新城設楽の地形・地質

設楽原の馬防柵と河岸段丘したらがはらのばぼうさくとかがんだんきゅう

ここは、長篠・設楽原の戦いの時に織田・徳川連合軍が馬防柵と火縄銃で武田軍を迎え撃った場所です。前に見えるのは連吾川で、馬防柵は豊川の河岸(中位)段丘崖の下で沖積面に移り変わるところに沿って、当時と同じ場所に復元されています。対岸の高台は中位段丘より古い時代に形成された豊川の河岸(高位)段丘と考えられていて、設楽原歴史資料館が建っています。長篠・設楽原の戦いはちょうど梅雨時で、高位段丘の上に布陣した武田軍は段丘崖を駆け下りたあと、連吾川のぬかるんだ沖積低地と馬防柵からの攻撃に阻まれ、攻め入るのに随分苦労したようです。

設楽原の馬防柵と河岸段丘
設楽原の馬防柵と河岸段丘
設楽原の馬防柵と河岸段丘のデータ
項目データ
種類地形
事象新生代第四紀中・後期更新世の堆積物
文化財など-
所在地新城市竹広
緯度・経度北緯 34°55’18.3" 東経 137°31’30.1"

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