愛知県衛生研究所

ブラジルで透析患者50人が死亡(マイクロシスチンに汚染された水を使用)

1996年5月11日付けの英国医師会雑誌 (British Medical Journal, BMJ) 1)に「ブラジルでラン藻が透析患者を殺す」(Algae kills dialysis patients in Brazil)と題した衝撃的なニュースが載った。1996年2月、ブラジルのベルナンブコ州の州都レシフェから134 kmの所に位置するカルアル市のブラジル透析センターAで、重篤な急性肝不全患者が短期間に多数発生した。 この透析センターで事件が発生した2月に透析を受けた人は130人で、そのうち116人(89%)が視力障害、吐き気、嘔吐などを発症し、うち101人の患者が肝不全となり、50人が死亡した。その後の調査で、マイクロシスチンに汚染された水を透析に使用したことが、本事件を引き起こした原因であることが明らかとなった。以下に、Jochimsenらによって報告された本事件の概要をまとめた2)

事件に関係した透析センター及び患者の調査結果

カルアル市には透析センターが2カ所あり、透析は1回4時間で、1週間に3回行われていた。調査にあたって、透析センターA の患者130人中124人(95%)及び透析センターBの患者47人中41人(87%)について、検査データあるいは死亡証明書のデータが利用できた。透析センターAで透析を受けた患者の急性肝不全(血清抱合型ビリルビン値≧1.0 mg/dl、アスパラギン酸アミノトランスフェラーゼ (AST) ≧68 U/l、急性肝不全死のいずれか)の発病率 (124人中101人、81%)は、透析センターB (47人中0人、0%) よりも有意に高く (P<0.001)、101人の患者のうち50人が調査終了時の同年9月15日までに肝不全で死亡していた。 肝不全を発症した透析患者と発症しなかった患者の年令の中央値は、それぞれ39才と45才と有意差はなかったが (P=0.11)、死亡した人の平均年令(47才)は生存した人(35才)よりも有意(P<0.001)に高かった。

急性肝不全を起こした患者に聞き取り調査を行った結果、もっとも多かった症状は視覚障害(かすみ目、視野暗点、夜盲)、吐気、嘔吐、頭痛、筋力低下であった。また、痛みを伴う肝腫や黄疸、それに出血傾向も認められた。多くの患者で(83人中42人、51%)初発症状が2月17日(土)から2月20日(火)の間に出現していた。視覚症状はおよそ1週間以内に消失したが、4月に聞き取りを行った時点でも、いく人かの患者は筋力低下と上胃部痛が続いていた。

マイクロシスチンに暴露されたと考えられる以前(96年2月)と以後(96年3月)の検査データの中央値を比較したところ、96年2月には検査を行った患者すべての白血球数と血清AST及び総及び抱合型ビリルビン濃度は正常であった。しかし、同年3月には急性肝不全患者の白血球数は軽度上昇し、AST濃度は7倍以上、総及び抱合型ビリルビン濃度は4倍以上上昇するとともに、プロトロンビン時間の延長が見られた。これに対し、肝不全を発症しなかった患者では、同年2月及び3月ともに白血球数、AST及びビリルビン濃度は正常であった。プロトロンビン時間はこれらの患者でも延長していたが、肝不全患者の値よりは有意に短かった。

透析センターAでは6シフトで透析が行われていた。不均一性をχ2検定した結果、シフト間の死亡率に有意差が認められたが(P=0.02)、発病率には有意差は認められなかった(P=0.10)。また、死亡率がもっとも高かったのは「火-木-土の夜」のシフト(76.5%,13/17)で、おそらくこのシフトで使用された水がもっとも高濃度にマイクロシスチンに汚染されていたと考えられる。

状況調査結果

図1には、カルアル市の浄水、給水システムを示した。カルアル市には事件が発生した透析センターA以外に、もう一つの透析センターBがある。透析センターBで使用する水は市営浄水場で処理された後、同市の給水システムを通して配水される水を使用している。水源地はカルアル市から約40 kmの所に位置しているTabocas貯水池で、少なくとも1990年から夏の期間貯水池にラン藻が発生していることが明らかとなっていた。水はそこからパイプラインで送られ、まず硫酸バンドによる凝集沈殿が行われる。2、3時間静置後粗粒子砂濾過を行い、その後塩素処理を行い、透析センターBを含むカルアル市のほぼ全域に供給される。

一方、事件が発生した透析センターAは、当時この配水システムに入っていなかった。その代わり、市営浄水場で硫酸バンド処理のみがなされて水を1日に2回トラックで運んでいた。浄水場の職員が時々トラックの運転手に添加用の塩素を渡していたが、塩素が添加されたか否か、あるいはいつ添加されたのかを示す当時の記録は存在していない。透析センターAでは、水の到着後、砂、活性炭槽、脱イオン槽(陽、陰イオン)に通した後、透析使用前に精密濾過膜を通していたが、塩素等の薬剤は使用していなかった。透析センターAの維持管理者によると、活性炭槽はおよそ6ヶ月ごとに、砂及び膜はおよそ3ヶ月ごとに交換していた。しかし、事件が発生した96年夏の渇水期には、トラックで運ばれた水が見た目にも濁っていたにもかかわらず、事故発生以前の3ヶ月は、これらの浄水装置は交換されていなかった。最初の患者発生が報告された2月17日に砂及び精密濾過膜が交換されたが、活性炭が交換されたのは1週間後の2月25日であった。

毒性学的調査結果

貯水池、市営浄水場、透析センターAへ水を運ぶトラック及び両センターの水供給システムから採取した水の中からは、有機リン剤を含め農薬は検出されなかった。酵素免疫吸着測定(ELISA)法を用いてマイクロシスチンの測定を行ったところ、貯水池及びトラックの水、透析センターAの貯水槽及び水処理装置(活性炭、イオン交換樹脂)、さらには複数の肝不全発症者の死亡前後に採取した血清や、剖検で得られた肝臓からはマイクロシスチンが検出された(図1)。一方、市の給水システム及び透析センターBで処理された水からは、マイクロシスチンは検出されなかった。

カルアル市の浄水、給水システム及びマイクロシスチン検出の有無(図1)

病理学的調査結果

16人の肝不全発症者の剖検で得られた肝臓を光学顕微鏡で調べた結果、いずれも広範な壊死、重篤な胆汁うっ滞、白血球浸潤、アポトーシス、肝細胞板の破壊、細胞の変形、細胞質の空胞化、多核性肝細胞といった同じような病理像が見られた。一方、電子顕微鏡では、細胞内浮腫、ミトコンドリアの変化、粗面及び滑面小胞体の損傷、脂肪空胞、遺残体が見られた。

マイクロシスチンは、今回の事故で見られるような重篤な肝障害(急性毒性)を引き起こすとともに、発がん促進作用(慢性毒性)を併せ持つ極めて有害な化合物である。はじめにも述べたとおり、ブラジルで起こった事故が日本でも起こるとは考えにくいが、事故そのものは非常に確率の低い偶然が重なって生じることも考えられる。従って、マイクロシスチンへの暴露を防止するための適正な水処理システムの設計、設置、モニタリング、維持が日本においても重要であると考えられる。 ラン藻は大気中に酸素を供給して現在の地球環境を作り上げた重要な生物である。しかし、人間の活動によって生態系のバランスが変化し、アオコの異常発生が世界各地で起こっている。そして今回、アオコが作り出すマイクロシスチンによって人が死亡するというショッキングな事件が発生した。我々は、これを自然からの警告シグナルとして深刻に受け止めるべきであろう。