名古屋市
Nagoya City

名古屋市の歴史的資産
種類 名称 解説 紹介サイト(外部ウェブサイトへ)
城・城下町  名古屋城と城下町  ・徳川家康の命により築城された名古屋城は、金の鯱(しゃち)で知られている。戦災により焼失した天守閣は復元されて、障壁画などを鑑賞できる展示室になっている。

・城下町の面影は戦災などで大半が失われてしまったが、戦災復興土地区画整理事業においては、名古屋城下町の特徴である碁盤割の町割りが踏襲され、現在の市街地に活かされている。また、堀川の西岸に位置する四間道(しけみち)、名古屋城の東側の白壁地区には歴史的町並みが残っている。

・名古屋城と城下町の建設に合わせて開削された堀川は、城下町に物資を運び、名古屋の発展に大きく貢献した。堀川沿いに形成された町の一つである四間道界隈では、今でも蔵の立ち並ぶ景観や昔ながらの路地を背景に屋根神信仰、地蔵盆、浅間神社の祭りなどが行われ、下町情緒を醸し出している。

・現在名古屋市では、名古屋城本丸御殿の復元を進めるとともに、名古屋の近代化の歩みを伝える歴史的遺産の宝庫ともいえる名古屋城から徳川園に至る一帯を「文化のみち」と名付け、貴重な建築遺産の保存・活用を進めている。
 
【名古屋城】
名古屋城公式ウェブサイト
名古屋観光コンベンションビューロー(名古屋城)
Network2010(名古屋城と本丸御殿) 
【城下町】
Network2010(名古屋城下の都市計画)
Network2010(美濃路名古屋宿) 
街道・宿場町 東海道と有松・鳴海宿 ・鳴海は住宅地開発が進んでいるが、宿場町の名残でもある常夜燈や、松尾芭蕉の足跡を今に伝える供養塔などが残されている。有松の古い町並みは愛知県内の東海道の町並みの中で抜きん出た存在である。街道には絞り問屋が軒を並べている。

・歌川広重は「名物有松絞」の画題で、東海道の絞り染め店と行き交う旅人の姿を描いた。有松の絞り染めは、耕作に適さない地であったがゆえに苦肉の策として誕生した商品であるが、独自の技法を駆使して木綿を藍染めした美しいデザインは、いつしか遠く江戸まで知れ渡り、街道筋の名産品へと育っていった。

・有松の町並みの特徴として、他の街道沿いの町並みと異なり一軒一軒の間口が広いこと、天明4年(1784年)に大火があった後、防火を考慮して瓦葺・塗籠造(漆喰の外壁で建物を覆う例が多い)が多く造られたこと、また、通りに面して蔵も配置している例が多いことなどが挙げられ、重厚な印象を与える町並みを形成している。

・服部家や竹田家など指定文化財となっている歴史的建造物が多く残っている。

・東海道に面した有松・鳴海絞会館では、絞りの展示販売の他に地元のガイドボランティア(「有松あないびとの会」)による「有松の史跡と名所めぐり」の申し込みを受け付けている。

Network2010(東海道鳴海宿)
 有松・鳴海絞会館
街道・宿場町、
神社・門前町
熱田神宮と宮宿と東海道・美濃路  ・熱田神宮は、三種の神器の一つである草薙神剣をまつり、景行天皇43年(113年)創建と伝えられる。面積19万㎡で本宮は神明造、屋根は銅板葺である。宝物館には刀剣類など国の文化財指定の宝物も多数所蔵している。境内には、織田信長が桶狭間の戦いの大勝の御礼に奉納した、信長塀が残っている。

・宮宿は、熱田神宮の門前町でもあったことから「熱田宿」とも呼ばれた。美濃路や佐屋路の分岐点であり、さらに桑名に向かう海路七里の船客が泊まるため、東海道随一の宿場町であった。

・現在は宮宿の景観は失われているが、かつての船着場跡が宮の渡し公園として整備され、常夜燈や時の鐘も復元され当時の風情をしのぶことができる。
Network2010(東海道宮宿) 
Network2010(美濃路・東海道追分から南寺町)
 
観光 市内の名所・史跡については右のウェブサイトを参照してください。 名古屋観光コンベンションビューロー
文化財 市内の文化財については右のウェブサイトを参照してください。 名古屋市(市指定文化財)
文化財ナビ愛知(名古屋市)
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