ホーム 展覧会 イタリアの磁器-リチャード・ジノリのクラシックとモダンの主な展示作品

主な展示作品

主な展示作品

第1章「イタリアの磁器 ドッチア窯」

オーバルプレート<スタンピーノ>

ドッチア窯
1740-1745年制作
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



ドッチア窯 最初期のテーブルウエア


スタンピーノとは、模様を切り抜いた型紙を素地に載せ、筆で絵具を塗って器に絵付けする装飾技法で、主にドッチア窯の初期の作に見られます。唐草風の草花のモチーフは、中国や日本の染付磁器に影響を受けています。東洋の磁器はヨーロッパの人々にとって憧れの的でした。

キャンディーボックス<イタリアンフルーツ>

ドッチア窯
1780-1800年制作
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



伝統のデザイン イタリアンフルーツ


ジノリといえば今も多くの方がイメージするイタリアンフルーツは、二代当主ロレンツォ・ジノリの時代1770年までに始まるデザインです。当時の記録には「花とフルーツの散りばめられたモチーフ」と記されています。さくらんぼ、洋梨、りんご、プラムなどのみずみずしい果物と小花、小枝が小気味よく散りばめられたデザインは、時代を超えて世界中で愛されてきました。

第2章「リチャード ジノリの時代」

エジプト総督(そうとく)のためのプレート<ケディヴェ>

リチャード ジノリ
1907年頃制作
個人蔵



ドッチア窯の国際的一大事業


1869年にエジプト領内のスエズ運河が開通し政治・経済の重要地となりました。古代エジプトの歴史、文化芸術への関心の喚起の目的のために様々な文化事業に取り組まれます。1872年にはエジプトの君主権を持つイスマイル・パシャ・ケディベ総督のためのセットがドッチア窯に依頼され、古代エジプトの伝統文様と洋食器の折衷様式による優雅なディナーウエアが生み出されました。高い評価を受けたことから、本品は1907年に復刻された際に制作されたものです。

カポディモンテ キャビアカップ<イストリアート>

ドッチア窯またはリチャード ジノリ
1880-1900年制作
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



色鮮やかな歴史画 ジノリ磁器の最高峰


良質の白い磁器の器に歴史画のレリーフを施したカポディモンテ・シリーズ。イストリアートとは歴史や伝説の光景を描く歴史画のことを言います。1851年のロンドン万国博覧会をはじめとして19世紀の数々の博覧会で高い評価を受け、ジノリ磁器の最高峰のシリーズとして知られるようになりました。

カラモージョ<酔っ払い>

リチャード ジノリ
1750年頃作品の復刻(1985年頃制作)
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



グロテスクだけど ちょっとかわいい小像


ドッチア窯では開窯初期から磁器彫刻の制作に取り組み、多くの名品を遺しています。カラモージョとは、グロテスクで戯画的な小彫刻作品のこと。ほぼ2頭身でユニークな顔立ちのフィギュアたちは、バロック期に活躍したジャック・カロ(1592-1635)の版画や、16世紀イタリア発祥の即興仮面劇コメディア・デッラルテの仮面にアイデアを得てつくられました。本作は20世紀末に復刻されたもので、本展には歌手、マダム、骨董屋、医者などのカラモージョが出品されます。

リバティ・ベース<孔雀(くじゃく)

デザイン:ジョヴァンニ・ブッファ/リチャード ジノリ制作
1905年の復刻(1995年制作)
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



ジノリのリバティ・スタイル花器の名品


1900年のパリ万国博覧会を機に開花したアール・ヌーヴォー様式は、イタリアではリバティと呼ばれました。近代的な製陶会社となったリチャード ジノリは、装飾美術品の制作に注力しリバティ様式を積極的に取り入れました。本作はジノリのリバティ花器の傑作「孔雀の壺」が1995年に限定復刻されたものです。流れるような曲線が特徴であるリバティのデザインにおいて、優美な姿の孔雀は象徴的なモティーフのひとつでした。

薬剤師のためのハーブ用ポット

ドッチア窯
1850-1896年
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



様々な場面で愛されたジノリの実用器


日本ではディナーウエアなどの高級磁器のイメージが強いジノリの磁器ですが、町のカフェ用の丈夫なコーヒーカップや、本作のように薬局で使われる薬草用のポットなど実用的な器も制作されていました。イタリア人の生活の様々なシーンで愛されていたのです。

第3章「アート・ディレクター ジオ・ポンティの世界」

天使像

デザイン:ジオ・ポンティ/制作:リチャード ジノリ
1972年頃
当館蔵<盛田昌夫コレクション>



イタリアデザインの父による傑作


 1896年以降のリチャード ジノリは、アートディレクターの指導のもとに制作する組織体制へと移行しました。1923年から1930年にアートディレクターを務めたジオ・ポンティ(1891-1979)は、建築家でありながら陶磁器、家具、ステンドグラス、金工などあらゆる領域で才能を発揮しました。「イタリアデザインの父」として知られています。古代ローマやルネサンス美術などの古典にテーマを見出しながらも、当時流行していたアール・デコ様式をたくみに取り入れた彼のモダンデザインはリチャード ジノリの磁器デザインに新風を吹き込みました。