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- 災害を今に伝える史跡など海部地区
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- 津島市の被災状況
津島市では天正13 年(1586)11 月の地震で、田畑の陥没が起こり、翌年には木曽川の大洪水にあっています。嘉永7 年(1854)安政東海・南海地震では、建物被害、新田での陥没が、明治24年(1891)濃尾地震では建物被害、火事、橋の損壊のほか、泥水・井戸水の噴出、地盤の亀裂が発生しています。
天王川公園(濃尾地震の碑)
津島神社
成信坊
頓教寺
五明輪中
八穂地蔵(八穂新田)
- あま市の被災状況
海部市では、明治元年入鹿池決壊し、死体や流木が七宝町をよぎったとされています。明治24 年(1891)濃尾地震では、建物被害、道路の亀裂、水の噴出がありました。明治29 年には、大雨で浸水被害も受けています。昭和19 年(1944)昭和東南海地震では、建物被害は多くありませんが、地盤沈下したため自然排水が困難になっています。
法性寺
甚目寺
圓長寺- 大治町の被災状況
大治町では、明治24 年(1891)濃尾地震の際に、建物の全壊・半壊等の被害、道路・田畑・宅地の亀裂、水・砂の噴出が多数あったことが、地元の方の備忘録として残っています。なお、この備忘録には、明治24 年12 月には大雪、明治29 年には大雨による浸水被害、堤防決壊の記載があります。
- 蟹江町の被災状況
蟹江町では記録が多くありませんが、天正13 年(1586)11 月の地震で蟹江城で壊滅したと言われています。現在は本丸井戸と城址の石碑が残るのみになっています。嘉永7 年(1854)安政東海・南海地震で大被害を受けていますが、堤防の修復も十分にできていないところに、翌年には、大雨・高潮により水害を受け、被害を倍加させています。このような災害時には富裕者による救済があるのが通例ですが、富裕者にも被害があったため、救済がなかったことを代官所からの調べに対して報告しています。明治24 年(1891)濃尾地震では、三分の一以上の家が全半壊の被害を受けています。
常楽寺
- 飛鳥村の被災状況
飛島村では、嘉永7 年(1854)安政東海・南海地震の際に、建物被害、海岸堤防の陥没、翌年の暴風雨による新田への浸水被害を受けています。明治24 年(1891)濃尾地震では、地割れ、地下水・砂の噴出、堤防の陥没、建物被害を受けています。昭和19 年(1844)昭和東南海地震では川の底が盛り上がり、田んぼの面がまるで蛇がのた打つようにくねくねと動きまわり、水が噴き上がってき、水と一緒に魚が田んぼに打ち上げられた、との証言があります。
善光寺