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スペシャルコラム

上条百里奈さん

上条百里奈さんプロフィール
1989年7月18日、長野県生まれ。中学2年生のとき職業体験で介護施設に行ったことがきっかけで介護職を目指す。高校でホームヘルパー2級を取得。短大は福祉援助学科に進み、2009年介護福祉士資格を取得。卒業後、老人保健施設に就職。スカウトされたことをきっかけに2011年からモデルとしても活動開始。神戸コレクションなどの舞台を踏む。講演、テレビドラマの介護監修など幅広く活躍中。

更新日:2018年6月29日
取材日:2018年4月

スポットライトを浴びながらランウェイを颯爽と歩き、ポーズを決める。女性たちが憧れる職業、ファッションモデル。そんな華やかな世界と介護職を兼業する女性が上条百里奈さんです。上条さんは特別養護老人ホームで介護福祉士として働きながら、モデルや講演活動も行い“かわいすぎる介護福祉士“と呼ばれている注目の人。なぜ介護福祉士とモデルを兼業しているのか。きっかけとなったできごとや、介護への熱い思いを聞きました。

人生を決めた職業体験でのできごと

 私が介護職を目指したきっかけは、中学校の職業体験学習です。小さなころから看護師になりたかった私は職業体験学習で病院を希望しましたが、抽選に外れて行くことになったのが老人保健施設。看護師さんも働いているし、介護も看護に関わっていると自分を鼓舞して2日間の体験に臨みました。
 職員の方から「みなさん元気そうに見えますが、ご高齢なので明日はもういらっしゃらないかもしれない。もしかしたら、この食事が最後の食事になるかもしれないという気持ちで接しています」とのお話を聞いた後、食事介助のお手伝いをしました。でも口に運ぶタイミングもスプーンに乗せる量も分からなくて、半分ほど落としてしまったのです。きっと怒るだろうなーと身構えていたら「お姉ちゃんおいしかったよー。ありがとうね」って笑顔で言ってくださった。おばあちゃんの笑顔とその言葉が衝撃でした。
 祖父母と3世代同居でしたが、私の周りのお年寄りは元気な人ばかり。自分が住んでいる地域で、こんなに介護が必要な人がいるというのも驚きでした。

上条百里奈さん

好きじゃない仕事は頑張れない!と反対を押し切り介護の道へ

 私は施設のお年寄りが大好きになり、ずっと一緒にいるにはどうしたらいいだろう?と考えた結果、翌週から土日曜日にボランティアをさせてもらうことにしました。普段は授業中に手が挙げられないくらい消極的な性格でしたが、このときは自分でも驚くほどの行動力でした(笑)。でもボランティアをしていることは家族や友人にはずっと言えなくて。介護が好きということを言えなかった。いい子ぶっていると思われるのが嫌でした。
 高校は授業を選択できるシステムだったので介護福祉の授業を選択し、ヘルパー2級(当時)の資格を取りました。卒業後、介護を学ぶために東京の短大に進みたいと言ったとき、家族は大反対。それでも諦めなかった理由は、好きではない仕事は頑張れないと思ったからです。私にとって頑張れる仕事が介護だと、反対を押し切って介護を学ぶために上京しました。
 卒業後、地元の老人保健施設で働き始めてショックだったのは、介護福祉士になれば必ずおじいちゃん、おばあちゃんを幸せにできると思っていたことが、そうではなかったということです。虐待を受け、行き場を無くして駆け込んできたり、褥瘡(じょくそう)だらけの瀕死状態でやっと運ばれてくるおばあちゃんがいました。なぜもっとはやくに出会えなかったのだろう。知識や技術を高めたって、本当に介護を求めている人、SOSを出している人にケアが届かないと意味がない。SOSを気軽に出せる社会にすることが介護の現場には必要だと考えました。

理想と現実の隔たりを見て、情報発信の大切さを痛感

 福祉関係の学会参加のために立ち寄った東京でスカウトされたのは、ちょうどそのころです。
 学会では皆さん素晴らしい発表をされていて、確かにそれが実現されていれば幸せなことだと思っていたのですが、あまりにも現場とのギャップが激しく、なぜ現場は理想通りに行かないのか歯がゆく思っているところでした。
 そのギャップを埋めるためには多くの人に介護に目を向けてもらう必要があるのではないかと考え始めていたところでのスカウト。モデルになれば人前で話す機会も増え、介護の情報発信に繋がるかもしれないとの思いで、挑戦してみようと考えました。
 上京してモデル事務所に入り、1年間はモデルの仕事に集中。でも介護の現場に戻りたくなりました。私が私らしくいられる場所はおじいちゃん、おばあちゃんのいるところだと再確認し、モデルの仕事は一旦お休みして介護の仕事に専念することにしました。
(8月公開予定の後編に続く)

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