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瀬戸市文化振興財団企画展「せとやきの変遷と周辺諸窯-近世・近代の瀬戸・美濃窯-」へ出土品の貸出を行いました

ページID:0624755 掲載日:2026年1月23日更新 印刷ページ表示

 調査研究課の城ヶ谷です。
 瀬戸市文化振興財団企画展せとやきの変遷と周辺諸窯-近世・近代の瀬戸・美濃窯」へ名古屋城三の丸遺跡(名古屋市)・清洲城下町遺跡(清須市)・瓶子窯跡(瀬戸市)出土の陶磁器をお貸ししました。
 中世において、せとやき唯一の国産施釉陶器(釉薬を掛けた陶器)として、中国陶磁とともに全国各地に運ばれていました。
 ところが、江戸時代になると朝鮮半島から磁器生産の技術が伝わり、九州有田磁器が焼かれるようになります。白くて薄く緻密な焼きものである磁器は、これまで日本で生産できなかった器です。有田焼は江戸、京など全国各地に運ばれ、瀬戸・美濃窯にとって大きな脅威となりました。その他にも色絵陶器を中心とする京焼を始め、唐津焼、萩焼など各地で新しい焼きものの生産が盛んになり、瀬戸・美濃窯は厳しい競争原理に巻き込まれるようになります。
 江戸後期になると各藩が殖産興業策として焼きもの生産を奨励したこともあり、全国各地に窯場が築かれるようになります。瀬戸・美濃窯磁器生産を導入するなど各地域との技術交流を深める中で、さまざまな工夫を凝らしながら生産を活性化させていったと思われます。その結果、近畿以東では有田焼をしのぐ勢いとなり、焼きものの代名詞として「せともの」という言葉が定着していきます。
 今回の展示では、近世・近代におけるせとやきの変遷京焼や有田焼との技術交流長野県を始めとする周辺地域への技術の伝播などを学ぶことができます。ぜひご覧になってください。

 この展示は令和8年2月1日(日曜日)まで愛知県陶磁美術館で行われています(観覧無料)

瀬戸市文化振興財団企画展「せとやきの変遷と周辺諸窯ー近世・近代の瀬戸・美濃窯ー」の展示の様子です。
展示風景

五角形の白くて浅いうつわに、人の絵が描かれています。この人物はその特徴から「南蛮人」、つまりヨーロッパの人だと考えられています。
前列中央は名古屋城三の丸遺跡出土「南蛮人」向付(当センター所蔵)