取材:2023年8月2日
出身国フィリピンでは看護師として働いていました。叔母が看護師をしていたし、人の一生を通して大切な健康に関わる仕事がいいなと思ってこの職業を目指したんです。当時の勤務先は工場で、ケガをしたり体調不良になったりした人をケアし、症状に応じて病院に運ぶ仕事でした。でも、できれば病院で働きたいと思って転職先を探していたところ、EPA(日・フィリピン経済連携協定*)の看護師・介護福祉士の募集を知ったんです。
看護師としては病院勤務経験という条件を満たせませんでしたが、看護師資格はあるため介護福祉士を目指すことができ、応募することにしました。フィリピンにいる時に日本の介護福祉施設とマッチングができ、ここシルピス大磯に決まりました。
働く前にまず日本語を学ぶため初来日。シルピス大磯に隣接する病院でアルバイトをしながら、日本語学校に通い、日本語能力試験1級(N1)に合格しました。そして2017年に再び日本に来て、介護の勉強をしながら社員として働き始めました。介護職は初めてでしたが、看護の知識や経験もあったため、すんなり取り組むことができました。2019年には介護福祉士の資格も取得しました。
日本で働き始めて、フィリピンとの違いを感じたこともあります。フィリピンでは病院に患者さんの家族も泊まることができます。だから、患者さんの食事や入浴は家族に任せるし、一緒に過ごすこともできるんです。日本に来て、ある利用者さんが家族と離れて寂しいと不安そうだったので、施設に家族を呼ぼうと提案したら、一般的には家族は泊まらないんだよって教えてもらって…。家族に来てもらうのは大変だって分かったんです。
普段仕事をしていて「ありがとう」と言われるとうれしいですね。相手の役に立っていると思うと喜びを感じます。また、私たちは利用者さんの早期の在宅復帰を支援し、自立して生活できるようお手伝いをしています。車いすを使っていた方が、シルバーカー、歩行器、杖での歩行と自立度が高まっていくと達成感が大きく、チームの力を感じます。
昨年は「あいち介護技術コンテスト2022」にチャレンジしました。介護福祉士の資格を取得して以来、前進というか成長していないような気持ちになって、私にできることはまだいっぱいあるのではないか、もっとがんばれるはず、と思ったからです。
介護に関するコンテストがないかと思ってインターネットで探したら、「あいち介護技術コンテスト」を見つけ、上司に応募したいと伝えました。そうは言ったものの、たぶん応募者のほとんどは日本人。最初の書類審査もまず通らないだろうなと諦めていました。ところが書類審査を通過!そこから一気に緊張しました。私は筆記試験なら好きなのですが、人前で話すのが苦手なんです。どうして応募してしまったのだろうと後悔すらしていました。
コンテストは、ステージの上で一人ずつ順番に、テーマに沿って介護の実技を行うものです。当日は夜勤明けで会場へ。出場直前にテーマや状況設定を教えられ、5分間考えて本番に臨みます。テーマは仕事で普段行っている比較的容易なことでした。それなのに、本番では言葉がうまく出てきません、頭の中も真っ白になりました。実技に与えられた時間は10分でしたが、私は5分ぐらいで終わってしまいました。ステージから降りる時、見学していたお客さんに「『うーん』ばかり言っていたね」と指摘され落ち込んでいたら、同じく見学していた友人が「他の出場者も言っていたよ」となぐさめてくれました。終わってからは、あれをやれば良かった、こう言えば良かったと後悔ばかりでしたね。だから、準グランプリで名前を呼ばれた瞬間は、自分のことと気づきませんでした。想像していなくて本当にびっくりしました。コンテストでは日頃しているはずの行動がなかなか出てこなかったので、毎日の積み重ねがすごく大切だと改めて思います。
今後しばらくこのまま介護の道を進もうと考えていて、あと数年したらケアマネジャーの資格を目指すのもいいかなと思っています。一人ひとりの状況に合わせて介護の方向性を定め、目標に向けたケアプランを立てる仕事も魅力的だからです。ほかに、介護福祉士の勉強をしている外国人に教える仕事もやってみたいですね。
自分の将来について考えている中学生や高校生の人には、まずどんな仕事をしたいのかをじっくり検討してほしいです。人の役に立ち、社会や人に必要とされる仕事を希望するなら、介護業界が選択肢になると思います。身につけた介護の知識は、人のためだけでなく、自分や家族にも活かせます。また、介護業界は休日を取りにくいというイメージもあるようですが、働きやすい環境が整ってきていて、私の職場はそんなことはありません。同僚と順番に10日間ぐらい休みを取って帰国することもできるんです。