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豊川沿いに暮らす人々は、昔から洪水から命や財産を守るために、いろいろな工夫をしてきました。そのひとつが、「水屋」と呼ばれる避難用の建物です。土を高く盛り、石垣を築いて建てられた水屋は蔵式と住居式があり、中には米や麦のほか、水やしょうゆ、漬物といった保存食を貯蔵していました。2階には衣類やふとん、軒下には「上げ舟」と呼ばれる避難用の舟もつるしてありました。 今では堤防などの水害対策が整備され、現存する水屋は見ることが難しくなりましたが、洪水から生活を守る先人の知恵が感じられます。 |
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宇連川と黄柳(つげ)川が合流する場所に黄柳橋という橋があります。初代の橋は、木製の橋でしたが、2代目は大正7年に愛知県の土木技師吉田仙之丞氏の指揮により、コンクリート製オープンアーチ橋として建設されました。この2代目には、当時としてはハイテクだった30メートルのコンクリートアーチが使われており、東京都の聖橋(昭和2年完成、アーチスパン32メートル)が完成するまで、日本一のアーチスパンを誇りました。 ただし、日本一のアーチを以ってしても必要な路面長約50メートルに届かなかったため、この差を埋めるためアーチ上に支柱を井桁状に組み、その上に路面をのせました。これにより、独特なデザインの橋になりました。 大正ロマン香るこの橋は、平成10年に文化庁の登録有形文化財に登録されています。 現在、2代目は、車道として活躍する3代目コンクリートアーチ橋のすぐ横で、静かに歩行者を渡しています。(2代目写真奥、3代目写真手前) |
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豊川に沿うように走っていた豊橋鉄道田口線の歴史は、段戸山の御料林の材木を運ぶことを目的に宮内省の協力を得て、大正15年に鉄道免許を取得したことに始まります。ルート上は急勾配が多いため、当初予定していた蒸気から電気に動力の変更を行うなどして、昭和4年に鳳来寺口(本長篠)〜三河海老間が開業しました。 その後、長さ1,510メートルの稲目トンネルや第一寒狭川橋梁の難工事を経て、昭和7年に本長篠〜三河田口間の全線が開通しました。一時は、国鉄の直通電車が乗り入れるなど活況を呈した時期もありましたが、過疎化や台風による災害により収益の悪化を招き、昭和43年に惜しまれながら廃線になりました。 廃線からすでに30年以上経ちましたが、トンネルや古い駅舎を目にすると、当時の面影を偲ぶことができます。 豊川がみつめた歴史の一つです。 |
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