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あいちのおいたち

ページID:0279161 掲載日:2020年3月24日更新 印刷ページ表示
愛知県庁外観

愛知県庁外観

沿革

 律令体制以前は、尾張(木曽川・庄内川地方)、三河(西三河の矢作川地方)、穂(東三河の豊川地方)の3地域に分かれていましたが、律令制下では、尾張・三河の2国となり、江戸時代まで続きました。
 明治4(1871)年の廃藩置県の後、12県(名古屋県・西尾県・岡崎県・豊橋県・犬山県・重原県・刈谷県・挙母県・半原県・西端県・田原県・西大平県)が置かれ、同年11月に尾張(知多郡を除く)は名古屋県に、三河と尾張の知多郡は額田県となり、明治5(1872)年4月に名古屋県は愛知県と改められ、同年11月27日に額田県を廃して愛知県の管轄に移し、永く続いた尾張国、三河国は愛知県として統合されました。
 当時、県内には2,900を超える町や村がありましたが、明治の大合併、昭和の大合併を経て、昭和45(1970)年には市町村数は88となりました。その後30年以上、市町村数に変動はありませんでしたが、平成の合併により平成15(2003)年以降、新たに19件の市町村合併があり、市町村数は54(38市14町2村)となっています。

あいちの地名の由来

 「あいち」の地名は、万葉集巻三の高市黒人の歌「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」に詠まれている、「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」が「あいち」に転じたと言われています。
 廃藩置県後、県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用されました。

県庁舎の歴史

 明治5(1872)年11月27日に誕生した愛知県の庁舎は、名古屋城内に置かれました。その後、明治7(1874)年に古渡町の東本願寺別院、明治10(1877)年南久屋町、明治33(1900)年南武平町と現名古屋市内を転々とし、昭和10(1935)年10月に現在の本庁舎の建設が着工(総工費予算300万円)され、昭和13(1938)年3月22日に完成しました。昭和39(1964)年6月30日西庁舎、昭和45(1970)年7月31日愛知県警察本部庁舎、昭和50(1975)年9月20日議会議事堂、昭和60(1985)年12月20日自治センター、平成6(1994)年3月31日愛知県警察本部北館が完成し、現在に至っています。

問合せ

愛知県政策企画局広報広聴課
電話:052-954-6169(ダイヤルイン)
メール:koho@pref.aichi.lg.jp