愛知県衛生研究所

日本における残留農薬規制の変遷と分析法について - ポジティブリスト制度の導入に至るまで -

2007年8月21日

米国のレーチェル・カーソン(Rachel Carson)女史は、1962年に著した「沈黙の春(Silent Spring)」の中で、DDT、BHC、ディルドリンのような環境中で分解されにくい有機塩素系農薬などが “小鳥も歌わず、ミツバチの羽音も聞こえない沈黙の春” を創ると警告しています。これを契機として、残留性の高い農薬は、環境汚染や食物連鎖による生物濃縮、それに伴う慢性毒性などが懸念されたために世界各国で規制措置がとられ、日本では1970年代に使用禁止となっています。また、初期の農薬には、人畜に対する急性毒性が強いものもあり、中毒事件が少なからず発生しました。しかし現在では、人畜だけでなくすべての非標的生物(水棲生物など)に対する毒性が低く、標的生物に高い選択毒性を有する多くの薬剤が使用されるようになってきています。

食品衛生法による残留基準は、 1968年(昭和43年)にDDT、BHC、パラチオンなどに初めて設定されて以来、1978年(昭和53年)までに53種類の農作物と26種類の農薬との組合せで設定されましたが、それ以降、この作業は進みませんでした。しかしその間、輸入食品の増大に伴い、輸入穀物に収穫後に散布される有機リン系殺虫剤といった、いわゆるポストハーベスト農薬の問題が大きくクローズアップされました。

当時、このような農薬に残留基準は設定されておらず、また、農薬取締法も、諸外国で使用される農薬まで規制することはできませんので、愛知県議会において、国に対して残留基準等の整備を求める「残留農薬等食品の安全性確保に関する国への要望書」が採択されています。このような要望書が多くの地方自治体から提出されたことなどを受けて、国は、1992年(平成4年)から残留基準の整備を進め、2005年(平成17年)までに農産食品などに対しておよそ250種類の農薬に基準値を設定しています。

食品衛生法による残留農薬規制の変遷の図

さらに最近になって、食品を取り巻く不祥事が相次いで発生し、「食」の安全・安心を求める声がいっそう高まりました。 農薬関連では、2002年(平成14年)以降、国内においてカプタホール(ダイホルタンR)、シヘキサチン(プリクトランR)など無登録農薬の流通・使用が次々と発覚しました。また、中国産冷凍ほうれんそうなど輸入農産食品での基準値超過の例も数多く報告されました。こうした情勢に的確に対応するため、2003年(平成15年)に食品安全基本法が制定され、これに基づいてわが国ではリスク評価を科学的知見に基づき客観的かつ中立公正に行う機関として内閣府に「食品安全委員会」が設置されました。一方、農薬取締法も2003年(平成15年)に改正され、無登録農薬の輸入販売と使用の規制などとともに、使用者が適正使用に違反した場合には罰則が科せられるようになりました。そして、食品衛生法も2003年(平成15年)に改正され、残留基準等の定められていない農薬についても一律基準(0.01ppm)を設定して原則規制するポジティブリスト制度が2006年(平成18年)5月に導入されるに至っています。

ところで農薬は、生物活性を有する様々な物質群ですので、性状は非常に多岐にわたっています。しかも、複雑で大量の食品成分の中から極微量の残留農薬を分離分析することは非常に困難を伴います。食品衛生法に基づく行政検査施設でもある当衛生研究所にあって、私共は、三十数年前より残留分析の基礎技術を研鑽・継承しつつ、より効果的で信頼性の高い分析法を開発/採用しながら検査機能の強化を進めてきています。