人たちには理解してもらわないといけない。トリアージは重症の人のうち一番助かる見込みのある人から順番に治療をやるということである。JR福知山線脱線事故のトリアージの現場で自分の家族は何も処置してもらえなかったということが問題になったことがあった。しかし、救急隊や医師は正しいことをしていたわけである。トリアージのそういう残酷な状況で黒と判定されても家族は納得できないという場面がある。救急医療の場合は、絶対駄目だと分かっていても、ある程度治療をしてからやっぱり駄目という話をする。そうすると家族は納得するわけだが、災害のときはそれもせずにぱっと判断しなければならない場面があるということである。
【委員】
黒という色は、一目瞭然というのがこの場合一番いいのかもしれないが、全く関係のない第三者が見てももう駄目だなということを連想してしまう色で、紺色かブルーぐらいにしておけばいいのではないかという単純な発想で質問した。どちらにしても、第2次世界大戦の時にアメリカの看護婦が口紅で負傷した人の額に○や×や△をつけて緊急対応したということを聞いたことがあるので、緊急事態のときには問題はないのかもしれないが、やっぱり黒が問題になったことはあるのか。
【石川参考人】
問題になったことはある。
【委員】
自己完結型の救援というのを聞いてなるほどと思ったわけだが、ボランティアというものが日本においてはそこまできちっと成長していないと思うが、今回、救援に向かった救護班や海外の救護班の実態を見てどのように考えるか。
【石川参考人】
石巻地区での救護活動では、常時70チームぐらいいる救護班の中に、本来は自分たちで持ってきてしかるべき物を持ってこずに現地の病院にそれを求めたりする救護班もいた。現地の病院は被災地なのでそんな人たちの面倒を見ていられないわけである。だから本来、救護班というのは救助するための薬や自分たちの食べ物や寝具まで全て持ってくるのが原則であるが、そういうことが分かっていない。今回もそのような救護班がいた。このことは基本中の基本なのでそれを分からずに救護に来てはいけないと思う。これは医療者の問題であるわけだが、普段から災害救護について勉強していなければ現地では活動できないということだと思う。今回はそういうことが全く表に出てこない。やはり善意を大事にしているからである。来てくれてありがとうという話もあるが、実際、被災地である意味邪魔になるような救護班もいた。それはこれからの教訓として気をつけないといけないと思う。
【委員】
次に、名古屋第二赤十字病院における出動体制であるが、病院の入口にグラフが掲示してあり、なるほどこういう体制で出て行くのか、こういう人たちが参加したのかということが病院に来た一般の人もよく理解できたと思う。そこで聞きたいのは、最初からもし何かあった時に出て行く順番や人員が決まっていたのか、それとも現地の状況を見て医師や看護師の人数の繰り出しなどを計算されたのかという点についてと、この津波と一緒に問題となったのは原発事故による放射能であった。海外の医療班も一番最初にドイツが撤退して、その後フランスが引いてどんどん消えてしまった。私の地元の名東区内にある領事館の人も家族も含めて日本から全員いなくなってしまった。こういった中で責任者として職員を被災地へ派遣する思いというものを述べてほしい。
【石川参考人】
災害時に一番最初に出動する初動班やDMATというチームはやはりベテランでないと難しいので、病院においてそういう人選がなされている。もちろんそのときに行きたい者ということで希望を募り、その結果、何十人か希望者がいる中で決定をする。状況が分かってくると流れが分かるので、その後は看護師は誰と誰といったように特に決まっているわけではなく希望者を順番に出したということである。今回200人以上行きたいという希望者がいた。行けない人も何人かいたが皆、本当に行きたい人ばかりであった。実際、行ってみて非常にいい経験になったということなので、1人でも多く経験するということは今後のためにもなりよかったと思う。それと責任者としての思いという話だが、災害救護の一番の基本原則として、まず自分の身の安全を守るというものがある。外国の人たちがすぐに撤退したのは、自分の身の危険を冒してまで災害救護を行うべきでないという考えがあるからである。これは鉄則である。他にも、救護と同じく心肺そ生でも、まずやるときには自分の身の安全を確保する。自分を犠牲にしてまでやるのは救護ではない。まず自分の身の安全を確保しないといけない。我々日本人は安全だと理解していたが、外国人は、日本は放射能により危険だというように理解したわけである。だから日本にいること自体が危険だと全ての外国人が思ったので撤退したわけである。自分の身を危険にさらしてまで救護に当たる必要はないということで撤退していった。職員を派遣する立場として、実際、日本の状況は分かっており、宮城は危険でないと思っている。福島のあたりなど、そこへ行くまでの通り道は確かに少し危険であったかもしれないが、飛行機で新潟に行ってから宮城に入る経路ならば危険ではない。原発のことについてはある程度気にはしていたが、多くの日本人が思っていたとおり、それほど危険ではないと思っていたので、宮城に派遣しても問題ないということでどんどん派遣したということである。したがって福島の危険地域にまで救護に行けというようなことはまずあり得ない。しかし、今回はそこで働いている医療従事者もいる。それは労災病院の人たちである。労災病院にはそういう使命があるからである。それから救急医学会の中心的な人たちは福島の被災地の中に入っている。ある程度危険があるわけだが、それを承知のうえで、自分で手を挙げて行っている。しかし、基本的に我々が派遣するときには自分の身を危険にさらしてまで行けということはあり得ない。
【委員】
この前行われた大文字焼きにおいて、松の木に放射能があるかもしれないということで焼くことをしなかったということがあった。この感性から考えれば、救護に行った方の家族からすれば、うちの息子やうちの娘に対してどのように責任を持って検査などの対応をしているのかという心配は必ず持っていると思う。そのようなことが話題になって特別に検査をやったということはあるのか。
【石川参考人】
我々は救護班を派遣するたびに測定のための計器を持って行かせた。また、当初は帰って来た人たち全員に対し放射能についてのチェックをした。特に問題はなく外部被ばくについて問題になるような人は誰もいなかった。それ以外のところで放射能がどうかということまで言われるとちょっと分からない。生えている草がどうといったレベルになるとそれは他の一般の人と同じ状況ということになるので、救護に行ったからどうということではないと思う。
【委員】
ブログを見せてもらったが、名古屋第二赤十字病院では救護班を常時、9個班、各7名の体制で編成されているということで、ものすごく密なスケジュールで現地へ行っている。今回の資料でいくと17ページの真ん中の段の当院のスタッフ派遣スケジュールという表になると思うが、その表の見方をもう少し詳しく説明してほしい。
【石川参考人】
基本的には向こうの要請に応じて派遣している。初動班は自発的に行っているが、それ以後は石巻地区で必要とされている派遣人員について日本赤十字社が調整している中で、例えば、救護班を何人出してほしいとか、病院支援のための医師は何人欲しいとかの依頼があって出したので、こちらからむやみやたらに次から次へと派遣するということではない。だから、今回、私どもの病院の医師、看護師や薬剤師などがたくさん出ているが、これは石巻地区で必要とされたスタッフを要請に応じて出している。当院からだけでなく他の赤十字病院からもたくさん出しているので、それらの人数で向こうの病院が賄われたり、向こうの地区の救護班が賄われるという中での派遣人数である。
【委員】
ブログでは第1班が3月11日から4月末までの派遣と発表されており、詳細を見ると、いわゆる従来の救護班以外にも病院支援隊や対策本部要員チームとかあるいは病院支援看護師など、従来の救護班とは違う人たちも名古屋第二赤十字病院から行っているようだが、どういうシステムなのか。
【石川参考人】
石巻赤十字病院がただ一つこの地区で残った基幹病院で、そこに患者が全て集まってきたので、そこの病院を支援するという形で地域医療を担うわけである。そこのスタッフだけでは当然駄目なので我々も入っていったということである。そこには災害対策本部もあったので、それをサポートするためにも何人か送ったということである。
【委員】
一般企業ならば売上げが非常にダウンしたりしても企業運営を何とか行うことが可能かもしれないが、病院業務というのは本来の患者も抱えているわけであり、決して楽な仕事ではないと思っている。みんなぎりぎりで過酷な労働についても聞いている。にもかかわらず、いくら希望者といえども、どうしてこれだけの期間にこれだけの人数を出せるのか、また、このノウハウがあるならばその他の病院もかなり全国的に派遣ができるような気がするわけだが、なぜ名古屋第二赤十字病院だけがこれだけのスタッフ、人数を派遣することが可能だったのか教えてほしい。
【石川参考人】
多少、当院の患者さんには迷惑を掛けているかもしれない。でも、それは患者さん皆が納得してくれると思う。今回のこのような大災害で救援に行くことにより自分の主治医がいなくなって文句を言う人は一人もいない。頑張って行ってきてほしいとかご苦労さまでしたと言う患者さんがほとんどだった。院内にこのような掲示も出した。「職員が派遣されるので少し迷惑を掛ける時期があるかもしれない」。実際、多少は患者さんが犠牲になっていると思う。それと、他の周りの人たちも、次に派遣される場合もあるので、派遣された人に対して、サポートすることで自分たちも一緒に支援しているという意識があれば、多少人がいなくなって抜けた分が大変になっても頑張れるというのはある。それは病院挙げて取り組むという姿勢の一つだと思う。病院を挙げてやるという方針であれば周りの人はみんな多少忙しくなっても頑張れるのではないかと思う。
【委員】
愛知県内の病院で参考人のところ以外で同じことができる病院は何割ぐらいだと思うか。
【石川参考人】
頑張れば半分くらいはできると思う。
【委員】
私も先月の末に石巻赤十字病院に行って現地を見たり話も聞いてきた。先ほどの話で災害は忘れる前にやってくるということだったが、石巻でも宮城県沖地震も含めて何十年かに一度必ず大きな地震が来るということに対しての備えを行政も含めていろいろな医療機関がやってきたという話も聞いた。石巻赤十字病院も毎週のように対策訓練を医療チームの責任者を中心にやってきたことにより、今回、非常にスムーズに運営ができたということも言っていた。この地域においても、三連動地震だとか場合によっては四連動地震による災害が必ず起こるという状況を私たちも知らされているわけであるが、名古屋第二赤十字病院における日ごろの訓練の内容はどういうものなのか。3月11日に災害支援に入りそれによってどのような変化が災害訓練の中に組み込まれたのか。併せて、例えば、参考人から見て、そういった訓練について公立病院とその他の民間の病院との連携については今充実していると考えているのかどうか教えてほしい。
次に、地域的な話で恐縮だが、私は半田市選出であるが、半田市では東海、東南海地震が起こったときに市内の4中学校と医師会の1支所に開業医たちがそれぞれ分散して支援態勢をとるよう、半田市と半田市立病院とが協定を結んだ。これについて、被災された方は軽微な傷であれば自分たちで手当しなさいというようなことを今後徹底し、市民の意識を啓発していこうというときに、医師が分散する体制がいいのか、又は、一極集中でそこに自衛隊や他の民間病院の人たち、場合によっては外国の人たちも入るというような形がいいのか、何か見識があれば教えてほしい。
【石川参考人】
まず訓練だが、東海地震を想定した形で先ほどの現実に石巻であったような形での訓練をやっている。どこをトリアージの重傷者エリアにするかとか、たくさん患者さんが来たときにどういうふうに誰が対応するのかというような訓練をやっている。今回、我々がやっている訓練が間違いではないということを石巻の状況を見て感じたので、同じような訓練を今後も続けていくことになると思う。当院は訓練の前には勉強会をやって訓練の意味などを含めて教育を行っているので、かなりの職員が災害医療について理解していると思う。それと拠点病院の連携についてだが、はっきり言って全くできていないと思う。災害が起こったら患者さんをどこへ運ぶかなどといった救命センターにおける患者搬送の連携のシステムなど全くできていない。このことは大問題だと思う。そういうことも含めてコーディネーターなどしっかりした体制を作る必要がある。誰がどのようにやるかとか、どことどこの病院が連携するかとか、患者搬送についても全く決まっていないので恐らく場当たり的になると思う。うちの病院はベッドがこれだけ空いているので、この人数ぐらいは受けましょうとかそんな話になると思う。これでは本当に大変だと思う。拠点病院の連携のことなどは決めておかないと機能しないと思う。そのためにも普段から災害医療について分かっている人たちが顔を合わせて話し合える実務者会議というものを立ち上げないといけないと思う。次に分散なのか一極なのかについてはちょっと分からない。でも現実には地域ごとに避難して来るという形になると思うので、全部が全部、一つのところに集まるというのは無理だと思う。この地域ではこの場所といったように避難してもらい救護するというような形になると思う。
【委員】
訓練の頻度については、石巻では毎週やっていると聞いた。
【石川参考人】
毎週はやってないと思う。ただ、向こうは名古屋よりもかなり意識が高いと思った。訓練に対する意識は高い。訓練を一生懸命やっていた。
【委員】
今回の東日本大震災というのは日本全国に大きな教訓を残したと思っている。だから、例えば、それ以前の意識とそれ以後の意識については、どこの地方自治体も、県にしても、市町村にしても、何かそこから感じなければ行政の怠慢だと思っている。この地域で東日本大震災のようなことが起こったときに、同じテーブルに着いて同じ意識でネットワークなどの問題に関して協議するということが必要になってくるかと思うが、それはどこが投げかけたら一番参考人たちは動きやすいと考えるのか教えてほしい。
【石川参考人】
行政なのかもしれないが、そういう意識で我々も拠点病院の人たちも考えなければいけないと思う。石巻でも病院の方から提案したと言っていた。そういうシステムを作らないといけないということを病院側から言ってシステムが立ち上がったという話も聞くので両方だと思う。今回の震災で医療施設の意識がかなり変わったと思う。これだけの震災があったわけだから、建物の耐震化などの準備についての意識が変わっていかないとおかしいと思う。自分たちの身を守らないといけない、地域を守らないといけないという意識を持たないとおかしいと思う。
【委員】
石巻赤十字病院も数年前に耐震のため建て替えたのでよかったと言っていた。私も公立病院だとか拠点病院についてはどんな地震が来ても倒れない病院にすべきだと思っているので、その点については耐震工事よりも建替えということで行政として進めていく、その援助をしていくべきだと思っている。
【委員】
こころのケアということで聞きたいが、派遣された職員のスケジュールが相当ハードであったということを感じた。例えば、自衛隊の若い隊員の方が救援活動に行ってかなりこころに傷を負って帰ってきたという新聞の報道もあった。そういった中で戻って来てからデブリーフィングでこころのケアを行ったと説明にはあったわけだが、こころのケアは大丈夫であったかどうかについて教えてほしい。
【石川参考人】
当院では国際救援にずっと取り組んできた。国際救援に行った人たちには必ずこころのケアをしてあげないと駄目である。悲惨な現場を見て帰って来るわけであり、絶対に何らかのこころの傷を持って帰ってきているので、必ず臨床心理士などと面接をして話を聞いている。どうだったかということを話すだけでもこころのケアになる。今回も行った人たちの中には帰って来て泣いている人もたくさんいたし、仕事が手につかないという人もいた。当院には臨床心理士や看護師たちによるこころのケアのグループがある。帰って来た救護班に対して、必ず一人ひとりと面接をして何かあったか、大変なことはあったかという話を聞いている。話をするだけで随分気分が休まるのとみんな同じような思いを持っているということを説明すると落ち着いたりするというようなことがある。こころのケアにはこつがある。我々も研修を受けたことがあるが難しい。掛けていい言葉といけない言葉があったりする。こころのケアのためのしっかりした知識がないと対応できない。下手なことを言うとかえって傷を深めてしまう。そういった研修を受けた人たちが当院には何人かいるので、必ずデブリーフィングで話を聞いている。
【委員】
希望した人が行ったということだが、いくら事前にそういう説明を受けたとしても現地に行って戻ってきたら皆さんそういうものを抱いてくるということか。
【石川参考人】
そういうことである。
【委員】
私も6月の2日と3日に多賀城市に行ってきた。その時に避難所で親族が目の前で流されたという方の話を私も涙ながらに聞いたときに掛ける言葉が全く思い浮かばなかった。その当時は震災後3か月で避難所生活が一段落しちょうど仮設住宅に移るというタイミングであった。その方は避難所にいればこころのケアということで臨床心理士の方がいて話を聞いてもらえカウンセリングもしてもらえるが、仮設住宅に行った後は独りぼっちになるのがすごく怖いということも言っていた。仮設住宅での孤立という部分で自殺のリスクなども考えるとこれから先も息の長い支援が必要だということを感じている。そこで、参考人の所感として、長いスパンでのこころのケアの支援というのがどういった形で必要なのかを聞かせてほしい。
【石川参考人】
やはり、みんなといるときは頑張っているわけだが、一人になると心細くなって、うつ状態になったり自殺を考えたりするというのがあるが、3か月、4か月たって初めてそういう症状が出てくることがある。そういったところのケアまでしてあげないといけないので、精神科の学会ではそういった部分をサポートするためにどういう支援をするかといった体制づくりだとか、日本赤十字社ではこころのケアのチームがどこまで入り込むかというようなことも考えている。とにかく継続していかないといけないわけであり、半年ばかりで片付くものではないと思う。これからもずっと続いていくと思う。
【委員】
今後もこちらからの派遣は続いていくのか。
【石川参考人】
日本赤十字社の本部がそれをコントロールしているので、向こうから要請があれば、また行くことになると思う。まだ継続すると言っていたので、派遣があると思う。
【委員】
「一つの病院がまさかのときのためにどこまで投資をするかはその病院の成熟度を評価する尺度である」ということであったが、資料には愛知県の災害拠点病院が33か所書かれていて、「災害拠点病院は全て成熟した病院か?」と書かれている。ということはこれらの病院の成熟度がみんな違うということであると理解するわけだが、災害拠点病院は公立だったり私立だったりすると思うが、行政から災害のために備えておくための費用はきちんと出されていないということなのか教えてほしい。
【石川参考人】
災害拠点病院には補助の制度がある。例えば、耐震構造に変えるときにはいくらの補助が受けられるとか、その他いろんな備蓄をするための補助制度があると思う。
【理事者】
災害拠点病院に関する補助制度としては、施設設備の整備に関して国庫と県費での補助はあるが運営などの全般にわたる補助というものはない。建替えとか新しい備品を購入する場合に採択されれば補助する制度はある。
【委員】
「全て成熟した病院か?」という書き方がしてあるということは、そうでない病院もあると思ったので質問した。成熟していない病院があるということについて、明日、災害が起こるかもしれないのにそういった病院があっていいのかと思うわけだが、参考人から見てその点についてはどう考えるか。
【石川参考人】
もう一つそこで言いたいのは、災害ではなく普段の医療がしっかりできるかということである。普段の医療ができない中では絶対無理だと思う。毎日毎日が忙しく大変な人たちに災害訓練をやれと言っても絶対に動かない。日常業務で疲れている中で余分な訓練をやる意識は絶対ない。だから、普段の医療をしっかりしてくださいという意味でそれを少し資料に書いたわけだが、普段の医療をしっかりするためには今の医療崩壊を食い止めるべきであると思う。普段において余裕が出てくれば災害に対しても余裕が出てくる。普段においても余裕がない状況であってはいけないので、皆さんでしっかり医療を支えてくださいということである。
( 委 員 会 )
日 時 平成23年8月18日(木) 午後0時58分~
会 場 第1委員会室
出 席 者
浅井よしたか、須崎かん 正副委員長
筒井タカヤ、内田康宏、奥村悠二、鈴木孝昌、堀嵜純一、
松山 登、西川厚志、樹神義和、みやけ功、東 裕子、
犬飼明佳 各委員
石川 清 参考人(名古屋第二赤十字病院 院長)
健康福祉部長、同次長、健康担当局長、担当局次長、
技監、関係各課長等

委員会審査風景
<付託案件等>
災害時の医療関係者の業務について
<会議の概要>
1 開 会
2 委員長あいさつ
3 議題について参考人からの意見聴取
4 質 疑
5 閉 会
《参考人の意見陳述》
【石川参考人】
名古屋第二赤十字病院の石川です。日頃は病院運営に多大なサポートをしていただきましてありがとうございます。また、本日はこのような機会をいただきましてありがとうございます。東日本大震災が起きてから半年になりますけれども、今多くの医療関係については撤収をしています。そういう中で日本赤十字社はまだ救援活動を続けています。当院からもまだ数名が石巻で頑張っています。しかし、被災地の状況というのは決してまだまだサポートが必要なくなる状況ではなくて、特にこころのケアについては、半年やそこらで収まるという状況ではないと思います。1年とか2年は恐らくまだ大変な状況が続くと思います。石巻赤十字病院の患者さんの中には首をつって自殺を図り病院に運ばれたという人が何人かいるということで、被災者の皆さんはまだ大変な状況にあると思います。
当院は全病院挙げて支援を行うということで取り組んできましたけれども、派遣をする目的はまず第1に被災者のためにということですが、もう一つ、我々自身のためにということがあります。それは現地に行って、実際、救援にあたるということは、今後、この地域で起こったときにどのように対応するかということを身をもって感じ、非常に参考になるということです。そういう意味で今回うちの病院から230名近くのスタッフが行きましたけれども、皆そういう思いを持って帰ってきたので、恐らくこの地域で震災が起こったときにも頑張ってくれると思っています。
本日はそういったことを交えて話をしたいと思いますけれども、ほとんど写真ばかりなので、なるべくメモをしなくてもいいように字のところはお手元の資料に掲げてありますのでこちらのスライドを見ていただいて話を聞いていただければと思います。
今日の話の内容ですけれども、大災害から学んだ教訓ということで東日本大震災及び過去の大災害から学んだ教訓、それから、もう一つは来るべき東海地震に備えてということで話をしたいと思います。まず、今回の大震災及び過去の大災害から学んだ教訓ということで話をしたいと思いますが、地震発災直後の情報として、3月11日の14時46分三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生、このとき宮城県や福島県では広い範囲で震度6強など強い揺れを観測したという情報が流されました。実際、その後の映像は皆さんテレビ等で御覧になったと思います。非常に悲惨な状況でした。それで、今回の被害ですけれども、千年に一度、観測史上最大の巨大地震であり津波災害による甚大な被害があった。もう一つ、福島原発での爆発や炉心の融解ということで歴史的な原発事故、今日はこの話については別の話なので取り上げておりません。現在までに死者1万5,000人以上、行方不明者4,800人以上という数字が出されています。今回、いろいろなところで想定外の大災害という話が出ていますけれども、本当に想定外かということなんですね。スマトラ島沖地震津波、これは、2004年12月26日に起きたマグニチュード9.0の地震で、22万人の死者が出ました。このとき言われたのが、観測史上4番目の巨大地震で阪神・淡路大震災の1,600倍、史上最悪の津波災害であったということでした。このときはスマトラ島のムラボの近くの震源地でマグニチュード9.0の地震があって、その3か月後にほぼ同じ規模の地震がもう一度起こりました。二度目の時はそれほど大きな津波はありませんでしたけれども同じような規模の地震がありました。今回、また同じような地震が来るのではないかという懸念も現地では言われていました。東日本大震災の被災地はスマトラ島沖地震津波災害の被災地と全く同じ光景だったと思います。空から見ると津波が来たところは、全く破壊されていましたし、地上に降りて見てみても同じような状況の被害を受けていました。空から見ると津波が来たところと来ていないところがはっきり区別でき、実際、町の中に入ってみても津波の被災地とそうでないところの余りの違いに異様な現状がありました。津波にあっていないところは日常の生活がその直後からなされていましたし、そこから数キロも離れていないところでは廃虚となっていました。これと同じ状況を今回仙台で目にしました。5月、仙台駅近くでは全く津波にあっていないため普通の生活が行われていて、そこから数キロ離れた仙台港近くでは全く廃虚になっていました。今回、いろいろな被災地の人たちと話をするなかで津波の恐ろしさやすさまじさは想像を絶するということを聞きました。スマトラ島沖地震津波の際、現地のアンドレアという通訳として雇った人が言うには、地震が起きて数時間たって津波が海岸のほうに来るのが見えた。それで、自分は急いで子供2人をオートバイに乗せて山の方に逃げて助かった。しかし、他の周りの人たちは逃げなかったのでほとんどの人が津波にのまれた。何時間かたった後に水が引いてから村の方に降りて行ったらそこら中に遺体が浮いていたという話をしてくれました。また、自分の家のあったところに行ってみたら、家が跡形もなく、なくなっていたという話もしてくれました。すさまじい現状があったと思います。まさかの大津波ということで誰も対策を知らない。これは現地の状況ですけれども、被災地の子供たちは津波のことを知らないので地震が起こった直後も海岸で遊んでいる。向こうから津波が来るのを全く分かっていない。親もそれを知らない。結局、この子供たちは津波に飲み込まれてみんな亡くなってしまったという映像です。このように日本の国内でもいろいろなことが話題になりました。こういう状況が今回も恐らく幾つかのところではあったかと思います。スマトラ島沖地震のときには、シムルー島という震源地に近い島があるんですけれども、この北部でやはり同じように津波による被害がありました。このときの状況を空から見るとこのような状況だったんですけども、このときの被害は人口7万9,000人のうち被災者が1万9,000人、しかし、死者はたったの11人であった。その理由は島の震災の歴史の中で大津波を経験している。2002年にはマグニチュード6の大地震を経験していて、この島民は津波を知っていたので地震があった直後に皆山へ逃げたんだそうです。それで、この島民はほとんどの人が助かったという話がありました。
スマトラ島沖地震津波の後、東海・東南海地震の同時発生による津波被害予測というのが出されていて、このときに、もし津波が来れば死者は1万7,000人と想定されるということが新聞紙上でも出ていました。その中には想定以上の大きな津波が来襲する可能性があり、10メートルを超える津波が来襲するとした地域では津波が10分前後で到達して避難が間に合わず70から80パーセントの住民が死亡するというものがあった。同じようなことが今回起こっているということで今回の津波が想定外というのはひょっとして違うんじゃないかと思う。2005年の防災白書では住民の津波に対する危機意識は低いということが言われています。今回、現地の被害状況が非常に広範で甚大であったということが問題になっていますけれども、この被害の全容が明らかになるにはかなりの時間がかかりました。この地震発生からの日数と犠牲者の数ですけれども、阪神・淡路大震災のときには数日後には大体の犠牲者の数が分かっていた。しかし、今回は2週間たってもその数が分からない。要するに不明者の数が出ているということですね。それで被害の全容が分からなかった。最終的な犠牲者の数はいまだ不明ということで、まだ犠牲者のはっきりした数字が分からないというのが現状です。
今回、石巻地区、被害が一番大きいところに我々は救援に行きました。日本赤十字社は全国から支援に行っていますけれども、同じ所にたくさん行っても意味がないので、全国をブロックに分けてそのブロックごとに担当を決めて支援をするという方針がなされていましたので、我々第3ブロックは宮城県を担当するという方針で支援を行いました。特に、石巻地区では、よく話題に出てくる女川、東松島の一部の地域が一番被害が大きかったと思います。この石巻地区でマスコミによく取り上げられた話題として、大川小学校や日和幼稚園の送迎バスの悲劇、それから震災から9日ぶりに救助された祖母と孫の話があります。この話を少ししたいと思いますけども、大川小学校の悲劇というのは、全校児童108人中74人が亡くなり、教員13人中10人が死亡又は行方不明になった。地震が起こった直後、多くの人たちが校庭で何十分間か時間をロスして、40分くらい後に大きな津波が来るからやっぱり逃げないといけないということで高台に行くための道を川の方に向かったところで津波にあった。それで、ほとんどの人がその津波に巻き込まれて亡くなった。もっと早く裏山に逃げていればみんな助かったんじゃないかということで、父兄からいろいろな疑問が出されている。しかし、先生もたくさん亡くなっているのでどこに責任があるということは言えないんですけども、そういった悲劇が起きたのが大川小学校の悲劇ですね。それから、日和幼稚園の悲劇というのは、地震があった後に園児を自宅に返そうと12人を乗せた送迎バスが7人を高台の避難所で降ろした後に海に近いところに送って行くところで、津波警報に気付いて幼稚園に引き返そうとしたときに津波に飲み込まれた、それで園児5人が死亡したという話ですけれども、この幼稚園は高台にあるんですけども、子どもたちが寒がったり、あるいは怖がるのでその高台からわざわざ親元に届けようということで高台から下りていったところで津波に巻き込まれたということです。助かった園児と亡くなった園児とその親御さんたちの心境というのは非常に難しいものがあるんですけれども、当院の看護師がこの幼稚園の入園式と卒園式に呼ばれて何か話をしてほしいということで話をしたことがあります。それで、亡くなった子供さんの親、生きている子供さんの親、入り混じった中で対応するのは非常に難しい状況だったと思いますけども、当院の看護師がこころのケアを勉強している人だったのでしっかりその任務をこなしましたけども、帰ってきてから泣いていました。その悲しい状況を報告するたびに泣いていました。この大震災ではほとんどの被災者が非常に悲惨な体験をしており、早期からストレスに起因する身体的精神的訴えが多く、こころのケアが最も重要な医療支援の一つであったということが言えるかと思います。それから、もう一つあった別の話として、マスコミで話題となったものですが、石巻赤十字病院に搬送された患者さんで9日ぶりに救助された祖母と孫の話がありました。普通、9日間生きているのは奇跡と言ってもいい。災害のときには72時間がゴールデンタイムと言われており、生死の分け目としては3日たてばもう助からないというのが普通です。それが9日ぶりに助かったということで話題になりました。こういう状況の中にも奇跡というのはあると思います。
今回、被災地の病院はどうであったかという話をしたいと思いますけども、石巻地区には一番大きな病院として石巻赤十字病院、それから石巻市立病院があります。あとは個人病院や町立病院で女川町立病院とかそういう病院があります。石巻赤十字病院以外はほとんどが診療できなくなった。それで、診療機能を失わなかったこの病院の状況はどうであったかといいますと、この病院は免震構造であって病院周囲に広大なスペースがある。ヘリポートがすぐそばにあって利便性がある。広い正面入口、広い正面玄関内のスペース、地下には広い倉庫スペースがあり高速道路がすぐ脇を通っていてインターチェンジがすぐ近くにある。それから、5年前に海岸線より5キロ内陸の地に新築移転したということで津波も目の前の畑まで来たけれども被害にはあっていない。この地区の災害拠点病院としてほぼ完璧な病院であった。この病院の被災の状況は非常に軽微で書棚の書類が散乱した、あるいは、正面玄関の地面に亀裂が起こったり、バイクや自転車が転倒したという程度であった。もちろん停電にはなりましたけれども、自家発電装置が動いてすぐ機能している。この病院では日頃から災害訓練をしていましたので、発災7分後には災害対策本部を立ち上げて院内の状況を把握し、また、39分後にはトリアージエリアを設置して各職員を持ち場に就かせた。それで、病院の外にはテントを設営して患者の受入れを待った。しかし、普通、大災害があるとその直後からたくさんの重傷者が運ばれてくるんですけども全く運ばれて来なかった。職員が、手持ち無沙汰であったということを言っていたんですね。それはどういうことかというと、後から考えれば、今回の被害は津波で亡くなるか生きているかのどちらかで、地震で下敷きになった人が搬送されてくるというような状況ではなかったということです。ですから、そういった患者がいなくてほとんど亡くなっていたので、患者が来るまでにものすごく時間があった。この大災害では地震災害である阪神・淡路大震災のように外傷患者が早期に多数搬送されることはなかった。地震による外傷患者は少なくて津波による死亡か生きているかのどちらかであったというのが今回の災害かと思います。それで、7時間後には自衛隊も到着していろんな情報が徐々に分かるようになってきた。やはり情報の収集が非常に難しかったということが大きな問題だったと言っていました。翌日になって、今度は打って変わってたくさんの患者が運ばれてきた。その中にはよその病院から運ばれてきた患者ももちろんいます。それで、トリアージや治療を実施して病院の中が野戦病院のようになった。多数の負傷者が押し寄せたが石巻赤十字病院では非常に対応がうまくなされたということで、石巻赤十字病院の災害対応は来るべき東海地震に対して、地域の基幹病院が災害対応を考えるうえで非常に参考となるモデルケースと言えるかと思います。今回の対応を見れば、同じようなことをこの地区でもやればいいという、そういう参考になると思います。
一方、被災地内の拠点病院で全く機能しなくなった石巻市立病院はどうであったかというと、これは海岸沿いに近いところにある206床の病院ですけれども、2階まで浸水して診療ができなくなった。それで発災後5日間は孤立無援の状態になったということです。日和山公園という公園があってここから石巻の町の全体を見ることができる。この公園を訪れて献花する人が多く、犠牲者を悼む祈り場としてその場が使われていました。そこから見ると、これはかなりたってからですので瓦れきを片づけてありますけれども、石巻市立病院が建っているのが見える。外から見ると全く無傷ですけれども中は壊滅状態であった。ここの病院は日和山公園から見るとこちらの下の方に見えるわけです。先ほどの幼稚園はこの山に近いふもとのところにありましたから津波の被害を受けなかった。受けなかったけれどもわざわざ子供を送ろうとして海岸の方まで下りてきたところで津波にあって亡くなった子供がいた。そういう地形の図になっています。石巻市立病院に実際に行ってみると1階の自家発電装置は完全に破壊されていて、1階にもいろいろな重要な心臓部があったがそのほとんどが壊滅状態になって全く病院として機能しなかった。この状況についてここの病院のある部長先生が「孤立無援となった発災後の5日間」ということで報告をしていますけれども、その報告を見ると11日に地震が起こった当日、当然電気が消えて機能しなくなった。ライフラインが途絶えたということで、そのあとに病院の上から見ていて津波が来るのがわかった。それで、病院にいた職員、あるいは患者をどんどん上の階に運んだ。しかし、エレベータも使えないので患者を担架あるいは椅子で運ばなければならなかったということを言っていました。非常に大変だったけれども、とにかく患者あるいは見舞い客を全部上の階に上げた。それで、ほとんどの患者は助かったんですけども病院は孤立無援の状態になった。周りが冠水し瓦れきの中で、自衛隊に認識されているけれども支援がなかった。救助を求める手だてがなかったということです。それで、3日後に水が少し引いてきて職員が石巻赤十字病院に応援を求めに連絡に行った。初めてそこで孤立しているということが分かった。その後、重症の患者をヘリコプターで搬送しだした。その搬送に3日間かかり全部の職員あるいは患者が避難できるまでに5日間かかった。また、5日間の間に酸素ボンベの酸素がなくなって亡くなってしまった患者もいたということです。病院ではライフラインの途絶によって病院機能が完全に喪失した。通信手段がなくて応援を求めることもできなかった。このことで通信手段の確保がいかに重要かということを切実に訴えておられました。そういった患者が石巻赤十字病院に搬送されて来ています。
その頃には多くの全国から集まった救護班、これは日本赤十字社だけではなくて自衛隊も県からも国からもいろんな救護班が集まって来ていました。全部で多いときには72チームがいたという話を聞いています。そういう人たちのマネージメントをどうするかというのは非常に大変なことで、本部要員の重要な任務であった。今回、見習うべきなのはこのシステムです。宮城県では災害医療コーディネーターというのを選任して大規模災害時に適切な医療体制を構築するということで、県内を幾つかのブロックに分けてそのブロックごとに災害医療コーディネーターを置いている。その人は災害のときには現地災害対策本部で現地の調整役を行う。それで、たまたま大震災の1か月前に石井先生という先生がこの地区のコーディネーターとして県から委嘱をされ彼のもとに全ての医療班は統制されたということです。大学あるいは日本赤十字社の全ての救護班が彼のもとにコントロールされていた。その下にはもちろんサポートする人たちがたくさんいました。日本赤十字社の多くのスタッフも支援に行きましたけれども、いろんな救護班やいろんな救援物資を担当する役割をつくって石井先生のもとに本部が置かれた。当院のスタッフもこの支援に当たっておりました。今回、この支援に当たって感じたことは、スタッフに求められるのは、災害医療に精通していること、あるいはいろんな研修会や災害訓練、それからメーリングリスト等で普段からつながりがある、そういう顔ぶれ、また、災害救援のエキスパートといった人たちが支援に関わったんですけども、日頃からそういったつながりがあるということがいざというときには重要であるということを痛感しました。この地域でも災害医療コーディネーターを選任してそれをサポートするシステムを早く構築する必要がある。今この地域で大災害が起こったら誰が指示を出すのかというのは決まっておりません。それは問題かと思います。この合同チームによって毎日ミーティングが開催されて各救護班からの活動報告、あるいは被災地のニーズ、感染症の発生状況、支援物資の搬送状況、こころのケアチームの報告、行政や地元医師会との情報交換といったことがなされました。これは本来行政がやるべきことであったんですけれども、行政が被災して全く機能していなかったということで、この医療班がこういったことも担っていたというのが現状です。
津波災害の特徴ですけれども、過去の教訓から死者数は負傷者数を上回る、その通りですね。行方不明の遺体が揚がらないことが多い、これもその通り。死因はほとんどが溺死です。死者の多くに打撲がある、あるいは特殊な疾患として津波肺という肺炎を起こすこともある。それから、早い時期から心理的サポートが必要であるということが言われています。それともう一つ、今回は非常に寒い時期であったので低体温症患者がたくさんいた。そういう人たちは本来であれば無傷の患者です。水の中に漬かって体温が20度や25度になった人たちがたくさんいたのが今回の状況でした。そういう中で災害は女性、子供、老人、病人など災害弱者に最もひどく危害を及ぼすというのが現実です。災害時に優先的に医療を施すべき災害弱者が手厚くされるべきということです。
石巻赤十字病院の患者数ですが、普段は今の時期、救急患者数は少ないんですけれども、多くの他の施設が機能しなくなった、その上に多くの被災者がいたため患者数は異常に多い状況でした。そのため石巻赤十字病院の支援ということでいろんな職種の者が支援に行っています。当院からも救急外来の支援に何人か行っていますけれども、石巻赤十字病院の職員も被災者であって、職員の中には家族を亡くした人もいましたし、そういう中で非常に頑張っている職員もいました。病院支援は直接の被災者支援でした。また、病院支援をすることによって石巻地区に唯一残った診療機能を早く回復し間接的に被災者の支援をする、それが一つ大きな教訓であったかと思います。
それから救護班の活動ですけれども、被災地の避難所での救護、これは日常行われている救護ですけれども、一般的にこういう救護の中で災害医療というのは早期から災害によるストレスに起因する身体的精神的訴えがある、また、投薬切れによる慢性疾患の増悪というのも問題になる。それから避難所での集団生活に起因する感染症や伝染病、これも問題になる。長期的には治療よりも予防が重要であるという話があります。特にストレスに起因する身体的精神的訴えというのは非常に問題であって、今回、こころのケアチームというのがいろんな組織から派遣されてきました。発災後、本部が出来上がった当初からこころのケアチームが出来ていました。彼女たちは被災者のところへ行っていろんな話を聞いたりハンドマッサージをしたりしてこころのケアをしていました。また、被災者だけでなく支援している者にもこころのケアが必要でした。実際、救援に行った者が悲惨な状況を見てストレスでこころのケアが必要になる。救援者のためのストレス対策というのも重要な課題であるということで、この石巻赤十字病院には被災者である職員それから救援者に対しても支援をする、こころのケアをするための場所がありました。そこでこころのケアを救援者に対しても行っていました。次に、投薬による慢性疾患の増悪ですけれども、これも非常に今回大きな問題になりました。津波で自分の持っていた薬が全て流されてしまったということで、この病院には朝早くから投薬を求める被災者の長蛇の列が毎日出来上がっていまして、自分の薬が分かっていればいいんですけれども、自分の薬が分からないような人もたくさんいましたので、今回、薬のことというのが非常に大きな教訓になるかと思います。現地に行って被災者へ直接薬を配るということも行っていました。
実際、現地に入ってみると、自分も発災10日後に被災地に入りましたが、テレビで見る映像とは全く違っていた。生臭い臭いがしたりあるいは瓦れきの中に遺体が埋まっているかも分からないという中で被災者に直接関わるということは、非常に医療従事者としてやりがいを感じました。もう一つの派遣の意味というのはこういうところにあるのかと思います。救護班として被災地で直接被災者の人たちに関わることは医療従事者として本当にやりがいを感じることであります。当院は一人でも多くの職員を派遣したいということで出してきました。
被災者の中には新聞でも問題になっていた生活不活発病といわれる、避難している高齢者の中には避難所で動けない状態が続くことによって更に状態が悪化するという疾患が問題になっていましたし、そういうことからして今回行政と医療とのリンクというのは非常に重要であるということを痛感しています。救護班には地域医療のキーパーソンである保健師との密接な連携が不可欠で、保健師と一緒に活動しないといけない。それから要介護者への対応というのも非常に重要で、介護支援を必要とする被災者を収容するような避難所が必要であるとも思いました。それからトイレや水が使用できないことによる避難所の衛生状態の悪化というのも問題で、トイレが使えないので最終的には多くの人たちが新聞紙に自分の便をくるめてビニールに包みごみ箱に捨てて行ったという状況があった。非常に衛生状態が悪いということが医療にも影響してくる。過去の教訓から「伝染病は自然に流行することはなく死体が異常な病気の流行を起こすこともない。病気を予防することは衛生状態を高めて人々を教育することである」という話があります。スマトラ島沖地震津波のときも死体から感染症が拡大するという大きなうわさが流れました。当時スマトラ島沖地震津波発生後にWHOが緊急アピールを発表しました。このアピールというのは、発災10日後に津波被災者に対する水衛生面などの対策を十分行わなければ感染症の流行によって新たに15万人が死亡する危険性があるというもので、被災地、あるいは救援に行った人を震え上がらせました。しかし、実際は全くそのあと感染症は起こらなかった。というのはどうしてかというと、早い時期からいろいろな支援組織が水の供給とかをしっかり行っていた、それで感染症は全く起こらなかったというのが現実です。今回もやはり水の供給というのが非常に重要で、日本赤十字社も避難所への給水設備の設置ということを行いましたけれども、衛生状態を保つということは災害後の支援として非常に強調されなければならないということだと思います。行政との連携の重要性、医療と保健衛生をリンクさせた活動、避難所の劣悪な衛生環境あるいは水道、下水、し尿処理という大きな問題に対する簡易トイレや給水設備の設置、マスクや消毒薬に関する教育など他の感染対策が不可欠であると言えるかと思います。ただ医療をやっているだけでは不十分と言えるわけです。こういった衛生状態を改善するということも重要なことかと思います。大規模災害時の医療活動には災害発生早期から行政との密接な連携が不可欠であるというのが教訓かと思います。今回、石巻地区では医療だけが動いていて行政が一緒について来なかった、ついて来られなかったというのが問題であったということが言えるかと思います。
それでは救護班はどうか。今回多くの救護班が派遣されました。なかなかこういった実情は報告されていないんですけども、救護班の中には決して満足な救護班ばかりじゃなく、救護活動の基本的な知識が全くない救護班があったり、事前説明を受けておらず救護の目的とか心構え、注意点を理解していなくて被災者にかえって負担をかけるようなことを行った救護班もいました。自己完結型救護の意味がわかっていなくて、被災地に負担を負わせたりあるいは危機管理の基本的な知識がなかったり、あるいはコミュニケーションやチームワークがとれない、あるいは被災地や被災者の心情を理解しない、そういった救護班もいくらかありました。これは今回の善意の中では余り表に出てきませんけども、実際に本部を運営する中でこういったことを非常に多く感じました。国際救援では、よく教訓として言われることは、「災害が起こるたびに的外れの救援チームが国内外から派遣されている」。これは現実ですね。大きな災害だといろんな国からたくさん救援に来るんですけども、ただ、写真を撮って帰るだけのチームがあったり、ただ混乱させるだけで全く救援を行ってないチームがあったり、そんなチームがたくさんいる。国際救援では「救援チームによる第2の災害」が大問題だということが言われています。救援活動は適切に調整されれば被災者の有益になるけれども、そうでなければ大混乱を招くことになって第二の災害となる、これが教訓です。
災害救護では自己完結型救護が原則で、救護班は医薬品や医療資器材のみならず、連絡手段や情報収集手段、水や食糧、寝具全て自分で持参するのが当然で、被災地に依存することなく自分のことは自分で全て処理するのが原則です。今回、我々は当然食料とか全部持っていって、寝泊りは廊下でしましたけれども、今回の我々の被災地での環境は天国でした。暖房があり、水やトイレが使えるようなところで寝泊りでき救護をやるなんていうのはない。普通は水も使えなければ寝るところは外のテントの中の寒いところですので、今回、石巻赤十字病院の廊下を使わせてもらえたということは救護班としては天国のような環境で救護ができたということだったんです。そういう意識でやはり救護に行かないといけないということですね。私の提言は「善意だけでは災害救護はできない。熱い思いだけでは災害救護はできない。」ということかと思います。救護班の心構えとしていくら善意や熱意があっても十分訓練された技術や能力がなければ、災害現場では邪魔になるばかりで有意義な救護はできない、救護班は事前に説明を受けて救護活動の目的、心構えや注意点を十分理解すべきである、全ての医療従事者は心肺そ生法と同様に災害医療、災害救護について習得すべきであるというのが提言です。災害救護に求められる資質、心身共に健康で劣悪な環境の中での生活に耐えられる、それからやはり協調性、臨機応変に対応できるという柔軟性も非常に大切です。それから積極性があり災害医療をマスターしている、そういった知識も重要であるということです。
話が変わりますが、今回の当院の対応をちょっと話したいと思います。地震発生の情報があった直後に当院では災害対策本部を立ち上げました。情報収集、それから初動班との連絡、関係機関からの情報収集等を行い、24時間体制で約2週間この本部を立ち上げました。病院のイントラネット上では災害モードにして時系列で活動状況を掲載して全職員が情報を共有できるようにしました。また、全職員に対して院長メッセージとして全病院挙げて救援活動に協力をという提案もしました。地震発災3時間後に初動班やDMAT(災害派遣医療チーム)のチームを送り出しました。DMATチームは名古屋から救急車で出かけ、DMATは厚生労働省からの指示や指令がありますから、その指令に従って花巻空港に行って患者搬送を行いました。実際には人工呼吸患者の転院搬送を数件行ったのみです。このDMATについてはいろいろな話があります。この大震災では阪神・淡路大震災の教訓から誕生したDMATが活躍する機会は少なかった。というのは地震による外傷患者さんがほとんどいなかったので活躍の場がなかった。しかし、今回厚生労働省が中心になって情報を流して迅速かつ組織的にDMATを集結できたこのシステムは非常にすばらしいもので、今後の大災害の時にはDMATの活躍が期待されるかと思います。しかし、今回は残念ながら彼らの活躍する場は余り無かったというのが現実です。それから、初動班は同じ日に出動して1,000キロを51時間かけて最終的に石巻までたどり着きました。現地ではいろんな被災地に入る話もありましたけれども、結局は石巻が一番被害がひどいということで最終の目的地になりました。
当院から派遣したスタッフは二百数十名いますけれども、いろんな職種の人たちがいろんな活動をやってきました。初動班の活動に加えて、その後、継続的に職員を派遣しました。派遣要請に対しては可能な限り派遣するという方針で、発災当日から現在まで約230名の職員、派遣する職員は全員希望者で、希望者を優先して派遣しましたけれども、希望者の中にも行けないという人が何人もいました。派遣された人たちは皆行ってよかったという話をしていますし、また行きたいという人たちがほとんどでした。彼らに対してはブリーフィングやデブリーフィングを行いました。帰って来てから「被災者の人たちがかわいそうだ」と言って泣いている職員も何人かいましたので、そういった人たちのこころのケアも非常に大事なことでした。活動報告をして今後の支援のあり方、あるいはこの地区で起こったときにどうするかということをみんなで話し合いました。スマトラ島沖地震津波災害のときにアナン国連事務総長が全世界に向けて呼びかけました。「空前の災害には空前の支援を」と。今回、東日本大震災で私は「想定外の災害には想定外の支援を」と呼びかけています。この災害で頑張らなかったらこれ以上の災害はあり得ないと思っています。15年前に阪神・淡路大震災で6,000人の死者が出ました。今回15年ぶりに2万人の死者が出た。こんな災害にはもう一生自分が遭うことはないと思っています。だからこの災害で頑張らなかったらこれ以上の災害はあり得ないと思います。
話が変わって、来るべき東海地震に備えてということで、世界中でここ数年連続して大災害が発生しています。2003年イラン南東部地震、2004年スマトラ島沖地震津波、2005年パキスタン地震、2006年ジャワ島地震、2008年四川大地震、2010年ハイチ地震、そして今回、この次はひょっとすると東海・東南海地震かもしれないという順番です。それで寺田寅彦の名言「天災は忘れた頃にやってくる」というのはもはや死語で、今や「災害は忘れる前にやってくる」というのが正しいかもしれません。東海地震は今や、もし起きれば、ではなく、いつ起きるか、というレベルと捉えられています。それは過去の歴史からここ数年がちょうど空白域になっているということで、東海・東南海・南海地震が同時発生するんじゃないかという話も出ています。死者は最大で2万4,700人、そういった予測も立てられています。東海地震の記事が出ない日はないというぐらい今はこの地域では問題となっています。東海地震の発生は日一日と近づいているというのは現実で、大災害明日は我が身ということで、(椅子に座った女性のお尻の下のねずみの画像を示し)皆さんは今こういう状況にあるわけです。御婦人でありません。我が身というのはねずみです。いつ潰されるかわからないという状況にあるということです。皆さん笑い事じゃなくして本当にこんな状況にあるということです。「備えあれば憂いなし」ということでねずみでさえこんな準備をしているのに人間様ができないわけはないということです。ということで、当院では毎年定期的に東海地震を想定した災害訓練を行っています。今年も10月に予定をしています。その訓練では災害対策本部での情報収集の訓練、あるいは多数の傷病者が搬送されたという想定で災害時の3Tであるトリアージ、トリートメント、トランスポーテーションといった訓練を行います。トリアージ訓練、これは先ほどの石巻の実際の現場と同じです。やはり我々が訓練をやっているのと同じような現状が今回の石巻で実際見ることができました。重症患者搬送訓練、それから重症患者の被災地域外への広域搬送訓練、ヘリポートを利用した患者搬送、こういったことも訓練しなければならない。救命救急センターは災害時の最後のとりでということで、大規模災害に備えた万全の装備、災害時に病院として機能を維持できる耐震構造、ライフラインが途絶えたときにも3日間電気と水を供給できるシステム、3日間の食料品と医薬品の備蓄、これが最後のとりでとしての装備だと思います。また、大規模災害に備えた万全の装備ということで、非常用発電機、ヘリポート、エネルギーセンター、地下貯水槽が必要です。当院では70トンの地下貯水槽が2基装備されています。ということで、万全の装備をしておかなければならない。また、我々医療従事者だけが災害について訓練をしていても駄目で、地域住民の人たちもやはり災害医療とはどういうものかということを分かってもらわなければならない。トリアージの意味だとかそういったことを分かってもらわなければこの地域での災害時の対応はできないということです。災害訓練のときにはいつも併せて地域住民と一緒に災害医療を考える集いということで、講演とか炊き出し、あるいは災害時の対応の仕方の研修等を行っています。過去の災害から災害による被害は予測できないものではなくて共通性があるということが言えます。大災害が起こると医療救護活動タイムスケールということで、フェイズ0の段階、これは生存者相互による救助や応急処置、フェイズ1というのは救護所での医療や後方病院への搬送、避難所の巡回診療、保健防疫対策に強大な機動力と人力の投入が必要となる。それからフェイズ2の段階では各科専門医による医療、フェイズ3がリハビリ医療、こういったタイムスケールというのはどんな災害でも同じように起こる。今回の津波災害ではフェイズ0というのがなくて一気にフェイズ1という状況に移ったというのは一つの特徴かもしれません。フェイズ0ではほとんどの場合、災害直後の救命処置は地元の人たちによってなされているというのが現実です。災害発生直後には119番通報しても救急車は来ない。110番しても警察も来ない。ましてや外部の救護班は来ない。これが現実です。ですから、まず自分の身は自分で守るというのが災害医療の鉄則です。地震災害では被災して機能が低下した病院に傷病者が殺到する。しかし、この状況は1日でほぼ終了する。これが災害医療の現実です。今回、津波災害でちょっと状況が違いますけども阪神・淡路大震災のときの現実はこうです。重症患者が次から次へ2日も3日も運ばれてくるなんてことはあり得ない。だから1日でそういった状況は済んでしまう。亡くなる人は亡くなる、生きている人は全て運ばれるというのが現実です。先ほどの72時間を超えて生きているということは非常に珍しい奇跡的なことです。こういう状況が分かっていれば病院がどういうふうに対応すればいいかというのはおのずと分かるわけです。大規模災害の発生時はかかりつけ病院がもっとも頼りになる存在、間違いなく多数の傷病者が病院に押し寄せてくるというのは現実です。どんな病院でも近くにあれば間違いなくその病院に押し寄せるのが被災者の心理です。それぞれの病院はそういった覚悟で対応しなければならないということ、大規模災害発生時には地域住民の皆さんのために可能な限り医療を継続することを考える、これが現実です。阪神・淡路大震災のときにこういう話がありました。ある個人病院で、地震が起こって自分の病院が被災し医療機器が使えなくなった。診療はできないからということで門を閉じた病院がありました。門を閉じたことによってその周りの人たちはそこの病院に入れないわけです。結局、その人たちはよその病院に行ったんですけども、この病院は方針を間違ったわけです。どこの病院もみんな診療ができない状況になったのに病院を閉じてしまったら被災者は入れない。本来、受け入れないといけないんですけども院長はその判断を誤った。だから、どんな条件であっても可能な限り医療を継続することを考えないといけないということが教訓です。大規模災害発生時には災害発生後3日間の自衛手段を講じておけばその後は行政が対応を始めると考えられており、初動対策が重要です。これも、今回、いろんな状況で孤立して5日間大変だったという話もありますけども、基本的に3日間です。当地区のような場所で5日間も孤立するということはあり得ないので3日間の自衛手段を講じている。だから、我々は3日間頑張れば後は何とかなるというようなことで対応を考えています。「一つの社会がまさかの時のためにどこまで投資をするかはその社会の成熟度を評価する尺度である」という言葉をある人が言いました。これは、社会を病院に置き換えても同じことが言えると思います。「一つの病院がまさかのときのためどこまで投資をするかはその病院の成熟度を評価する尺度である」ということが言えるかと思います。ところが、現実はこの地域の基幹病院でも過重労働、勤務医不足、医療トラブル等で医療崩壊が起きている。本職の医療にさえ手が回らないのにまさかのときのための投資は難しいというのが現実です。今、災害拠点病院は県内では33件指定されていますけれども、全て成熟した病院かというと、果たしてどうかということが言えるかと思います。そういう意味で、我々は少なくとも大規模災害時に地域の人々に信頼される成熟した病院に、ということでその準備をしなければならないと思います。ということで話を終わりたいと思います。



(主な質疑)
【委員】
何かで読んだ話だが、災害が起きたときにその場に居合わせた人たち、大人も子供もみんな救急行為ができるといいということで、子ども救命士の育成を行っている町がある。実は子供だけでなく私たちも全く救急の手段を知らない。実際のところ何もやれないが消防署に行って少しは勉強したこともある。私たちがそういう場面に遭遇したら最低限何かやれることはあるのか教えてほしい。
【石川参考人】
地震災害時において、いろいろなけがをした人たちに対しての一般の人たちによる応急処置についてはある程度はできないといけないと思う。心肺そ生法として、例えばAEDの使い方も含めて教えている所もある。もちろん心肺そ生法というのが一番基本的なことであるが、そのほか、止血法やけが人をどのように運ぶかとか骨折のときにはどのように固定するかなどについて日本赤十字社では一般の人たちに向けて研修の場を設けている。そういった研修を受けておくのも一つだと思う。
【委員】
日本赤十字社のどこかに申し込めばそういった講座を受けられるということなのか。
【石川参考人】
日本赤十字社は応急処置の講習会を定期的に行っている。病院ではなく日本赤十字社の愛知県支部において応急処置の講習会をやっている。
【委員】
次に、現在、救急搬送される方の6割ぐらいが軽度で入院の必要がないような人たちであり、そのために当番の病院あるいは当番の勤務医の方の過重な負担になっているという話を聞く。先ほどもトリアージという話が出ていたが、今後、救急医療の問題を解決するには、現場の救急隊員がそういう判断をするのが望ましいのか、それとももっと広く患者たちに何か啓もうした方がいいのか、どのように考えるか。
【石川参考人】
啓もうがまずもって第一だと思う。患者さんにも患者意識というのがあり自分は重症だと思うと救急車を呼ぶし、自分が重症だと思うとただ熱が出ているだけでも救命センターに来るので、そういったところはやはり啓もうが第一であると考える。もう一つは救急隊員のトリアージというのが問題になっていて、救急隊員に重症度を判別させて最重症者はどこへ運ぶかとかを判断させている。これについての教育がなされつつあり、トリアージのことを救急隊員に教育して救急隊員が判断するということもある。結構難しいのは、例えば病院の現場でも問題になるが、救急隊員が、「あなたの症状はこんな軽いのに救急車を使ってはいけません」と言うとまずトラブルになる。我々医療従事者も、患者さんに「こんなことで救命センターに来てはいけません」と言ったら間違いなくトラブルになる。それは患者さんの認識から来るものである。そういう意味で、「これぐらいでは救急車を使ってはいけない」ということをいろいろなところで啓もうしないといけないと思う。
【委員】
私の友人がニューヨークにいるが、アパートで転んで救急搬送され、後で20万円の救急搬送代を請求された。日本でも有料化という考え方があるが参考人はどう考えるか。
【石川参考人】
いろいろと議論になっている課題だと思う。救急隊の中でも消防庁でも有料化したほうがいいのではないかという意見もある。しかし、有料化は難しいと思う。
【委員】
災害医療コーディネーターについてだが、私は災害ボランティアコーディネーターのことはよく聞くことがあるが、この医療コーディネーターという話は初めて聞いた。この制度というのは宮城県特有の制度なのか、それとも全国的にもそこそこあって愛知県にはないということなのか、分かれば教えてほしい。
【石川参考人】
宮城県では個人を指定してやっている。今回、震災を受けて国のレベルで災害医療を考える有識者会議ができた。その中で災害医療コーディネーター制度を作ろうという提案が出されている。ということは全国の都道府県全てにあるというわけではないということだと思う。少なくとも愛知県にはない。今回の石巻地区の動きは素晴らしく、災害時におけるモデルケースになると思う。このシステムを早くこの地域やその他のいろいろな地域で作るべきだと思う。誰かトップになる人がいてその下にそれを支援するグループがしっかりとでき、日頃から顔を合わせてやるような体制ができていればかなりしっかりしたものになると思う。災害拠点病院の中の何人かの人たちが集まってやればいいと思うが、残念ながらまだできていないので、大災害が起こったときのことを考えるとちょっと怖いと思う。実際に災害が起きてしまえばそういった人が出てくるのかもしれないが、やはりそういった人が全体を見て救護に来た人たちの采配を振るような形ができていないといけないと思う。
【委員】
宮城県のコーディネーターの医師は赤十字病院の医師ということか。
【石川参考人】
たまたまあの地域では赤十字病院の人であったが他の地域は違う。大学の先生など他の組織の人たちもたくさんいる。
【委員】
もし愛知県で医療コーディネーターの方を選任しようと思った場合、特に赤十字病院の医師にこだわらなくても、例えば災害拠点病院の医師などで組織を作るという理解でいいか。
【石川参考人】
災害医療におけるいろいろなことが分かっていて、しっかりまとめることができるという資質があれば私は誰でもいいと思う。
【委員】
次に、かかりつけ医に関してだが、災害に限らず医師不足の関係で個人もかかりつけ医を定めようということで、なるべく拠点病院に行かないようにというか、軽度な方はかかりつけ医で、高度な医療が必要な方は二次病院や三次病院にということが言われているわけである。しかしながら、拠点病院と違いかかりつけ医というか地域の病院は耐震などの対策ができていなくて、特に今は昔と違って医者がそこに住んでいるわけでなく、住まいと診療所は別々という中で、実際に災害が起きて身近な病院に行ったときに医師が来ているかどうかという問題もある。来ることができたとしても阪神・淡路大震災の話ではないが、実際に医療行為ができるのかということを疑問に思ったのでその部分をもう少し教えてほしい。
【石川参考人】
愛知県には拠点病院が33か所あるわけだが、被災者心理としてやはりそういう大きな病院に集まってくると思う。もし今災害が起きたらやはり皆さんはここから一番近い医療センターに行くと思う。そこにみんなが押しかけると思う。隣に個人病院があったとしてもそこには行かず拠点病院に集まるということだと思う。かかりつけの個人病院には行かないかもしれない。でも、もし隣の人がけがをしていたら個人病院も開けてあげないといけない。先ほどの話はもう少し中くらいの規模の個人病院だったわけだが、そこの病院は閉じてしまった。周りの人たちは、本当はそこに行きたかったわけである。開業医で医師が一人しかいないところなどでは無理だと思うが、ある程度の病院はそれをやらないといけないと思う。
【委員】
逆に開業医たちが被災した場合に拠点病院に来てもらい設備を貸すということで、拠点病院に医師が集まるという方がいいのではないかと思うがどうか。
【石川参考人】
そのような動きはある。我々が訓練をするときには開業医にも参加してもらっている。開業医たちは自分のところでは何もできないので、拠点病院に来て一緒に活動するという動き、あるいは休日診療所に開業医が集まってそこでやるという動きがある。訓練の中では拠点病院や診療所にみんなが集まってやるというシナリオになっている。
【委員】
医療コーディネーターが愛知県でも選任されたとして、愛知県で災害があった場合に、開業医たちが拠点病院に集まった場合であっても医療コーディネーターの方はいざというときには定められた管轄に入り指示をして有効的に救護できるという理解でいいか。
【石川参考人】
外部から来た人も全てその下に入る。そうでないと意味がない。救護班がばらばらに動いていては全く統制がとれないし無駄なことになるので全て傘下に入って活動するという意味でのコーディネートである。宮城県ではブロックに分けてそのブロックごとにコーディネーターを決めている。この地域では誰で、こちらの地域では誰ということだと思う。
【委員】
トリアージの順位であるが、赤、黄、緑、黒という色分けは万国共通なのか。
【石川参考人】
そのとおりである。
【委員】
万国共通なら今さら言ってもしょうがないと思うが、トリアージのことは今まで何度か話を聞いたことがある。その度に第4順位の黒色というのはいかがなものかなと思う。もっとも第4順位に位置づけられる人というのは意識がないから何色をつけられても関係ないと思うし、もし御家族が来て見たときでもそんなことは非常時に関係ないのかもしれないが、そんなことをふと思った。
【石川参考人】
阪神・淡路大震災のときにこういう話があった。ある病院で次から次へと被災者が押し寄せてきた。中には心肺停止の患者さんもいた。その中で重症な人から順番に治療をするということでトリアージをしていた。そこに御婦人を板に載せて運んできた御主人がいたが、その御婦人は既に心肺停止状態だった。医師がその人を見てこれはもう亡くなっているから駄目だ、あきらめてくださいと言ったが納得してくれない。何か処置をしてくださいと言う。それで遺体安置所に連れて行きやっぱり駄目ですと言って説明したが納得されない。どうしたかというと、御主人が心肺そ生のやり方を教えてほしいとのことだったので心肺そ生の方法を教えた。すると御主人は冷たくなった御婦人に対し2時間以上にわたって心肺そ生をやっていたという話がある。災害医療においては非常に残酷な場面がある。その人を治療するのに無駄な時間を費やしていたら結局助かる人も助からなくなってしまう。他にも重症な人がたくさん来るわけである。そちらを診ないといけないので、住民にもトリアージの過酷な状況というのを理解してもらわないといけない。そういう意味でも災害医療は医療従事者だけでやっても駄目で住民にも理解してもらわなければならないと思う。トリアージの過酷な状況や、それとは反対に少しけがをしたくらいで病院に来たら、重症な方がたくさん来るので包帯を渡して自分で手当して病院に入らないでほしいということもあり得るわけである。そういう現実があるということを被災者の人たちには理解してもらわないといけない。トリアージは重症の人のうち一番助かる見込みのある人から順番に治療をやるということである。JR福知山線脱線事故のトリアージの現場で自分の家族は何も処置してもらえなかったということが問題になったことがあった。しかし、救急隊や医師は正しいことをしていたわけである。トリアージのそういう残酷な状況で黒と判定されても家族は納得できないという場面がある。救急医療の場合は、絶対駄目だと分かっていても、ある程度治療をしてからやっぱり駄目という話をする。そうすると家族は納得するわけだが、災害のときはそれもせずにぱっと判断しなければならない場面があるということである。
【委員】
黒という色は、一目瞭然というのがこの場合一番いいのかもしれないが、全く関係のない第三者が見てももう駄目だなということを連想してしまう色で、紺色かブルーぐらいにしておけばいいのではないかという単純な発想で質問した。どちらにしても、第2次世界大戦の時にアメリカの看護婦が口紅で負傷した人の額に○や×や△をつけて緊急対応したということを聞いたことがあるので、緊急事態のときには問題はないのかもしれないが、やっぱり黒が問題になったことはあるのか。
【石川参考人】
問題になったことはある。
【委員】
自己完結型の救援というのを聞いてなるほどと思ったわけだが、ボランティアというものが日本においてはそこまできちっと成長していないと思うが、今回、救援に向かった救護班や海外の救護班の実態を見てどのように考えるか。
【石川参考人】
石巻地区での救護活動では、常時70チームぐらいいる救護班の中に、本来は自分たちで持ってきてしかるべき物を持ってこずに現地の病院にそれを求めたりする救護班もいた。現地の病院は被災地なのでそんな人たちの面倒を見ていられないわけである。だから本来、救護班というのは救助するための薬や自分たちの食べ物や寝具まで全て持ってくるのが原則であるが、そういうことが分かっていない。今回もそのような救護班がいた。このことは基本中の基本なのでそれを分からずに救護に来てはいけないと思う。これは医療者の問題であるわけだが、普段から災害救護について勉強していなければ現地では活動できないということだと思う。今回はそういうことが全く表に出てこない。やはり善意を大事にしているからである。来てくれてありがとうという話もあるが、実際、被災地である意味邪魔になるような救護班もいた。それはこれからの教訓として気をつけないといけないと思う。
【委員】
次に、名古屋第二赤十字病院における出動体制であるが、病院の入口にグラフが掲示してあり、なるほどこういう体制で出て行くのか、こういう人たちが参加したのかということが病院に来た一般の人もよく理解できたと思う。そこで聞きたいのは、最初からもし何かあった時に出て行く順番や人員が決まっていたのか、それとも現地の状況を見て医師や看護師の人数の繰り出しなどを計算されたのかという点についてと、この津波と一緒に問題となったのは原発事故による放射能であった。海外の医療班も一番最初にドイツが撤退して、その後フランスが引いてどんどん消えてしまった。私の地元の名東区内にある領事館の人も家族も含めて日本から全員いなくなってしまった。こういった中で責任者として職員を被災地へ派遣する思いというものを述べてほしい。
【石川参考人】
災害時に一番最初に出動する初動班やDMATというチームはやはりベテランでないと難しいので、病院においてそういう人選がなされている。もちろんそのときに行きたい者ということで希望を募り、その結果、何十人か希望者がいる中で決定をする。状況が分かってくると流れが分かるので、その後は看護師は誰と誰といったように特に決まっているわけではなく希望者を順番に出したということである。今回200人以上行きたいという希望者がいた。行けない人も何人かいたが皆、本当に行きたい人ばかりであった。実際、行ってみて非常にいい経験になったということなので、1人でも多く経験するということは今後のためにもなりよかったと思う。それと責任者としての思いという話だが、災害救護の一番の基本原則として、まず自分の身の安全を守るというものがある。外国の人たちがすぐに撤退したのは、自分の身の危険を冒してまで災害救護を行うべきでないという考えがあるからである。これは鉄則である。他にも、救護と同じく心肺そ生でも、まずやるときには自分の身の安全を確保する。自分を犠牲にしてまでやるのは救護ではない。まず自分の身の安全を確保しないといけない。我々日本人は安全だと理解していたが、外国人は、日本は放射能により危険だというように理解したわけである。だから日本にいること自体が危険だと全ての外国人が思ったので撤退したわけである。自分の身を危険にさらしてまで救護に当たる必要はないということで撤退していった。職員を派遣する立場として、実際、日本の状況は分かっており、宮城は危険でないと思っている。福島のあたりなど、そこへ行くまでの通り道は確かに少し危険であったかもしれないが、飛行機で新潟に行ってから宮城に入る経路ならば危険ではない。原発のことについてはある程度気にはしていたが、多くの日本人が思っていたとおり、それほど危険ではないと思っていたので、宮城に派遣しても問題ないということでどんどん派遣したということである。したがって福島の危険地域にまで救護に行けというようなことはまずあり得ない。しかし、今回はそこで働いている医療従事者もいる。それは労災病院の人たちである。労災病院にはそういう使命があるからである。それから救急医学会の中心的な人たちは福島の被災地の中に入っている。ある程度危険があるわけだが、それを承知のうえで、自分で手を挙げて行っている。しかし、基本的に我々が派遣するときには自分の身を危険にさらしてまで行けということはあり得ない。
【委員】
この前行われた大文字焼きにおいて、松の木に放射能があるかもしれないということで焼くことをしなかったということがあった。この感性から考えれば、救護に行った方の家族からすれば、うちの息子やうちの娘に対してどのように責任を持って検査などの対応をしているのかという心配は必ず持っていると思う。そのようなことが話題になって特別に検査をやったということはあるのか。
【石川参考人】
我々は救護班を派遣するたびに測定のための計器を持って行かせた。また、当初は帰って来た人たち全員に対し放射能についてのチェックをした。特に問題はなく外部被ばくについて問題になるような人は誰もいなかった。それ以外のところで放射能がどうかということまで言われるとちょっと分からない。生えている草がどうといったレベルになるとそれは他の一般の人と同じ状況ということになるので、救護に行ったからどうということではないと思う。
【委員】
ブログを見せてもらったが、名古屋第二赤十字病院では救護班を常時、9個班、各7名の体制で編成されているということで、ものすごく密なスケジュールで現地へ行っている。今回の資料でいくと17ページの真ん中の段の当院のスタッフ派遣スケジュールという表になると思うが、その表の見方をもう少し詳しく説明してほしい。
【石川参考人】
基本的には向こうの要請に応じて派遣している。初動班は自発的に行っているが、それ以後は石巻地区で必要とされている派遣人員について日本赤十字社が調整している中で、例えば、救護班を何人出してほしいとか、病院支援のための医師は何人欲しいとかの依頼があって出したので、こちらからむやみやたらに次から次へと派遣するということではない。だから、今回、私どもの病院の医師、看護師や薬剤師などがたくさん出ているが、これは石巻地区で必要とされたスタッフを要請に応じて出している。当院からだけでなく他の赤十字病院からもたくさん出しているので、それらの人数で向こうの病院が賄われたり、向こうの地区の救護班が賄われるという中での派遣人数である。
【委員】
ブログでは第1班が3月11日から4月末までの派遣と発表されており、詳細を見ると、いわゆる従来の救護班以外にも病院支援隊や対策本部要員チームとかあるいは病院支援看護師など、従来の救護班とは違う人たちも名古屋第二赤十字病院から行っているようだが、どういうシステムなのか。
【石川参考人】
石巻赤十字病院がただ一つこの地区で残った基幹病院で、そこに患者が全て集まってきたので、そこの病院を支援するという形で地域医療を担うわけである。そこのスタッフだけでは当然駄目なので我々も入っていったということである。そこには災害対策本部もあったので、それをサポートするためにも何人か送ったということである。
【委員】
一般企業ならば売上げが非常にダウンしたりしても企業運営を何とか行うことが可能かもしれないが、病院業務というのは本来の患者も抱えているわけであり、決して楽な仕事ではないと思っている。みんなぎりぎりで過酷な労働についても聞いている。にもかかわらず、いくら希望者といえども、どうしてこれだけの期間にこれだけの人数を出せるのか、また、このノウハウがあるならばその他の病院もかなり全国的に派遣ができるような気がするわけだが、なぜ名古屋第二赤十字病院だけがこれだけのスタッフ、人数を派遣することが可能だったのか教えてほしい。
【石川参考人】
多少、当院の患者さんには迷惑を掛けているかもしれない。でも、それは患者さん皆が納得してくれると思う。今回のこのような大災害で救援に行くことにより自分の主治医がいなくなって文句を言う人は一人もいない。頑張って行ってきてほしいとかご苦労さまでしたと言う患者さんがほとんどだった。院内にこのような掲示も出した。「職員が派遣されるので少し迷惑を掛ける時期があるかもしれない」。実際、多少は患者さんが犠牲になっていると思う。それと、他の周りの人たちも、次に派遣される場合もあるので、派遣された人に対して、サポートすることで自分たちも一緒に支援しているという意識があれば、多少人がいなくなって抜けた分が大変になっても頑張れるというのはある。それは病院挙げて取り組むという姿勢の一つだと思う。病院を挙げてやるという方針であれば周りの人はみんな多少忙しくなっても頑張れるのではないかと思う。
【委員】
愛知県内の病院で参考人のところ以外で同じことができる病院は何割ぐらいだと思うか。
【石川参考人】
頑張れば半分くらいはできると思う。
【委員】
私も先月の末に石巻赤十字病院に行って現地を見たり話も聞いてきた。先ほどの話で災害は忘れる前にやってくるということだったが、石巻でも宮城県沖地震も含めて何十年かに一度必ず大きな地震が来るということに対しての備えを行政も含めていろいろな医療機関がやってきたという話も聞いた。石巻赤十字病院も毎週のように対策訓練を医療チームの責任者を中心にやってきたことにより、今回、非常にスムーズに運営ができたということも言っていた。この地域においても、三連動地震だとか場合によっては四連動地震による災害が必ず起こるという状況を私たちも知らされているわけであるが、名古屋第二赤十字病院における日ごろの訓練の内容はどういうものなのか。3月11日に災害支援に入りそれによってどのような変化が災害訓練の中に組み込まれたのか。併せて、例えば、参考人から見て、そういった訓練について公立病院とその他の民間の病院との連携については今充実していると考えているのかどうか教えてほしい。
次に、地域的な話で恐縮だが、私は半田市選出であるが、半田市では東海、東南海地震が起こったときに市内の4中学校と医師会の1支所に開業医たちがそれぞれ分散して支援態勢をとるよう、半田市と半田市立病院とが協定を結んだ。これについて、被災された方は軽微な傷であれば自分たちで手当しなさいというようなことを今後徹底し、市民の意識を啓発していこうというときに、医師が分散する体制がいいのか、又は、一極集中でそこに自衛隊や他の民間病院の人たち、場合によっては外国の人たちも入るというような形がいいのか、何か見識があれば教えてほしい。
【石川参考人】
まず訓練だが、東海地震を想定した形で先ほどの現実に石巻であったような形での訓練をやっている。どこをトリアージの重傷者エリアにするかとか、たくさん患者さんが来たときにどういうふうに誰が対応するのかというような訓練をやっている。今回、我々がやっている訓練が間違いではないということを石巻の状況を見て感じたので、同じような訓練を今後も続けていくことになると思う。当院は訓練の前には勉強会をやって訓練の意味などを含めて教育を行っているので、かなりの職員が災害医療について理解していると思う。それと拠点病院の連携についてだが、はっきり言って全くできていないと思う。災害が起こったら患者さんをどこへ運ぶかなどといった救命センターにおける患者搬送の連携のシステムなど全くできていない。このことは大問題だと思う。そういうことも含めてコーディネーターなどしっかりした体制を作る必要がある。誰がどのようにやるかとか、どことどこの病院が連携するかとか、患者搬送についても全く決まっていないので恐らく場当たり的になると思う。うちの病院はベッドがこれだけ空いているので、この人数ぐらいは受けましょうとかそんな話になると思う。これでは本当に大変だと思う。拠点病院の連携のことなどは決めておかないと機能しないと思う。そのためにも普段から災害医療について分かっている人たちが顔を合わせて話し合える実務者会議というものを立ち上げないといけないと思う。次に分散なのか一極なのかについてはちょっと分からない。でも現実には地域ごとに避難して来るという形になると思うので、全部が全部、一つのところに集まるというのは無理だと思う。この地域ではこの場所といったように避難してもらい救護するというような形になると思う。
【委員】
訓練の頻度については、石巻では毎週やっていると聞いた。
【石川参考人】
毎週はやってないと思う。ただ、向こうは名古屋よりもかなり意識が高いと思った。訓練に対する意識は高い。訓練を一生懸命やっていた。
【委員】
今回の東日本大震災というのは日本全国に大きな教訓を残したと思っている。だから、例えば、それ以前の意識とそれ以後の意識については、どこの地方自治体も、県にしても、市町村にしても、何かそこから感じなければ行政の怠慢だと思っている。この地域で東日本大震災のようなことが起こったときに、同じテーブルに着いて同じ意識でネットワークなどの問題に関して協議するということが必要になってくるかと思うが、それはどこが投げかけたら一番参考人たちは動きやすいと考えるのか教えてほしい。
【石川参考人】
行政なのかもしれないが、そういう意識で我々も拠点病院の人たちも考えなければいけないと思う。石巻でも病院の方から提案したと言っていた。そういうシステムを作らないといけないということを病院側から言ってシステムが立ち上がったという話も聞くので両方だと思う。今回の震災で医療施設の意識がかなり変わったと思う。これだけの震災があったわけだから、建物の耐震化などの準備についての意識が変わっていかないとおかしいと思う。自分たちの身を守らないといけない、地域を守らないといけないという意識を持たないとおかしいと思う。
【委員】
石巻赤十字病院も数年前に耐震のため建て替えたのでよかったと言っていた。私も公立病院だとか拠点病院についてはどんな地震が来ても倒れない病院にすべきだと思っているので、その点については耐震工事よりも建替えということで行政として進めていく、その援助をしていくべきだと思っている。
【委員】
こころのケアということで聞きたいが、派遣された職員のスケジュールが相当ハードであったということを感じた。例えば、自衛隊の若い隊員の方が救援活動に行ってかなりこころに傷を負って帰ってきたという新聞の報道もあった。そういった中で戻って来てからデブリーフィングでこころのケアを行ったと説明にはあったわけだが、こころのケアは大丈夫であったかどうかについて教えてほしい。
【石川参考人】
当院では国際救援にずっと取り組んできた。国際救援に行った人たちには必ずこころのケアをしてあげないと駄目である。悲惨な現場を見て帰って来るわけであり、絶対に何らかのこころの傷を持って帰ってきているので、必ず臨床心理士などと面接をして話を聞いている。どうだったかということを話すだけでもこころのケアになる。今回も行った人たちの中には帰って来て泣いている人もたくさんいたし、仕事が手につかないという人もいた。当院には臨床心理士や看護師たちによるこころのケアのグループがある。帰って来た救護班に対して、必ず一人ひとりと面接をして何かあったか、大変なことはあったかという話を聞いている。話をするだけで随分気分が休まるのとみんな同じような思いを持っているということを説明すると落ち着いたりするというようなことがある。こころのケアにはこつがある。我々も研修を受けたことがあるが難しい。掛けていい言葉といけない言葉があったりする。こころのケアのためのしっかりした知識がないと対応できない。下手なことを言うとかえって傷を深めてしまう。そういった研修を受けた人たちが当院には何人かいるので、必ずデブリーフィングで話を聞いている。
【委員】
希望した人が行ったということだが、いくら事前にそういう説明を受けたとしても現地に行って戻ってきたら皆さんそういうものを抱いてくるということか。
【石川参考人】
そういうことである。
【委員】
私も6月の2日と3日に多賀城市に行ってきた。その時に避難所で親族が目の前で流されたという方の話を私も涙ながらに聞いたときに掛ける言葉が全く思い浮かばなかった。その当時は震災後3か月で避難所生活が一段落しちょうど仮設住宅に移るというタイミングであった。その方は避難所にいればこころのケアということで臨床心理士の方がいて話を聞いてもらえカウンセリングもしてもらえるが、仮設住宅に行った後は独りぼっちになるのがすごく怖いということも言っていた。仮設住宅での孤立という部分で自殺のリスクなども考えるとこれから先も息の長い支援が必要だということを感じている。そこで、参考人の所感として、長いスパンでのこころのケアの支援というのがどういった形で必要なのかを聞かせてほしい。
【石川参考人】
やはり、みんなといるときは頑張っているわけだが、一人になると心細くなって、うつ状態になったり自殺を考えたりするというのがあるが、3か月、4か月たって初めてそういう症状が出てくることがある。そういったところのケアまでしてあげないといけないので、精神科の学会ではそういった部分をサポートするためにどういう支援をするかといった体制づくりだとか、日本赤十字社ではこころのケアのチームがどこまで入り込むかというようなことも考えている。とにかく継続していかないといけないわけであり、半年ばかりで片付くものではないと思う。これからもずっと続いていくと思う。
【委員】
今後もこちらからの派遣は続いていくのか。
【石川参考人】
日本赤十字社の本部がそれをコントロールしているので、向こうから要請があれば、また行くことになると思う。まだ継続すると言っていたので、派遣があると思う。
【委員】
「一つの病院がまさかのときのためにどこまで投資をするかはその病院の成熟度を評価する尺度である」ということであったが、資料には愛知県の災害拠点病院が33か所書かれていて、「災害拠点病院は全て成熟した病院か?」と書かれている。ということはこれらの病院の成熟度がみんな違うということであると理解するわけだが、災害拠点病院は公立だったり私立だったりすると思うが、行政から災害のために備えておくための費用はきちんと出されていないということなのか教えてほしい。
【石川参考人】
災害拠点病院には補助の制度がある。例えば、耐震構造に変えるときにはいくらの補助が受けられるとか、その他いろんな備蓄をするための補助制度があると思う。
【理事者】
災害拠点病院に関する補助制度としては、施設設備の整備に関して国庫と県費での補助はあるが運営などの全般にわたる補助というものはない。建替えとか新しい備品を購入する場合に採択されれば補助する制度はある。
【委員】
「全て成熟した病院か?」という書き方がしてあるということは、そうでない病院もあると思ったので質問した。成熟していない病院があるということについて、明日、災害が起こるかもしれないのにそういった病院があっていいのかと思うわけだが、参考人から見てその点についてはどう考えるか。
【石川参考人】
もう一つそこで言いたいのは、災害ではなく普段の医療がしっかりできるかということである。普段の医療ができない中では絶対無理だと思う。毎日毎日が忙しく大変な人たちに災害訓練をやれと言っても絶対に動かない。日常業務で疲れている中で余分な訓練をやる意識は絶対ない。だから、普段の医療をしっかりしてくださいという意味でそれを少し資料に書いたわけだが、普段の医療をしっかりするためには今の医療崩壊を食い止めるべきであると思う。普段において余裕が出てくれば災害に対しても余裕が出てくる。普段においても余裕がない状況であってはいけないので、皆さんでしっかり医療を支えてくださいということである。