あいちdeニューノーマルの選択肢、半農半Xな暮らしガイド ー買うからつくるへー

実践者たち

農業×神主 実践者 横江克也さん

住んでいる地区[豊田市旭地区] 豊田市の水源、矢作ダムがあり、川、山、高原そして温泉郷がある。

豊田市の水源、矢作ダムがあり、川、山、高原そして温泉郷の写真
豊田市の水源、矢作ダムがあり スマートフォン用
川、山、高原そして温泉郷の写真 スマートフォン用

横江さんの半農半Xのヒストリー

1983年瀬戸市出身、2005年緑の故郷協力隊、2006年オイスカ四国研修センター研修生、
              2009年オイスカ四国研修センター農業指導員、2011年てくてく農園スタート、
              2018年熱田神宮にて研修、2019年神主の仕事スタート、2020年マヨネーズ等加工品販売、
              2021年キッチンカーでの販売
1983年瀬戸市出身、2005年緑の故郷協力隊、2006年オイスカ四国研修センター研修生、
              2009年オイスカ四国研修センター農業指導員、2011年てくてく農園スタート、 スマートフォン用
2018年熱田神宮にて研修、2019年神主の仕事スタート、2020年マヨネーズ等加工品販売、
              2021年キッチンカーでの販売 スマートフォン用

半農半Xの一年

養鶏1~12月、田んぼ畑4月〜11月、歳旦祭1月〜4月、大祓6月、祇園祭・天王祭・風神祭6月〜8月、新賞際11月、大祓12月
収入率:農業85%、庭師・空き家管理:15%
横江さんのイメージ動画はこちら
横江さんの人柄が垣間見られる、ショート動画がご覧になれます。ぜひご覧くださいね。
※「愛知県農業水産局農政部農政課YouTube」運用方針 [PDF/43KB]

最寄りの施設

中学校車で10分、子供園車で1分、コンビニ車で2分、飲食店車で5分、食料品車で20分、救急医療車で20分、衣料店車で45分、小学校車で1分、高校車で20分、美容床屋車で90分、職場車で20分、薬局車で20分、郵便局車で3分、ガソリンスタンド車で20分
中学校車で10分、子供園車で1分、コンビニ車で2分 スマートフォン用
飲食店車で5分、食料品車で20分、救急医療車で20分 スマートフォン用
衣料店車で45分、小学校車で1分、高校車で20分 スマートフォン用
美容床屋車で90分、職場車で20分、薬局車で20分 スマートフォン用
郵便局車で3分、ガソリンスタンド車で20分 スマートフォン用

役に立った行政などの支援策

book

神主は農家にとって最高の副業!?平飼い養鶏をする横江さんが2つの仕事をして感じているメリット

豊田市旭地区榊野町。6月のある日、苔むした急な石段を上ると、氏神様を祀る神社で大祓(おおはらい)という神事が執り行われていた。 神主を務めるのは、横江克也さん。 2011年に町内の空き家に移住し、てくてく農園を夫婦で営んでいる。 メインは養鶏で得た卵の販売。自給用に田畑もやっている。 最近は卵を使ったマヨネーズやアイスクリームの販売、キッチンカーでの軽食販売も始め、人気を集めている。 「地域に誘われたことがきっかけで始めた神主の仕事は、結果として農業の副業として最適だった」と言う横江さん。 何がぴったりだったのか?まずは農業をやることになったきっかけから、順に伺った。

大祓(おおはらい)という神事をしている写真
あしらい

愛犬の死で、農を志す

大学時代の写真

「大学4年生で就職活動をしていた時、実家で10年飼っていた犬が死んでしまいました」 幼い頃から動物が大好きだった克也さんにとって、ショックな出来事だった。一般企業や公務員を志望していた。理由は、『安定しているから』、『家から通うことができそうだから』。心の底から湧き上がるような志望動機がないままに就職活動している自分を恥ずかしく思うようになった。 「飼い犬は一生懸命生きる姿を見せてくれて逝きました。命、生きることに真剣に向き合う道を選んでみたい。お金を稼ぐ技より、生きる技を身につけたい。そこで思い浮かんだのが農業や田んぼでした」 福島県で募集していた緑のふるさと協力隊の隊員に応募した。1年間に渡って、田んぼ、酪農、炭焼き、野菜や果樹の栽培、養鶏などを経験させてもらいながらブログでその魅力を発信した。

「とにかく楽しかったです。酪農家で仔牛が生まれる瞬間に立ち合わせてもらって感動したこともありました。自分が行く道は、この道で間違いないと確信できました」プログラム期間終了後、香川県に渡ってオイスカ四国研修センターの研修生になった。 「四国に行ったことなかったので、軽いノリで応募しました(笑)アジア地域を主とした10ヵ国以上から研修生が来ていて、一緒に農業を勉強して寮で生活するという日々を送っていました。途中からは欠員が出たからということで、指導員になることができました」時に英語を使いながら、カタコトの日本語を話す研修生に野菜や養鶏の講義をする。充実した毎日に後輩として現れたのが、現在のパートナー春菜さんだった。付き合いが始まり婚約することに。結婚後に暮らす場所について考えることになった。

あしらい

空き家バンクで結婚後の住まい探し

山の風景の写真

「奥さんは福岡生まれの名古屋育ち。僕は瀬戸市出身。移り住むなら愛知県がいいねという話になりました。福島と香川で色々と学んできたので、どこに行ってもなんとかなるだろうという自信がありました」 「新聞で読んだという父から、豊田市が空き家情報バンクを始めることを聞きました。物件がいくつか出ていた旭地区で何軒か見て回って、今の家に決めました」 農業を始めるのにお金がかかることを見越して、改修費用があまりかからなさそうな築40年ほどの物件を選び、入居の申込をした。

あしらい

ライフスタイルに合わせて柔軟に変化

畑の写真

横江さんが営んでいる「てくてく農園」は、卵の販売をメインにしている。自宅から車で3分くらいの場所にある手作りの鶏舎で平飼い養鶏されている名古屋コーチンが産んだ卵だ。平飼い養鶏とは、鶏を地面に放して飼う養鶏法のこと。約90羽の鶏が元気に走り回っている。養鶏だけでなく、自給用の米を育てる田んぼ、少し販売するがほぼ自給用の野菜を育てる畑もやっている。 「やるなら養鶏って決めていました。いろんな農家さんにお話を聞いて、経営的に養鶏ならやっていけるだろうと。毎日産んでくれるので。動物が好きだし、生ごみを食べてくれるし、ちょうどいいなと思いました。ところが僕たちがここに引っ越して来る前に、近所で養鶏をしていた方がいて、臭いがすごかったそうです。豊田市空き家情報バンクの地域面談で、養鶏やりたいと話したら、『またニワトリ…』みたいな反応をされて(笑)」平飼い養鶏では、きつい臭いは出ないとわかっていたけれど、嫌がられる中で無理矢理やる気はなかった。住まいからは離れた町内で耕作放棄地を見つけ、地域の人に仲介に入ってもらって借りられることになった。

鶏が2匹の写真

「10年前、こちらに来たときはまだ20代で、『やれるぜ!』という感覚もあって200〜300羽くらい育てていました。その後、子どもが生まれると一緒にやっていた妻はもちろん、自分も子育てをするようになり、当然農業にかけられる時間やパワーが減っていきました。そこで規模を90羽くらいに縮小。経営的にうまく回せるようになりました」 不思議なことに、飼育数は減らしたけれど卵の数は増え売り上げが増加。「ストレスがかからなくなったからかもしれない」と克也さんは言う。 卵の販売は、直接届ける個人宅配が9割ほどを占める。毎週、隔週など頻度は違うが、リピーターの購入者に支えられている。8個入りのパックを1ヶ月におおよそ150パック販売している。卵は途中で1個100円に値上げした。

「最初は1個60円で始めたのですが、餌代、パック代を引いたら全然手元に残らないことに気がついて。消費税が上がったこともあるし、100円にしました。かなり厳しい値段になったのかもしれないですが、お客さんの数は減りませんでした。農家としてやっていける、鶏にも負担がない価格が1個100円です」 白いご飯の上に、この卵を落とす。食べた人が、「スッと心が満たされていくような味」と表現する、自然の甘味が存分に感じられる美味しさだ。

あしらい

命に向き合った自分らしいやり方で

横江さんの写真

養鶏を続けるにあたって、自分がどう感じるかを大事にしている。例えば、餌は専門の業者から買うのではなく、米と草を半分ずつ混ぜたものを与えている。 「業者から仕入れると、外国産の遺伝子組み換えの飼料になってしまう。保存料が入っているのも嫌。政治経済など外的な要員で値上がりする可能性もある。そういうことに左右されるのも嫌だなあと。色々当たっていたら、餌用の米を売ってくれることがあって、そこから買っています。くず米といって、未熟米や虫の害を受けた米で、鶏が食べるには十分なものです。下手したら捨てられてしまうものが、鶏の餌になることで地域循環していくスタイルは、自分に合っているなと感じます」 一般的には加齢により卵を産まなくなった鶏は処分される。しかし、「役目を終えたからといって、はいサヨナラではかわいそう」という理由で、てくてく農園の鶏は飼われ続ける。餌代など経済的なことを考えれば損になるのかもしれないが、生き物を『もの』として扱わない、これが横江さんのやり方だ。

あしらい

「やってみない?」の一言がきっかけ

横江さんの写真

山村地域には集落ごとに、その土地を守る氏神様を祀った神社がある。お祭りがあるときには、神事に携わる宮司や禰宜(ねぎ)といった神主が必要だ。地域の人が兼業で担うことが多い神主。横江さんの住む旭地区では、後継者が育っておらず、ある日声がかかった。 「一地域住⺠として、お祭りに参加して太鼓を叩いたりしていました。祭りが終わった時に、『後継がいないから困っている、横江さんやってみない?』と言われて。その時は、神主になるなんて想像もしていなかったので返事はしませんでした」 四国で研修生と過ごしていた日々が思い出された。イスラム教だったり、キリスト教だったり、熱心に信仰している研修生の姿。日本の宗教を教えほしいと言われても満足に答えられない自分。 「何も知らないなと思って。そういえば機会があったら勉強してみたいなと思っていたなと。農業も安定してやれるようになっていたし、新しいことを初めても良いタイミングなのかもしれない、神主は地域の仕事を受け継いでいける仕事だし、これも縁かなと感じ始めました」 妻の春菜さんに相談し了解が得られたので、熱田神宮での養成講座に通うことにした。やらない?と言われてから1年後、2018年のことだった。

「8月に1ヶ月間、平日は毎日熱田神宮へ通いました。袴を着るにもどっちが前でどっちが後ろかわからない(笑)右も左もわからない未知の世界に飛び込んだ感覚でした。研修は、古事記を勉強する講義などもあるのですが、作法についての実技を学ぶ時間がほとんどでした。礼の仕方であれば角度が甘いとか、とても厳しくて途中で辞める方もいました」

あしらい

自分の世界が広がる楽しさ

本2冊の写真(神社のいろはとまんが古事記)

研修を終えて数週間後には、地元の神社で本番を迎えた。「緊張しましたが、一応滞りなくやり切ることができました」 現在では、15件ほどの神社で、年間30〜40回ほどの神事を行なっている。熱田神宮での研修費、神主としての衣装代を合わせて30万円を超える金額を支払っているため、収支的には2年半ほどやってきてようやくプラスに転じたという状況。それでもやって良かったと話す。 「別に神主で生活しているわけではないので。9割は農業からの収入。神主の収入はボーナスのようなものです。神主をやるようになって自分の世界が広がったのが良かった です。日本の歴史や神様のことを研修で習ったら、農耕生活や地域の歴史も気になって文献読んだりするようになりました」

あしらい

農業との相乗効果

横江さんがお祈りしている写真

「神主としていくと、70歳以上のおじいちゃんと接することが多いです。親と息子ほど年齢が離れていても、田畑をやっているという共通点があるので『今年、米どうだった?』と話すネタがあります」 「神事と農業は深い関わりがあります。豊作を祈願し、五穀豊穣に感謝する。農業をしているからこそ、言葉だけでなく実感を込めて『みなさん、感謝しましょう』と言うことができます」 神主として求められることは、研修で習ったことだけではない。神事が終わった後に「一言お願いします」と言われプレッシャーに感じることもあるという。 「最初は、『何を話そう?』ってなりました(笑)目の前にいる氏子さんたちより若い僕が偉そうに言ってもピンと来ないかもしれない。でもみなさんがお祭りの意味をなるべく理解できるように、『来て良かったな、ためになったな』と思ってもらえるように、伝えることを心がけています」

あしらい

大事にしている家族の時間

横江さんの家族3人の写真

神主としての仕事はほとんどが日曜日にあり、半日で終わることがほとんどだ。そのため、農業との時間調整が難しいということはないという。心がけているのは、家族との時間を作ること。 「平日に農業やって、週末も神主で家にいないのは申し訳ないなっていう気持ちです。子どもを園に迎えに行ったり、一緒に遊んだりできるように、早朝家族が寝ている間に仕事を終わらせて、家に帰って『おはよう』と言う。日中はなるべく家族との時間が取れるように調整しています」 農業にぴったりの副業として、神主という仕事が見つかった横江さんだが、昔は専業農家としてやることにこだわりを持っていた。

でも農業での稼ぎが安定してきて、考え方も柔軟になって、神主を始めました。たくさんのことを学ぶことができているし、人間関係も広がって、地域にも貢献できている。農業の他に何かやるとしたら、楽しくやれることが大事ですね」 2つの仕事を持つ今の暮らしの魅力を教えてくれた。