あいちdeニューノーマルの選択肢、半農半Xな暮らしガイド ー買うからつくるへー

実践者たち

農家×ファシリテーター・ラッパー[実践者]安藤夫妻

愛知県豊田市の南東部に位置し、徳川家発祥の地で「松平氏遺跡」をはじめとして、多くの史跡や文化財が残されています。

住んでいる地区[北設楽郡東栄町] 愛知県の北東部に東三河地方山間部に位置し、花祭と呼ばれる霜月神楽の伝統芸能が残る。
住んでいる地区[北設楽郡東栄町] 愛知県の北東部に東三河地方山間部に位置し、花祭と呼ばれる霜月神楽の伝統芸能が残る。スマートフォン用
住んでいる地区[北設楽郡東栄町] 愛知県の北東部に東三河地方山間部に位置し、花祭と呼ばれる霜月神楽の伝統芸能が残る。スマートフォン用

安藤夫妻の半農半Xのヒストリー

1982年豊田市出身・1976年横須賀市出身、2006年ワークショップ研究員、2008年農業大学研修、2008年ファシリテーター事務所スタート、2009年くらら農園スタート、2021年MC.G爆誕ラッパー
1982年豊田市出身・1976年横須賀市出身、2006年ワークショップ研究員、2008年農業大学研修 スマートフォン用
2008年ファシリテーター事務所スタート、2009年くらら農園スタート、2021年MC.G爆誕ラッパー スマートフォン用

半農半Xの一年

七草:1月、サツマイモ:5月〜12月、とうもろこし・枝豆:3月〜8月、小松菜・ブロッコリー・七草:9月〜12月、音楽制作:2月〜6月、ファシリテーター:9月〜11月、音楽制作:10月〜11月
農業:97.5%、土木業:2.5%
安藤夫妻のイメージ動画はこちら
安藤夫妻の人柄が垣間見られる、ショート動画がご覧になれます。ぜひご覧くださいね。
※「愛知県農業水産局農政部農政課YouTube」運用方針 [PDF/43KB]

最寄りの施設

中学校車で5分、こども園車で5分、コンビニ車で10分、飲食店車で10分、食料品車で10分、救急医療車で20分、衣料店車で20分、小学校車で1分、高校車で5分、美容床屋車で20分、職場車で1分、薬局車で15分、郵便局車で10分、ガソリンスタンド車5分
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役に立った行政などの支援策(※マークは別ウィンドウで開きます)

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夫はラッパー、妻はファシリテーター。二人で農業とは別の顔を持つことが生み出す好循環とは?

夫婦の写真

豊田市の市街地からほど近くに位置する松平地区。徳川家のルーツと言われる松平氏発祥の地だ。この地に生まれ育った安藤源さんは妻のさち子さんと共に2009年からくらら農園を営んでいる。農園名の『くらら』はさち子さんの愛称だ。  メインで栽培しているのは春の七草。一年の無病息災を願って毎年1月7日に食べられる七草粥に用いられるセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロだ。もうひとつの主力品目は、その甘さからファンの多いトウモロコシだ。ご夫妻にお話を聞くと「ここに至るまで多品目栽培や有機栽培からの撤退、中山間農地での獣害被害など、多くの紆余曲折があった」と言う。 農業を営む傍ら源さん・さち子さんご夫妻はそれぞれラッパーとファシリテーターという別の一面も持っている。 「農業とは違うことをすることで生活のバランスが取れる」と明るく話すおふたりに話を聞いた。

あしらい

『正しさ』求め、出会った農の世界

安藤さんの写真

「中学生の頃から将来農業をやろうと思っていました。それで農業高校を選びました」と源さん。 きっかけは自宅にあった『わら一本の革命』という1冊の自然農法に関する本だった。 「『正しさ』みたいなものを求めていました」。その本に書いてあった自然農法のあり方、それに対する作者の強い思いは、当時の源少年が正しい生き方、あり方を考える上で大きな影響を与えた。 「もう農業をやるしかない。」当時、両親が家庭菜園をやっていたこともあって、自然と農業に惹かれていき、進学先に農業高校を選ぶまでになった。 しかしながら、事はなかなか思い通りに進まなかった。 「当時は農家じゃない人が農地を取得するのが難しかったです。就農希望者は認定新規就農者という農業委員会のお墨付きをもらうことで初めて農家となることができるのですが、その認定要件も当時は明確ではなく、農家になるにはハードルが高かったです」

高校卒業後は沖縄の大学へ進学し、全く別分野である法律を学んだ。その後、サラリーマンの道へ。それでも、源さんは農業への気持ちを常に持ち続けていた。 ある時、上司との面談で「おまえ何がやりたいんだ?」と聞かれ、自然と「僕農業がやりたいんですよ」と口をついで出た。上司から「いつかやりたいことは今やった方がいいよ」と言われ、ハッとした気持ちだった。即断即決だった。「じゃあ、辞めます」と。 「面談終わってビルを出た時にすぐ人事にも電話していました(笑)」一方でこの決断には別の要因もあったと言う。 「実は家庭菜園をしていた両親が脱サラして本格的に農業をはじめていたのですが、これがなかなか上手くいっていなかったんです。両親を助けたいと考えていました」

あしらい

七草栽培の可能性

七草の写真

「七草ならやれそうだなと可能性を感じました」 サラリーマンを辞めて、県農業大学校に入学。1年半ほど農業について勉強し直して、ついに認定新規就農者として認定される。いよいよ源さんは農業従事者としてのスタートラインに立つことになった。主要品目の1つである七草を選んだ理由は両親が栽培していたから。しかし、それに加えて深い訳があった。 「学生の頃に訪れた農家の息子さんが『農業は簡単には生産量が倍にはならないけど、まだまだイノベーションが残っているよ』と教えてくれたんです」。それがどのようなものか、七草でなら試せると源さんは感じていた。 「七草は7種類を単純に1つずつ栽培するのは難しくないです。でも、その7種類を同じタイミングで同じ量収穫できるように栽培し、ひとつのパックにして製品化するのは難しい。イノベーションの可能性を感じました」 栽培から出荷までのすべての工程を見直した。 「効率的に収穫するにはハサミが良いのか鎌の方が良いのかという点も見直しました。七草のひとつ、ホトケノザの栽培方法も直播農法という新しい技術を先進地に学びに行き、自家農園にも取り入れました」 2009年に始めた当初は1シーズンで3,000パック程度の生産量であった七草は今では23,000パックほどを出荷するほどに成長、松平地区の七草栽培の7割程度を担うまでになり、くらら農園の主要品目に成長した。 一方、トウモロコシの単独栽培に至るまでは紆余曲折あった。

「七草が冬場の生産物なので、夏場の時期にできるものということで最初ナスを始めたのですが、借地が増えていく中でナスの栽培管理ができるのは2反が限界でした。それで同じ労働力で管理面積を広げられるトウモロコシに切り替えました。」 ナスからトウモロコシへの切り替えと併せ、飲食店向けに多品目栽培にも挑戦、顧客である飲食店も順調に増えていったが、「年中多品目栽培をすることでとても忙しくなってしまいました。品質もそれなりのものしか作れないし、生産性が低い。それで多品目栽培は3年ほどで辞めました。最終的にトウモロコシ一本でいくことしました。」 日々試行錯誤を続けて今のくらら農園がある。

あしらい

難しくても続けていく山村地域での農

畑の写真

山村地域での農業は栽培だけでなく獣害との闘いもある。くらら農園も以前は被害が大きかった。「最初にトウモロコシに移行した年に5,000本ぐらい食べられてしまいました。被害額は80万ぐらいかな」 獣害対策に慣れた現在においてもちょっと気を抜くと被害が出るそう。 「ハクビシンなどの小動物による被害がひどくて。でも電気柵など獣害対策が出来てきたので、だいぶマシになってきました。それでも今年はイノシシにトウモロコシ500本ぐらいやられましたけど」と話す。 今は市街地にある豊田スタジアムの近くでも農地を借りて耕作している源さん。 「そちらでの農作業は獣害が少なくて、簡単すぎて衝撃です(笑)。はっきり言って全然生産性が違います」 それでも、山村地域でも農業は続けていくという。なぜだろう。

「郷土愛ですかね。こっち(松平地区)でお世話になっているし。こっちも荒らしてはいけないので。農地ってやっぱり愛着沸きますし、土って育てていくものなので」はにかみながら話す表情に生まれ育った松平地区への強い想いが感じられた。 また、山村地域とまち側の標高差を生かした農業には新たな可能性もありそうだ。 「気候が違うので栽培時期や品種の調整など、それぞれ地域の良さを生かしてやっていけたら。面積的には最終的に山村地域とまち側で5分5分ぐらいにできればいいなと考えています」

あしらい

農がファシリテーターに与えた好影響

ファシリテーターとして働く安藤さん

「最初は農業するつもりはまったくありませんでした」 妻であるさち子さんがくらら農園を一緒に担うようになったのはここ2年ほど。もともとさち子さんはファシリテーターとして個人事務所を設立し、活動していた。ファシリテーターとは会議において、相互理解を促しながら合意形成し、問題解決を促進する進行役である。 きっかけは沖縄の精神科病院でソーシャルワーカーとして仕事をしていた時、精神障害者の人たちが集まる会議で初めてファシリテーションというものを体験したことだった。当時、ファシリテーションを経験したことのないさち子さんは、ファシリテーターの先駆けである清水義晴さんの進行に「何だこれは?」と衝撃を受けた。 「参加者がフラットな状態で、発言力の強い弱い関係なく、みんなの意見が集約されていくんです」 ファシリテーションに興味をおぼえ、清水さんに教えを乞うようになる。その清水さんから「NPO法人コミュニティおきなわなら活躍の場があるよ」と教えられた。平日はソーシャルワーカーとして、そして、休日はワークショップ研究員として島の特産品開発や商店街の活性化など、住民参加の会議のファシリテーターを担っていた。 その後、結婚と共に豊田市へ移住したが、源さんの農業を一緒に担うことはなかった。 「ファシリテーターとしてしっかりやっていきたいと思っていました」 豊田では株式会社パブリック・ハーツのプロジェクトパートナーとして行政的な仕事でグループファシリテーションを担っていた。しかしながら本人が言うには豊田ではファシリテーターとしていまいちうだつが上がらず、ダラダラと続けてしまっていたという。 「子育てもあったので、そろそろファシリテーターの仕事を続けるか決めなきゃいけないなって思っていました」 そんな時に源さんから「一緒に農業をやらない?」と声が掛かった。夫の農業は間近で見ていたものの、あまり乗り気がしなかった。

「ひとりで黙々とやる作業は自分には絶対向いてないだろう」と躊躇していた。けれど次第に「体力的なことを考えたらやるなら今しかない」とチャレンジする気持ちが湧いてきた。 実際に農業を始めてみると、「自分のペースでやれると、気が散らずにできることがわかりました。ほっといてって言う感じです(笑)」とすっかり農業に夢中になっている。 現在はコロナ禍でもあり、ファシリテーターの仕事はオンラインが増えた。画面の向こうの方がどのような表情をしていて、どんな気持ちなのか把握しづらい中でのファシリテーションは難しく、今はファシリテーターとしての仕事はペースを落としているという。そんなさち子さんの今の気持ちを聞いてみた。 「ファシリテーターだけやっていて、フラフラしていたのが、農業をやるようになったら、自分自身のバランスが良くなりました。」今は『松平こどもサークル・かのこ』という子どもの居場所づくりを始め、小学生の話し合いの場にファシリテーションを活用しようと意欲的だ。

あしらい

農系ラッパー誕生秘話

ラッパーの安藤さんの写真

長年、農業に専従してきた源さんの唯一と言ってもいい趣味が音楽だった。そんな源さんが農系ラッパーMC.Gとしてラップ音楽をアウトプットできたのは、さち子さんが農業を始めて余白ができたからかもしれない。 「突然、歌詞が降ってきたんですよ!(笑)」 一見、農業とは全く結びつかないラップの世界。『五穀豊穣』、『所得向上』、そして『Say 農業!』と聞く人にわかりやすいフレーズでリズミカルに韻を踏んでいく。とても今年から始めたとは思えない。 源さんはSNSで以前よりお気に入りのラッパーをフォローしていたという。 「いつもと同じようにSNSを見ていたら、『おっさん、ラップしてみないか?』って投稿されていて、それを読んで自分に言われているように感じました(笑)」そして、その時は突然訪れたという。

「たまたまコンビニの駐車場に車を停めて、手帳に歌詞を書いてみようって。そしたら、突然、歌詞が降ってきたんですよ!できた!って。今考えればつたないラップでしたけど」 ラップでは自身の農業を通じて普段感じていることを歌詞にして伝えている。 「物事にはいろいろな側面があるけれど、自分はこう思っているんだということを素直に表現してみたんです。『かわいい動物と舐めるな!』、『身体が資本だ、無理は禁物!』とか(笑)歌詞がどんどん湧き出てきました」 印象的な歌詞からは、源さんが農業に従事しているときの思いがダイレクトに、そして、心地よく伝わってくる。 さち子さんは「農業の辛さみたいなもの、10年間ぎゅっと蓄積されたものが歌詞として出てきたのかな」と話す。源さんは「僕のラップはすべてメッセージソングです」と言い切る。ラップを始めて心境に変化があったという。 「毎日、生活するのが楽しくなりました。ラップ動画を見た方から反応もありますし。周りからは面白がられています(笑)」

あしらい

それぞれが半農半Xでバランスがとれる

家族の写真

ファシリテーターと、ラッパー。ご夫妻は農業とXとのバランスをどのようにとっているのか聞いてみた。 さち子さんは「うちの場合はXの方をマネタイズしようとは思っていません。」 源さんが続ける。「ラップは楽しいからやっています。遊びみたいに楽しくやっているけど、ふざけてやっている訳ではありません。大まじめにやっていて、それが認められて少しでも収入が入ればうれしい」と話す。 「肉体的にも大変だし、獣害も多いです。子どもたちが引き継いでいくかもわからないし、地域の存続もわからない。そういう状況のなか、ふたりで、半農半Xのスタイルでやっていくことで心身のバランスが取れます」 ご夫妻はこれからも松平地区の中山間地において半農半X生活を無理なく楽しみながら持続していくことであろう。そんな温かな日常から新たなイノベーションが生まれることを期待したい。