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設楽ダム水没地区の様子などを紹介します

ページID:0633279 掲載日:2026年3月20日更新 印刷ページ表示

建設が進む設楽ダム事業。

この記事では、水没に伴い全戸が移転された3つの地区について歴史文化や現在の様子等を紹介いたします。

 

1.八橋地区(設楽町大字八橋)

《概要》

全49世帯が移転対象となり、2014年に閉区式が行われました。

場所は付け替え県道設楽根羽線滝瀬橋から北に広がるエリアで、集落は滝瀬橋周辺から北へ2キロほどの間にありました。

《歴史・文化》

地区名の由来は設楽町誌には「明治11年(1878)、田枯・向林・永江沢の三か村が合併した際、区域内に橋が八つあったことから、八橋(ヤツハシ)と命名した。」(設楽町誌 教育・文化編 P.431)とありますが、命名の由来は不明だとする文献もみられます。

江戸時代には伊那街道が地区内を通っており、滝瀬橋から境川を何度も橋で渡り、知生山がある知生坂のほうへ続いていました。西路という地名がありますが、これは戦国時代までの伊那街道のルートはここより東を通っていた(東路)ことに対する地名からきていると言われています。

西路バス停付近の様子2026年

西路バス停付近(2026年撮影)

西路バス停付近の様子2010年

西路バス停付近(2010年撮影)

なお伊那街道とは長野県の伊那谷を通り塩尻まで伸びる道で、江戸時代は本街道と比べて関所が少なく武家の通行が少ないことなどから多くの交通量がありました。街道沿いの新城、設楽(田口)などはこの時代の宿場町としての発展が町の形成に大いにかかわっています。

 

《現在の様子》

八橋小学校跡2026年

八橋小学校跡(2026年撮影)

現在は土砂の仮置き場になっています。

黒い土嚢の付近に付け替え道路が建設されます。

八橋小学校跡2010年

八橋小学校跡(ほぼ同じ地点から2010年撮影)

田口小学校と統合される1971年まで使われました。

八ツ橋バス停付近2026

八ツ橋バス停付近(2026年撮影)

バス停表記は八ツ橋です。

背後では同じく付け替え道路の工事用道路ができています。

また、写真左側はこちらも土砂の仮置き場です。

八ツ橋バス停付近2010

八ツ橋バス停付近(2010年撮影)

写真中央の建物は雑貨屋さんでした。

 

2.川向地区(設楽町大字川向)

《概要》

全30戸が移転対象となり、2013年に閉区式が行われました。

場所は国道257号新設楽大橋の真ん中付近から、名倉までの坂を登り切った周辺です。集落は川向公園周辺と257号のヘアピンカーブ周辺にありました。

《歴史文化》

地区名の由来は「川に対面する地形からの命名といわれる。」(設楽町誌 教育・文化編P.431) 「地名の由来は,家の門がすべて境川に向かっていることによるという」(川向村史稿)と言われています。

急傾斜地に立地しているため水田が乏しく、名倉への坂を登り切った市場口が米づくりの場でした。集落からは4kmほど離れています。

かつては地区の方々が育てたしだれ桃が咲き乱れ、「川向しだれ桃の里」として多くの方が訪れました。ダム完成後に整備される公園には、この遺伝子を受け継いだしだれ桃が植樹される計画です。

新設楽大橋付近2026

川向しだれ桃の里として賑わった新設楽大橋(写真上部)付近 (2026年撮影)

現在は工事現場内でありこの先立ち入り禁止となっています。

設楽ダム本体工事で発生した残土を運ぶダンプが頻繁に行きかいます。

しだれ桃が咲き誇るかつてのしだれ桃の里

かつての同地点(2010年ごろと思われる)

 

《現在の様子》

新設楽大橋北側を望む2026

設楽大橋付近から北側を望む(2026年撮影)

写真中央は残土置き場であり、日に日に高さが上がっています。

この場所に川向公園が整備される予定です。

写真上部の新設楽大橋は2026年に橋が繋がったばかりで、今後舗装工事等がなされます。

新設楽大橋北側2010年

設楽大橋付近から北側を望む(2010年撮影)

新設楽大橋から残土埋立地を見た様子

建設中の新設楽大橋から川向公園予定地方向を望む(2026年撮影・工事現場内)

新設楽大橋はダム完成までに供用される予定です。

完成後この場所の風景はどうなっているでしょうか。

 

3.大名倉地区(設楽町大字大名倉)

《概要》

全22世帯が移転され、2013年に閉区式が行われました。

場所は設楽ダム堤体から豊川沿いに2kmほど上流へ進んだ地点から豊川沿いに広がるエリアです。集落は設楽ダム堤体から約3キロ上流へ進んだ周辺にありました。設楽ダム事業完了後は付け替え県道の整備によりアクセスが容易になりますが、現在は迂回路でアクセスする必要があります。

《歴史文化》

地区名の由来は『名倉の開発はここから始まったという伝説があり、「モト名倉」 の意といわれる。オオナは「大名持(おおなもちで)」で名高いことをいい、ここに鎮座するイワクラが当時の人々から崇敬されていたことから、大名倉と称したと説く人もある。』(設楽町誌 教育・文化編 P.431)と言われています。

地区内を通る森林鉄道跡や、設楽町に初めて電気をもたらした水力発電所の跡があります。

それぞれ別記事内にて特集しています。

森林鉄道跡

とよがわびより『東海自然歩道の設楽ダム水没&森林鉄道跡区間を歩いてみよう!』

https://www.pref.aichi.jp/site/toyogawabiyori/sizenhodoushitaradam.html

水力発電所跡

とよがわびより『設楽ダム現道・付け替え道路の見どころ~県道33号瀬戸設楽線・2025初夏~』

https://www.pref.aichi.jp/site/toyogawabiyori/tsukekaemidokoro3.html

《現在の様子》

大名倉橋を望む2026

大名倉橋付近(2026年撮影)

写真中央上部の盛り土の上に付け替え県道が建設中です。
大名倉橋2010

大名倉橋付近(2010年撮影)

大名倉地区から東を望む2026

大名倉地区から東を望む(2026年撮影)

大名倉の町道より2010

上の写真とほぼ同じ場所にて撮影(2010年撮影)

この周辺は付け替え道路工事等で景色が大きく変わっています。

他の地区と異なり交通量がほとんどなく、静かな時間が流れています。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

2026年の写真は新設楽大橋からの1枚を除き、26年現在一般立ち入りできる場所での撮影です。付近を訪れた際は移転前の様子に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

また設楽ダム事業や水利用のスケールの大きさを感じていただければと思います。


独立行政法人水資源機構豊川用水総合事業部https://www.water.go.jp/chubu/toyokawa/

豊川総合用水土地改良区http://www.toyosou.jp/index.html

牟呂用水土地改良区

https://muroyousui.or.jp/

松原用水土地改良区

https://matsubara-yousui.jp/