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減斎さん

日泰寺②(にったいじ)(惨死者供養塔)

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  • 所在地
    名古屋市千種区自由ケ丘1丁目付近
  • 交通
    地下鉄名城線「自由ケ丘」より西 約450m
  • 地震津波関係
    その他(年代不明を含む)

大正12年(1923)関東大震災で愛知県の人々は、官民挙げて救済費の支出や救援物資の輸送、救護班の派遣など、惜しみない協力を行っています。日泰寺には、奉安塔の入口に、関東大震災供養堂(日泰寺①)があるほか、地下鉄自由ヶ丘駅のすぐ近くにある日泰寺の八十八ヶ所霊場には「惨死者供養塔」(日泰寺②)があり、関東大震災の混乱の中で非道な大人によって殺された罪もない橘宗一少年の墓(日泰寺③)も残されています。
また、関東大震災横死者追悼之碑(日泰寺④)は、日泰寺墓地内に建てられていたものの、昭和34年(1959)伊勢湾台風で倒れ、そのままになっていました。その後、報道をきっかけに、建設者探しが始まり、当時の名古屋市東区蒲焼町(現在の中区錦3丁目)の青年会が関東大震災の犠牲者を悼んで建設した碑であることが判明しました。
現在では碑は再建されています。なお、日泰寺は、どの宗派にも属していない超宗派の寺院で、タイ王国から寄贈された仏舎利(お釈迦様の遺骨)が安置されています。

日泰寺(にったいじ)(惨死者供養塔)

地震・津波関係

  • 宝永4年(1707)宝永地震
  • 嘉永7年(1854)安政東海・南海地震
  • 明治24年(1891)濃尾地震
  • 昭和19年(1944)昭和東南海地震
  • 昭和20年(1945)三河地震
  • その他(年代不明を含む)

高潮・波浪関係

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