あいちdeニューノーマルの選択肢、半農半Xな暮らしガイド ー買うからつくるへー

実践者たち

江崎雄一郎さん

豊田市足助地区、豊田市のほぼ中央部に位置し、紅葉の名所「香嵐渓」で知られ、古い宿場町の名残が残る地区。

豊田市足助地区、豊田市のほぼ中央部に位置し、紅葉の名所「香嵐渓」で知られ、古い宿場町の名残が残る地区
豊田市足助地区、豊田市のほぼ中央部に位置し、紅葉の名所「香嵐渓」で知られ、古い宿場町の名残が残る地区。スマートフォン用
豊田市足助地区、豊田市のほぼ中央部に位置し、紅葉の名所「香嵐渓」で知られ、古い宿場町の名残が残る地区。スマートフォン用

江崎さんの半農半Xのヒストリー

1997年福岡県大牟田市出身、2004年豊田市内に引っ越し、2010年とよた中山間じおこし隊に参加(農業)(あいのう流通センター)、2011年足助地区五反田町に移住、2012年県農大のニューファーマーズ研修(作物)を1年間受講、2013年建設会社で働き出す、2013年豊田市足助地区の農家で1年間研修、2014年足助地区五反田で新規就農
1997年福岡県大牟田市出身、2004年豊田市内に引っ越し、2010年とよた中山間じおこし隊に参加(農業)(あいのう流通センター)、2011年足助地区五反田町に移住 スマートフォン用
2012年県農大のニューファーマーズ研修(作物)を1年間受講、2013年建設会社で働き出す、2013年豊田市足助地区の農家で1年間研修、2014年足助地区五反田で新規就農 スマートフォン用

半農半Xの一年

田おこし:3〜4月、田植え:5月、除草や水管理:5月中旬〜9月中旬、稲刈り・乾燥・調整:9月中旬〜10月中旬、精米・米の直販(配達・郵送):1月〜12月、建設会社での土木作業:1月〜12月
半農半Xの収入 比率、農業:70%・土木作業:30%
江崎雄一郎さんのイメージ動画はこちら
江崎さんの人柄が垣間見られる、ショート動画がご覧になれます。ぜひご覧くださいね。
※「愛知県農業水産局農政部農政課YouTube」運用方針 [PDF/43KB]

最寄りの施設

中学校車で20分、こども園車で10分、コンビニ車で20分、飲食店車で2分、食料品車で20分、救急医療車で20分、衣料店車で20分、小学校車で10分、高校車で20分、美容床屋車で20分、職場車で1分、薬局車で20分、郵便局車で1分、ガソリンスタンド車で1分
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衣料店車で20分、小学校車で10分、高校車で20分 スマートフォン用
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郵便局車で1分、ガソリンスタンド車で1分 スマートフォン用

役に立った行政などの支援策(※マークは別ウィンドウで開きます)

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「本当の価値は、田舎にこそある」。
こだわりの米作りを大規模に展開する土木大好きオーガニック・ファーマー

こうべを垂れる稲穂で一面が黄金色に輝きつつある豊田市五反田町の田んぼ。 「私の萌えポイントがあるんでちょっと見てほしいんです」と江崎雄一郎さんが田んぼを案内してくれた。 「見てください。今年は“稲魂(いなだま)”ができたんです。これは、豊作の印なんです」 稲魂とは、稲の穂に自然につく自然の麹菌「稲麹」のことだ。日本では、古代からこの麹菌で醸して麹を起こし、味噌や醤油や酒を造ってきた。 農薬を散布する慣行農法では麹玉が着くことはほとんど無いが、自然農法だと稀につくことがあるそうだ。だからこそ、有機にこだわる江崎さんにとって稲魂のできる田んぼは自慢の萌えスポットなのだろう。 江崎さんがこの地に移住したのは10年ほど前。標高450~500mの山あいにある合わせて4町6反もの面積の田んぼで稲作を行っている。これだけの面積の田んぼを中山間地域でIターン者が専業的に行っている事例は少ない。

稲にある稲麹玉

地元の建設会社の社長から声をかけられ、土木の仕事も行っている。現金を稼ぐためというよりは、むしろ、農業のため、自分の視野を広げるため、心のバランスを保つため、そして、何よりも好きだからである。 「土木の仕事って、農業とすごく関連があるんですよ」と、土木の仕事にも誇りと意義を感じながら、大規模に稲作を展開している江崎さん。「子どもの頃、僕は農業だとか林業だとかは一番嫌いでした」という江崎さんが、なぜ、半農半Ⅹな暮らしに至ったのか、経緯から伺ってみた。

江崎さんの写真
あしらい

一番嫌いだった農業。でも、なぜか農学系の学部がある大学へ進学

「僕は農業だとか林業だとかは一番嫌いだった。友達が塾やドッジボールや鬼ごっこをしてる時、手伝わされていたのが嫌だった。だから、絶対やりたくないと思って都会に出たんです」 幼少期を過ごした場所は山奥で、水道水もあったが井戸水だったという。祖父は林業に携わっていたが、父親は「林業では食えない」ということで、医療関係の仕事に就いていた。たまに祖父に手伝わされる山仕事や野良仕事は、親子共々苦痛でしかなかった。 父親は検査技師、母親は看護師、伯母は看護師を経て保健師という医療関係者に囲まれて子ども時代を過ごしていたこともあって、大学は医学部を目指した。 「現役の時は医学部を受験したんですけど、落ちちゃって。そこから、博多に出て浪人生活をしました」 「浪人時代は、天神でライブハウスはよく行きましたね。遊んでばかりいました。博多には通称“親不孝通り”という予備校や古着屋等が連なる通りがあるんですけど、僕はまさに親不孝を実践していましたね」 憧れていた都会で浪人仲間と遊んでばかりの生活。そんな中でも「なんで自分は医者になりたいのか」と自問自答していた。結局、選んだ進路は、なぜか嫌いなはずの農学系の大学。 「生き物がたくさんいる環境で育ったので、生き物がすごい好きだったんだってことに気づかされたんです。だから、生き物を扱う農学部系のある大学の受験したんです」 無事、東京圏の大学に進学したものの、卒業を迎えた頃は就職氷河期の真っ只中で就職が決まらないまま、博多に戻ることになった。

あしらい

いろいろな仕事を経て、豊田で介護の仕事に就いた

「いわゆるフリーター生活でした。いろいろな仕事をやりましたね。倉庫業だったり、フォークリフトの資格をとったり、スポーツバーや飲み屋の仕事とかもやりしました。水商売のキャッチもしていました。タガが外れた生活でした。一番ダメな時期だったかもしれません」 浪人時代と学生時代、そして、卒業後も続けていた憧れの都会生活。楽しかったが、時折、何か違和感を覚えることがあった。 「都会には、居場所がないというか。一見、豊かにに見える街は、モノはたくさんあるんだけど、決して豊かではない。便利ではあるし、人もたくさんいるんだけど、これは本当の豊かさとは違うなと…」 そんなことが頭をよぎることもあったが、当時は、田舎に移住して農業をやろうなんて全く想像すらしてなかった。 27歳の頃、1つ目の転機が訪れた。“一番ダメな時期”を傍らで見ていた奥さんの麻美さんの出身地である豊田市に引っ越すことになった。 「妻の親父さんが病気になって倒れたんですよ。幸いにも在宅での治療で済んだんですが、介護が必要になって、豊田市に引っ越しました」 「介護の仕事をしていれば、何かの役に立つのではないか」と考え、介護の仕事に就いた。そして、特別養護老人ホームやショートステイの施設で働きながら介護福祉士の資格も取得した。 7年の歳月が流れ、施設のフロア長を任されるようになり、ケアマネージャーの資格取得もしようとしていた矢先、義父は他界した。 「7年もの間、何のために介護の仕事をやってきたのかわからなくなってしまって、やる意味がなくなったという気持ちになって。介護の仕事を辞めました」

あしらい

とよたの山里・足助が大好きに

江崎さん笑顔の写真

そうは言っても、江崎さんにとって、7年間は無駄ではなかった。入所しているおばあさんと仲良くなり、そのおばあさんのお見舞いに頻繁に訪れていた義理の娘さんとも仲良くなるという副産物があった。これが農業との出会いという2つ目の転機につながっていく。 二人とも、江崎さんが今住んでいる五反田町のある足助地区(旧足助町)出身で、話を重ねるごとに、その家族も含めた方々の人柄の良さ、心のやさしさ、美しさに魅了されていった。 「こんなに心の美しい人たちが住んでいる足助はきっと良いところなんだろうなと感じていました。今思えば、足助に縁があったんですね」 人のつながり、人の縁で、行ったこともない足助のことが好きになった。江崎さんの人の縁はこの後もどんどんつながっていくことになる。 たまたま知り合った足助地区在住の人から「知り合いで足助にIターンして田んぼをやっている人がいるので、農業に興味あるならば訪ねてみたらどうか」と紹介された。そして、紹介されたその人のところを行き来するようになる中で、「僕も農で食えるんじゃないか」という直感が働いた。その人からは、「とよた中山間じおこし隊」という事業があることも教えてもらった。 この事業は、地場産業で活躍できる人材を都市部から集めて雇用し、若い力で新たな仕事づくりと地域活性化に取り組むことを目指した事業だった。 早速、エントリーして、期限付きで株式会社あいのう流通センターで働くことになった。この会社は、生産者と消費者の顔と心が見える関係を目指して、有機農業、低・無農薬栽培の安全な農産物の生産と農産物の共同購入・宅配・直売店への配送を行っている。江崎さんは、有機農業と直販について実践的に学ぶことになった。

とよた中山間じおこし隊(ふるさと雇用再生特別基金事業)のメンバーとして2年間あいのう流通センターで勤めた後、引き続き2年間そこで働きながら、愛知県農業大学校ニューファーマーズ研修(作物)に通って農業について学んだ。

あしらい

五反田町で稲作農家として就農

田んぼの景色の写真

「もう農業に片足突っ込んだ状態で農業をやめる選択肢はない」という覚悟が芽生えたその頃、あいのう流通センターのある小原地区(旧小原町)で借家を探し始める。でも、しっくりいく物件がなかなか見つからない。親身になってくれた足助支所の移住担当の市職員に「小原にこだわらなくてもいいじゃん。足助の物件も見に来ないか」と言われ、案内されたところが足助地区の五反田町。移住と就農という3つ目の転機が訪れた。 「直感でここがいいなと思って。田んぼの状況、集落の道を歩いている人だとかが魅力的に感じたというか。五反田の良さは他と全然違うなと感じたんですよ」 2011年、五反田町にある古民家を借ることになり、あいのう流通センターのある小原地区や農業大学校のある岡崎市の2か所を往復する生活がはじまった。 ほどなく地元の定例会や行事にも誘われ、新しい五反田住民の仲間に加えてもらうことができた。

「定例会とかに顔を出すと皆さんいろいろ声をかけてくださって。地元の安藤賢治さんや安藤泰浩さんといった諸先輩方が尽力してくださって田んぼの賃借の間を取り持つなど就農に向けて支援をしてくれました」 「ここは小原と違って標高が高いから、水が冷たいぞ。気候も違うから同じようにやっても米はとれんぞ」という五反田を良く知る人ならではのアドバイスも江崎さんの就農に大いに役に立った。 熱量の高い市役所職員の支援を通じて出会った心温かい地元の人たちの後押しを追い風に、6反の田んぼで有機にこだわった江崎さんの有機にこだわった米作りが始まった。

あしらい

有機にこだわった生産者の顔が見える米作り

米の写真
就農から10年が経とうとしている今、五反田町だけでも2町8反、五反田町以外の2か所を含めると合計4町6反の広さで米作りを行うまでに至っている。品種は非常においしい米として人気が高い豊田市の中山間地域の銘柄米ミネアサヒ。まるまるとした米粒はやや小粒だが、炊飯した米は光沢があり、うま味・粘りに優れた食味・食感が特徴だ。 「冷たくきれいな山水で非動物性のボカシを使い、腐葉土や草を入れ、糠を撒き、菌類を多く共生させ、お米を作っています」 お米のすべては直販。だから、江崎さんは米屋さんでもある。販路はどうやって開拓したのか。 「八百江」という屋号のSNSで日頃の農作業の様子や季節の便りなどを発信しているが、主には人づてでお客さんが拡がったという感じだという。 「口コミで広げてくれた人もいます。僕は本当に人に恵まれています」 現在、飲食店や自然食を扱うお店など30軒程に卸している。中には、「園児に安全・安心な食を提供したい」という食の安全に強い想いを持っているこども園もある。このほか、個人世帯が100くらい。江崎さんが作る有機米ミネアサヒのおいしさと安心さに魅了され、固定客となっている。
「名古屋のお客さんが多いですね。郵送も多いですが、できるだけ直接配達するようにしています。“顔と心が見える関係”が大事かなと思って。だから、郵送する時や直接配達してもお客さんに手渡しできない時には、一言メッセージを書き添えたりしています」 「年間で最も多い10月は、発送が100は超えますね。毎月配達するお客さんもいれば、隔月のお客さんもいます。5分づきのお客さんもいれば、8分づきや玄米のお客さんもいます。1回の配達量もバラバラです。玄米5キロ、8分を10キロとか。すべてお客さんのオーダーに合わせています」 田んぼ仕事を終えた夕方以降や土日の合間の時間を利用して日々配達している。“顔と心が見える関係”を大切にすればするほど忙しくなる。でも、お客さんに安心感を着実に届けることを大切にしている。江崎さんにとって率直な感想を直接聞ける良い機会にもなる。そして、何よりもお客さんの笑顔と「いつもありがとう」という言葉が江崎さんにとっての最幸なご褒美であり、こだわりの米作りを続けていく原動力になっている。
新米の写真、新米販売の広告、おにぎり屋さんの写真
新米の写真
新米販売広告の写真
おにぎり屋さんの写真
あしらい

土木の仕事も大好きだし、農業の役に立つから

景色

江崎さんは、土木の仕事にも携わっている。 「たまたま地元の食料品店にお酒を買いに行ったら知らないおじさんがいて、店先でお酒を飲ませてくれたんですよ。意気投合して飲んでいたらどうやら地元の建設会社の社長みたいで、『お前、明日からうちで働け』と突然言われて」
「農業を志して程なかった頃でお金がなかったので、現金はほしかったです。自分から仕事を探していたわけでなく、いつのまにかそうなっちゃったって感じです。僕の場合、人の縁に恵まれているんですよね」 フォークリフトや建設重機、危険な伐採も可能なチェーンソーの資格など、土木作業に必要な資格を多数持っている江崎さんは、アルバイトという形ではあるが、会社にとって大きな戦力だ。 土木の仕事は実に多彩。橋梁の架け替え工事や砂防ダムの建設、特殊伐採、地山の掘削、整地、土砂の運搬といった重機のオペレーターなどの仕事の他、現場監督のような業務もやっている。江崎さんが、土木関係の資格をたくさん取ったのは、土木の仕事自体をなりわいとしようとしたからではなかった。 「田んぼ仕事って、田植えや稲刈りをするだけではないんですよ。畦畔や法面、水路が壊れたら直さなくてはならない。土木の知識や技術が役立つんです。だから、農業を目指そうと思い始めた頃、土木関係の資格を積極的に取ったんです」
「でも、実際に土木の仕事をやらなきゃわからないと思いしたね。田んぼの法面の勾配は1割6分と決まってるんです。人間が歩けて、上から土砂を落としても落ちていかない勾配なんですよ。こういう知識も建設会社で働く中で習いました。土木の仕事をしていると田んぼの構造もよくわかるようになる。ちょっとしたことなら自分で直すこともできるようになりますね。土木と農業は繋がっている。そう実感しています」 建設作業で出てくる廃材や暗渠パイプの残りをもらってきて、自分の田んぼに使えることができるのも土木の仕事をやっている江崎さんにとってささやかなご褒美だ。

「田んぼ仕事とか土木の仕事が本当におもしろいんですよね。忙しいし、大変な時もあるけど、苦労とは思わない。僕、田んぼも土木のどちらも心底好きなんだと思います。どちらかだけだったらバランスが悪いと思う」 まわりの人からの応援や助けはあっても農業の仕事は基本一人。ある意味孤独な作業が続く。一方、土木の仕事は最低でも4、5人の仲間で進める。仲間に支えられているという安心感が得られるのは土木の仕事の良いところでもあり、心のバランスをとる上で欠かせないものになっている。

あしらい

普通では得難い時間と周りの人たちの支え

田んぼの写真

大好きだとは言え、米作りと土木の仕事の両立は決して楽ではない。「凄まじい10年だったです。毎日本当に忙しいです」という江崎さん。でも、朝8時半から夕方5時半まで時間や会社に縛られるサラリーマンではとても得難い家族との大切な時間、自由な時間が味わえるのは半農半Ⅹの良さだ。 「田んぼの合間に息子や娘を迎えに行ったりできます。長男が好きな花を一緒に作ったり、山が好きな子なんで土場の法面を登らせに連れて行ったりすることもできるんです」 常に前向きな江崎さんではあるが、3、4年前には、心が折れそうになり精神的にしんどかった時期もあった。 「量販店に行くと米が安く売られていて、みんな安いからって買っていくじゃないですか。結局は価格勝負なのかと、なんとも言えない気持ち。有機農業にこんなにこだわる必要があるのか、有機をやり続ける意味がどこにあるのかと考えると空しくなってしまって」 支えになったのは、江崎さんがケンちゃんやヨッちゃんと呼んで慕ってやまない地域の先輩たちだ。 「地域の人たちとの会話が僕の力になるというか、助けてもらってるなと。冗談も言ったりするんですけど、長い人生経験に基づいた冗談だから重さが全く違うんですよ。すごく心に響くんですよ」

たわいもない会話で、江崎さんが心の中にため込んだモヤモヤが晴れてくる。「ガンバレよ!」とは口には出さないけど、頑張れというメッセージを与えてくれるのが、江崎さんを温かく見守り、支えてくれる地元の年配の方々だ。 「僕は人に救われているんですよ。何回も言いますけど、僕は人に助けてもらっている人生なので。こういう方たちがいなかったら今の僕はいないですよ。僕の財産ですよ。幸せだなと。この地域あってこその僕だし、この地域じゃなかったらたぶんうまくいってなかったと思います」 こうした日常の中で、「やるのであれば、人生かけてやって、中途半端でやるんだったら、やらないほうがいい」という確信を得たという。

あしらい

半農半Ⅹを始める人たちへ

土木作業の仲間の写真

「就農するならば、その作物を愛さなければダメですね。僕の場合だったらミネアサヒを好きになる。命の源である食べ物なので、安心して食べられるものを作りたいし、愛情を持って接したい」 「僕の直感ですけど、これから大きく価値観は変わってくると思います。お金は所詮、紙切れなんで、本当の価値はそこにはないです。本当の価値は、田舎にあると思ってるんです。僕が田んぼをやっている五反田のすべて、五反田そのものが真の価値ある財産なんですよ」 江崎さんを支える仲間がもう一人増えた。長久手市で暮らす専業主婦の酒井さん。江崎さんのお客さんでもある。「子どもができてから、ちゃんと作っているお米が食べたい」。週2回くらい五反田に通って農作業のお手伝いをしている。 「私も、江崎さんと一緒で田舎にこそ価値があると思ってお手伝いに来るようになりました。草刈りも土木的なお仕事もやっていますよ」

農業とつながり深い土木の仕事。多くの人に支えられながらのデュアルな働き方・生き方に真の価値を見出し、感謝の気持ちを持って幸せをかみしめる江崎さん。安心感のある米作りへのこだわりと五反田愛にいざなわれるように、五反田へ通って農業をお手伝いする、江崎さんとは違った形のデュアルライフを楽しむ人も生まれている。