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19 霞堤(かすみてい)と豊川放水路のお話し

ページID:0409458 掲載日:2022年7月6日更新 印刷ページ表示

19 霞堤(かすみてい)と豊川放水路のお話し

 子どもの時分、飯田線でのお出掛けは、小坂井を出て大きな川をふたつ渡ると豊橋だというふうに記憶していました。
 そのふたつの川の名前は、豊川と「豊川放水路」。
 豊川はもちろんのこと、「豊川放水路」も、そういう名前の天然の川なのだと、何の疑問も持っていませんでした。
 それは、いつも飯田線や国道1号から見る「豊川放水路」の河口部には、はるか上流から多くの水を運んできたと誤解するのに十分な水量があるからでした。
豊川放水路
豊川放水路の河口
 豊川流域では、昔から幾度となく繰り返される河川の氾濫に対して、「霞堤(かすみてい)」と呼ばれる伝統的な治水システムで集落を守ってきました。
 これは、先人が洪水の被害に遭いながらも、豊川という川の特性を理解することで形作られた、豊川と共存するための知恵の結晶といえるものです。
 通常、私たちが想像する堤防は、周辺地域に水を浸入させないよう、川筋に沿って堅牢な土手を設置するものですが、「霞堤」は堤防が連続せず、途中、その一部が切れていて、河川氾濫時にはそこから意図的に水を招き入れることによって、集落への被害を軽減する仕組みになっています。
 この堤防が切れた部分は「差し口」と呼ばれ、川筋がカーブする堤防の決壊しやすい箇所に、水がぶつかるのと反対側の河岸に上流側に向けて設けられます。このため、「差し口」からの水の侵入は比較的緩やかなものとなります。
 なお、浸水被害を受ける一方で、浸水のあった畑地には、洪水に運ばれて上流から栄養素が流れ込んでくるというプラスの側面もあったようです。
霞堤
牛川地区の霞堤
 また、浸水被害の多い集落では、土盛りによって家屋の土台部分を嵩上げしたり、周囲を生垣で囲んで浸水時のゴミの流入を防いだりと様々な工夫がなされました。
 家の内部についても、浸水しやすい一階は畳ではなく板張りとし、家財をすぐ二階へ運べるような設備を設けるとともに、最終的な避難のために、軒下には小舟が吊るされていたとのことです。
 豊川とともに生きる先人の苦労とそれを知恵で乗り越えようとする姿に改めて頭が下がる思いです。
 時代は進んで、1965年(昭和40年)7月、着工以来27年の歳月を経て「豊川放水路」が完成します。
 豊川は下流に向けて大きく蛇行しているため出水時に水が流れにくく、これが河川氾濫のひとつの大きな要因となっていました。
 そこで、考えられたのが、豊川の下流部に川をもう一本作ることで、出水時にはふたつの川によって水を海へ流そうという壮大なプロジェクトでした。
 「豊川放水路」の完成により、出水時には、その40%程度が「豊川放水路」を経由して海に流れることとなり、豊川の治水は劇的に進展しました。
分流堰
豊川放水路分流堰
 豊川と「豊川放水路」との分流堰(ぶんりゅうぜき)は豊川市行明町(ぎょうめいちょう)にあり、隣接する分流堰管理所でゲートの操作が行われています。
 出水によって分流堰のゲートが開かれ「豊川放水路」に水が流されるのは、年間概ね4~5回、多い年で8回程度だということです。
 それを知って、今更ながらに気づかされたのは、いつも見る「豊川放水路」河口部の流水は、山からのものではなく海からのものだったということでした。
 「豊川放水路」と河川改修によって、豊川右岸側※に5つ、左岸側に4つあった「霞堤」のうち、右岸側の5つが締め切られました。しかし、依然として左岸側に4つの「霞堤」が残されていることから、国・県・関係市により、引き続き浸水被害軽減の対策が進められています。
 ※ 上流から下流に向かって右側が右岸、左側が左岸
流域図
国土交通省資料

本日の注意喚起

松の枝に掛けておいた「羽衣」が盗難に遭う事件が全国で発生しています!
 ユネスコ世界文化遺産にも登録された「三保の松原」での事件は皆様もご存じかと思いますが、ここ豊川放水路分流堰管理所付近でも同様の事件が起こっています。
「行明町に伝わる天女の羽衣の物語」
 行明町の豊川放水路分流堰管理所の敷地内に、「羽衣の松」と記された石碑の近くに一本のマツがあります。背後に豊川が流れる見晴らしのよい場所にあるマツには、天女にまつわる物語があるのをご存知でしょうか。
 その昔、天女が豊川で水浴びをしていたとき、通り掛かった若者が、岸辺のマツに掛けられた羽衣を持ち帰ってしまいました。天女は、羽衣を返してもらいたい一心から若者と結婚しました。その後二人は仲の良い夫婦となり、子どもも生まれました。ある日、天女は羽衣を見つけ天に帰ることになり、葉を食べると病気が治るという茶の実と人形を子どもに残しました。子どもは病気もすることなく成長し、星野勘左衛門行明という名の立派な武士になったということです。
 岸辺のマツは何代も植え替えられましたが、マツの近くには、星野勘左衛門行明が建てたという行明寺が残っています。郷土に伝わる物語に思いをはせながら辺りを散策してみてはいかがでしょうか。
(広報とよかわ(平成24年5月1日号)「とよかわのみーつけた!」より)
 この顛末にどうコメントすべきか難しいところではありますが、たったひとつ確かな事があるとするのならば、大事なものはきちんと管理しましょうということですね!
羽衣の松
豊川市行明町の「羽衣の松」

独立行政法人水資源機構豊川用水総合事業部https://www.water.go.jp/chubu/toyokawa/

豊川総合用水土地改良区http://www.toyosou.jp/index.html

牟呂用水土地改良区

https://muroyousui.or.jp/

松原用水土地改良区

https://matsubara-yousui.jp/