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愛知県の主張・取組

会場からの質問・意見(要旨)

(文責事務局)(→は委員の回答・コメント)

○道州制の問題点はあるのか
→ 単位が大きくなったときに、民意の反映がどの程度できるのかというのが一番大きな問題。知事を一人選び、議員を何人か選んだだけで民主的コントロールができるのか。ガバナンスをどうやって確保するのかという点。

○道州になった場合、区域というのは何か決まりがあるのか、それともまだこれからなのか。例えば愛知・岐阜・三重は近い範囲だと思うが。
→ 道州制までいかない府県合併であれば、市町村合併と同じようにある程度合意形成がしやすい。道州は国の制度そのものが大きく変わるのだから、ある一定の好きなもの同士が集まるのではなくて、地方に対する出先機関のそれぞれのエリアをとったかたちで区域が設定されてくるものだとイメージしている。
→ 経済のグローバル化に対応するならどういう単位なら対応できるのか、行政改革をやるのにどういう単位であれば最も改革ができるのか、という視点である。
 木曽三川は東京で管理するより東海で管理した方がいいし、山、川、海を全体で流域圏として地球環境を考えながら管理するならば中部の方がいいかもしれない。警察業務やSARSの問題等、それぞれの観点から現実の生活経済と行政の単位が合わなくなっている。だから市町村の再編、都道府県の再編が行われる。いくつか例を挙げたがそれぞれに違う。その中で重なりが多いところはどこなのかということ、それから一番の目的である経済のグローバル化、行政改革、そういう点からみて一番効果があるのはどの単位なのか。
 広くなればなるほど民主的コントロールがきかなくなる。だから中間報告でも「顔の見える道州制」を提案している。道州制も旧の国の単位で出先機関をつくり、しかもそこで民主的コントロール、旧の国の単位のことは旧の国でやれる仕組み。道州本庁でやるのは旧の国の単位を超えるようなこと、いわば国家政策のようなもの。そういうところで公務員の数をなるべく減らしながら、NPOなどの協力を得ながら、「顔の見える道州制」という仕掛けを入れることによって大きな州になっても住民のコントロールできるような道州制が望ましい。

○道と州はどう違うのか。中部州、東海州というネーミングが何回も出てくるが、東海道という言葉が出てこないのはなぜか。
→ 世界的にはリージョン。リージョンは「州」。日本はたまたま北海道という自治体がある。それから、中国に「道」という単位がある。それを日本が律令制で入れて東海道、西海道という形で行政の区分として使われた。中国文明の影響で東洋において「道」という行政区画がずっと歴史上あるし、現に日本でもあるから「道」という言葉を使う。片方で欧米系の言葉でいうとリージョン、「州」。これを合わせたようなかたちで「道州」と言っているのだろうと推測する。

○北海道はどうなるのか。
→ 北海道は北海道だけで道州になる。名前はおそらく北海道。2004年度に北海道で道州特区が部分的にスタートすることになる。

○北海道で道州制特区が始まるということだが、実際にこの地域での道州制の導入の実行性は。本当にできるのか。どのくらいの実現性があるのか。
→ 個人的見解であるが、今の段階で道州制を敷くと、市町村が心配。合併が進んでいるとはいえ、自治的な能力を高めるしくみができていない。合併しても行政能力が急激にアップするわけではない。財政的な問題を見ても、税源移譲も動いていない中で、突然道州制で県レベルの仕事を移して市町村が自立的にということは相当難しい。そうなると、一定期間そういう方向をにらみながら都道府県、市町村とも動いていかなければいけない。そういう意味で、実現可能性は国が方針を決めてやってしまうのも一つの方法なのかもしれないが、きちんと機能を果たしていくとなると、二次合併も含めて次の合併特例法の期限が切れるあたりに目途が見えてくるのかというイメージ。
→ 拓銀がつぶれたときくらいのショックが、きっかけとして要るのかもしれない。2006年度に自治体の判断で地方債を発行できるようになる。今はマーケットとしては不自然。最終的に国の保証があるから東京と富山村の起債の利率はほとんど一緒。これが2006年度からなくなる。噂だが、2006年度に資金繰りができない町村が出てくるのでなはいか、そのとき初めて市町村合併が急速に進むのではないか。あるいは国債の暴落。そういうショックがなくても、正当な選挙があって国民の世論の変化があって行政改革が進めばよいが、微妙だ。
 やりだしたら日本は早いと思うが、やりだすまでに時間がかかるのが日本の特色。最初のモデルケースが一つ二つ出たら早いと思う。そのモデルケースがいつ出るか、最悪の場合が国債の暴落とかそういうことではないか。ソフトランディングできればよいが。

○市町村合併もしっかりできていないのに、どうして道州制を提起したのか。
→ 道州制が求められる背景は、市町村合併により県の仕事がなくなるから県を再編しないといけないという側面と、それとは別に市町村合併が進もうが進むまいが、経済のグローバル化にどう対応するかという側面がある。市町村合併が進むと必要性が付加されることになるが、それだけではない。

○財源の問題、税収の問題、これが最大の問題だと思う。これをしっかり立て直すことが本当の改革だと思っている。補助金の問題の前には郷土問題がある。瀬戸内海に橋が3本できたのは有力者が3人くらいいたから。税制の問題は、地方で一本の税でいいと思う。中国がそうである。たくさん税金を納めた上海だとかが上納金として中央へ納める。その上納金を使って中央は全国展開をする。日本の補助金は中央の言うことをきかないといけないという別の問題が出てくる。この問題は大変大きな問題であり、革命に近い。血を流さない革命である。その背景にある哲学、価値観の変更が必要。明治以来やってきたことを否定するのであるから、そういう教育、啓蒙、議論が必要。

○道州制が実現したら現在の県の借金は道州に集められるのか。また、今の県の職員や国の地方機関の職員は減らされるのか。
→ 国鉄の分割民営化のときは清算事業団をつくったのと、それぞれのJRに分けた。基本的には再編された州が引き継ぐ。人もそうだ。まずは引き継ぎ、過剰になった分は行財政改革で、首切りもある程度は必要だろう。ただし、これは全くの個人的見解。

○道州制になったからといって、住民の視点から何がどう変わるかわからないと思う。例えば地方分権が12年の一括法で変わったのはいいが、住民レベルでは分権が進んだのかわからない。市町村合併についても、合併が進んで何がどうなるかというのは実際住民にはわかりにくい。道州制は、グローバル企業にはわかると思うが、住民にとっては、今のエリアで十分やっていけると思っている。モニターアンケート結果でも今の県のままでいいという人が6割もいる。結局住民のレベルで道州制というものがわかってないからだと思う。道州制になったら何がどうなるかをもっとアピールした方がいい。
→ 日本の社会が、新しい行政の枠組みを私たち一人一人がどれだけ必要としているのか、そしてそこに理念なり、哲学というものを一緒になって考えていかないと、なかなか住民レベルでは実際にサービスがどうなるかというものではない。
 私たちはまず自己責任、自助に立ち帰らないといけない。戦後の中央集権化で効率性を求めて国が力をつけてこなければならなかった時代が20世紀だとすると、21世紀はいろんな面で社会が変わらないといけない、その一つとして行政のあり方がある。
 市民に目を向けて行政の計画・事業を調整できるくらいの能力になるためには、今の町村レベルではまだ職員の配置とか財政規模の面でできないので市町村合併をしている。これまでの市町村にするために合併するのではなく、新しい機能や役割を担えるために、あらためて住民が理解して自分たちが託せる市町村の規模はどういうものかを考えて市町村合併をすることが本来の市町村合併であると思う。それと隣り合わせに財政の厳しさがあるので、そちらが前面に出て本来の市町村合併というものの意味が出てない。
 これは日本だけではない。欧州先進諸国でも同じように市町村規模の再編が行われている。市町村がそういう形になるとあらためてその上の規模というものが、最終的には都道府県でいいということになるかもしれないが、もう少し大きな道州制というものを考えてみようというのが現在の状態。ただ、従来の都道 府県を残すことや都道府県合併と道州制が違うのは国のあり方を含めて考えている点。
最終的な形になることによって新たな生活の利便性、自立性が理解できるようになるためには、市町村合併により新しい形に変えたことによって、いい面があると納得できる例が出てくると、都道府県を新しいものに変えていくことも一つの方向性だということが見えてくる。
→ 自治ということの意味は自分たちで決めるということ。決めるということは権限があるのと同時に責任を伴うということ。結局東京の金でやっていると高くつく。この地域のことはこの地域で決めて責任をとる。むしろ責任は重くなる。そういう仕組みをつくることが結果として税金の無駄遣いとかを少なくすることにつながる。

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