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多文化ソーシャルワーカーとしての軌跡・その1

ページID:0232914 掲載日:2019年4月1日更新 印刷ページ表示

多文化ソーシャルワーカーとしての軌跡・その1

病院通訳時代 ~自分は救世主ではない~

~多文化ソーシャルワーカーになるまでの経過を聞かせていただけますか?~

市外の病院にて通算約11年間にわたり医療通訳業務に携わりました。医療通訳は初めての経験でしたので、医療用語の知識が不可欠であり、自主的に勉強しました。病院では医療通訳に関する研修にも参加させてもらいました。

~医療通訳として学んだことや苦労されたことはありますか?~

外国人の患者さんは通訳とは分かってはいますが、様々な情報を聞きに来られました。その度に関係窓口を案内し、自分の経験上の知識を話すなどしました。しかし、患者さんの問題は情報提供だけでは根本的な解決にはなりませんでした。それでも、外国人にとって情報は重要です。できる限りのことはしたいと思い、毎日、大勢の外国人の悩みや困りごとを聞いてきました。当時は、来る相談を一身に受けていて、抱え込みすぎていたと思います。外国人の患者が増え、貢献できたと満足していました。

ブラジル人は競争社会で生きてきたため、具体的な数値の達成に結果を見出すところがあります。日本社会には馴染まない発想です。当時、医療ソーシャルワーカーから「抱え込みすぎてはいけない。」など、アドバイスを受けていたおかげで冷静になれ、問題を整理できたこともありました。

自分は病院職員ではありますが、通訳という限定された職種でしたので、外国人患者の抱える問題や、地域サービス体制、病院体制の整備などの課題について、問題提起をする場がありませんでした。外国人の生活問題を解決する手段や知識について、もっと勉強したかったのですが、病院は通訳に対してそこまで求めてはいませんでした。

~医療通訳から、多文化ソーシャルワーカーになるきっかけになったエピソードはありますか?~

病院では、通訳がトイレの案内から、受付の申し込み書類の書き方まで、外国人患者さんに対し、手とり足とり教えていました。その結果、外国人が自立できない負のシステムを作り出していました。外国人患者さんは、何でも通訳に依存してしまいます。自分は一生懸命さを誤解していました。求めてくることすべてを通訳していました。病院や日本人スタッフにとっても、そのほうが早いので、そうしてしまっていました。自分は救世主ではありません。今思えば、誰のためになっていたのだろうかと思うことがあります。

~医療通訳の業務を超えた別の課題が見えてきたのですね?~

目の前の課題をもっと関係職員と共有し、検討すればよかったと思います。当時は、そのようなソーシャルワークの発想が自分にはありませんでした。

ただ、医療通訳は絶対に必要だと思います。外国人患者さんにとっても病院職員にとっても、欠かすことのできない人材です。

医療通訳仲間と日本の法律や文化を学ばなければならないと常々話していました。医療通訳と多文化ソーシャルワーカーが協力し合いながら、専門性を分化していくことが今後の課題だと思います。