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スペシャルコラム

ko-daiさん(前編)

ko-daiさんプロフィール
1982年10月6日、名古屋市生まれ。福祉系の大学卒業後、2005年4月にeyeronさんとソナーポケットを結成。06年mattyさんが加わる。名古屋での精力的なライブ活動を経て2008年「Promise」でメジャーデビュー。10年、「あなたのうた」がCMソングに起用され話題となる。12年には武道館で初のワンマンライブを開催。その後もヒットを連発し、21年2月に8枚目のアルバム「80億分の1~to you~」をリリース。心に響くメロディーラインと共感できる歌詞、哀調を帯びたko-daiさんのボーカルが多くのファンの心を掴んでいる。

更新日:2021年10月
取材日:2021年10月7日

人気音楽ユニット、ソナーポケット(愛称・ソナポケ)のボーカリストko-daiさん。名古屋出身のko-daiさんは福祉系の大学を卒業し、介護職員として就職した経歴を持っています。心に染み込む共感ソングを紡ぎ出し「ラブソングマスター」の異名を持つソナポケ。現在、華やかな舞台でスポットライトを浴びるシンガーソングライターであるko-daiさんが、日々どんな思いを抱きながら介護と向き合っていたのかを語ってもらいました。

介護職員として働きながら歌手を目指す

 僕が介護の仕事を始めたのは大学卒業後、今から16年くらい前のことです。デビューする前まで約2年半、訪問介護やガイドヘルパー(移動介護従事者)の資格を持っていたので移動支援、その後高齢者のデイサービス、デイサービスを終えた夕方からは児童デイサービスで働いていました。
 僕、大学卒業後しばらく、介護の仕事をする前はニートだったんです。大学時代から歌手になりたいと思っていたのですが、現実を甘く見ていて簡単に歌手になれると思っていた、荒んだ時期でした。夢はあるけど近付いていかない現実にモヤモヤを感じて。時間があればパチンコへ行く、みたいな毎日を過ごしていました。半ば夢やぶれたような状態にいたとき、母が知り合いの介護事業所の社長を紹介してくれて、その社長が働きながら歌手を目指せばいいと言ってくれたことで介護の職に就きました。
 そのころ母は社会福祉協議会のケアマネジャー。今は介護施設運営や居宅介護支援事業など介護に関するさまざまな事業を手掛ける会社の代表取締役です。そもそも福祉系の大学に進学したのは手に職じゃないですが、資格も取れるし、他の学部より福祉のほうが学べることが多そうだと思ったからです。高校時代は全国大会に出場するほどバスケットに打ち込んでいて、将来何かやりたいといったビジョンはありませんでした。そんな中でもボランティアで高齢者施設に行ったり、名古屋シティマラソンで車椅子走者の伴走をしたりして介護に興味は持っていました。

ko-daiさん

ラブソングを書くきっかけをくれた利用者さん

 介護の仕事に就いて訪問介護をやらせてもらったとき、最初に担当したのが病院までの行き帰りを介助する仕事。そのとき初めて人の優しさに触れたような気持ちになりました。それまでニートだったので、久しぶりに人と触れ合ったんです。利用者さんから「夢をかなえてね」って言われて。歌手になるための喜怒哀楽を学んだというか、仕事をちゃんとして地に足がついて初めて歌手になれるって思えました。
 利用者さんって、いろいろ話してくれるんです。僕、若くて髪の毛も派手だったからか氷川きよしさんみたいに人気があったんですよ(笑)。あるとき、デイサービスを利用している女性から「結婚しないの?うちの孫を紹介する」と言われて、「するつもり無いよ。お金無いから無理だよ、夢もあるし」って答えたら、「いや、結婚はお金じゃない。好きな人とするから幸せになれる。私はおじいちゃんと一緒にいられて幸せだよ」って言われました。その女性を家まで送っていくと、おじいちゃんが玄関先まで「おかえり」って迎えに出てくるんです。僕自身は両親が離婚しているので、歳を取ってもずっと仲の良い2人でいようとか、ずっと幸せでいようみたいな物語を信じていなかったのですが、実際そんな物語があって、こんな方々がいると知って、そこからラブソングを書こうと思いましたね。実際にいるのだから、こんな未来を書いても嘘じゃないって。その出来事を曲にしたのがデビュー曲の「Promise」です。

ko-daiさん

パンツ一丁で子どもを追いかけたのも今は楽しい思い出

 でもそのエピソードには後日談があって。「誰も知らない泣ける歌」というテレビ番組で、その女性の元へ歌いに行きましたが、認知症だったので覚えていなかった(笑)。「そんなこと言ったかな?」って。
 今、介護の仕事をしていたときを振り返ってみても、大変だったこと、きつかったことは無いですね。あっ、一つだけ思い出しました。自閉症の子の移動支援でプールに通っていたとき、前の担当者との引き継ぎが無い状態で困ったことがありました。その子は電車に乗った途端、電車の端から端まで走っちゃうような状態だったのですが、プールに着いて着替えを介助した後、僕も着替えようとパンツだけになったとき、その子が走って更衣室から出て行っちゃって。パンツ姿のまま子どもを追いかけました。印象に残っている大変なことってそれですね。苦労よりもやりがいや楽しかった思い出の方がたくさんあります。

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